カプリ島から帰ったあとの数日間。私は美術館での仕事以外のほとんどを、エリザベス一世の絵を修復する時間に充てた。『アルノ川の春』を所持しているという、ルパンたちの今回のターゲット   ベルトリーニについても調べているけれど、ルパンが言っていたような“黒い噂”については何ひとつわからなかった。
 ひたすらエリザベス一世に向かい合う日々。修復は余計なことを考えなくて済むので、時間を忘れて取り組んだ。この絵を完成させてしまったらルパンとはお別れと考えると、あまり早く進めたくはない気持ちもあったのだけれど。
 それでも、絵の修復作業に充てる時間は、充実していた。

 


Ⅴ. 偽りだらけのパーティは、コーラルピンクのドレスを

 



 エリザベス女王は、着々と色彩を取り戻し、傷を癒していった。彼女はニコラス・オニールの想いに気づいていたのだろうか。ふたりに個人的な接点はあったのだろうか。オニールは、叶わない恋心とどのように向き合っていたんだろう、……。
 エリザベス女王に色を重ねながら、五百年も前を生きていた人物に想いを馳せる。女王にじっと向き合っていると、ほんのわずかな時間、私とニコラス・オニールが一体化したような心地になることがあった。オニールの意識が私に乗り移ったかのような。
 五百年前。どんな暮らしをしていたのかも想像ができない時代の人が、私と同じように誰かを想っていたのかと思うと、不思議な気持ちになる。穏やかで、慰められるような気持ち。  誰かを想うって、切なくて苦しくて傷つくこともたくさんあるけれど。とても素敵なことなのかな。
 そんな優しい気持ちになる。


 仕事終わり、いつものように美術館を早足で出て行くと、アルノ川の手前にルパンの姿があって驚いた。グリーンのジャケット、イエローのタイ。ルパンも私の姿を見つけて、手招きする。

「よーお、お疲れさーん」

 煙草を吸っていたルパンは、それを石畳の上に落とし、足で揉み消した。

「どうしたの?」

 『仕事の準備に取り掛かるつもり』と言っていたルパンの言葉が頭をかすめる。とうとう盗みを決行するのだろうか。それを宣言しに来たのだろうか。そうなると、もうお別れ    
 胸の鼓動が一気に早まってゆく。

「ちょいと敵前視察をしようと思ってね」
「“敵前視察”?」

 視察ということは、まだ盗みの本番ではないのだろうか。ざわざわする気持ちでルパンの言葉を待つ。

「そ。今週末、ベルナルド・ベルトリーニ創立二十周年のパーティーがあるんだと。フィレンツェ郊外の、やつらのワイナリー兼別荘で、な。せっかくなんでパーティーとやらにお邪魔しちゃおうかなーなんて思ってるわけ」
「うん……?」
「そこにな、美術商のふりして潜り込もうと思ってんの。で、ちゃんにも一緒に来てほしいわけよ」
「え、ええっ? 私が!?」

 まだ盗みをおこなうわけではないと安堵したのも束の間、ルパンはとんでもないことを言い出す。

「ど、どうして?」
「男女ペアのほうが怪しまれずに潜入しやすいんだよ」
「でも、私じゃ……そんな格式高そうなところに行ったことなんてないし、……それに、敵の懐に行くわけでしょう? 大丈夫かな、私で……?」
「だいじょーぶ。単なるパーティーさ。それに、ベルトリーニがヴェネツィアに大型店を出店する記念ってんで、会場じゃヴェネツィアの仮面をつけることになるらしいぜ」

 ルパンはそう言うけれど、私には無理だと思った。
 けれども、じっくりと考えてみると、不安よりも興味が勝ってくる。上流階級のパーティーなんて、この先一生かかっても経験できないだろうし、何よりも『アルノ川の春』を所持するベルトリーニを見てみたい気持ちがあった。もしかすると、父さんの死や美術品を奪ったやつらと関係しているかもしれない。

「うーん……次元と五エ門は、行かないの?」
「あいつらは嫌なんだと。せっかくうまい酒と食いもんにありつけるってのになあ。ま、大したことをするわけじゃねぇし、あいつらはこういう“パーティー”なんてもんは不釣り合いだろ」

 そうか。今回はルパンと私だけ、なんだ。

「ベルトリーニをじかに見てみたい気はするけど、……」
「だろー? じゃ、決まりな」
「ちょ、ちょっと待って。私、パーティーに着ていくような服なんて、何も持ってないよ。そういうものを買えばいいの?」
「大丈夫大丈夫、俺に任せなさいって。詳しいことはあとで連絡すっから」

 ルパンはちらりと腕時計を見るや否や、背中を見せる。

「じゃ、これからデートなもんで   失敬」
「え? あ、ちょっ、……」

 私が呼びかけるのも虚しく、ルパンは風のように消え去ってしまった。
 まったく! 行くなんて一言も言ってないのに。それに   デート、って。それじゃあ、そのデートの相手をパーティーに誘えばいいじゃない。
 私はしばらくその場で立ちすくみ、ぼんやりとオレンジ色に染まりつつあるアルノ川を見つめていた。はけ口を失ってしまった腹立たしさや切なさが、この流れに溶けてしまえばいいのに。

 

 翌日仕事を終えて戻ると、ドアポストにルパンからのメモと地図が入っていた。地図には、赤いペンで丸印がつけられている。

『今週土曜夕方四時 トルナブォーニ通りにある店で待っていてくれ。
 準備はぜんぶその店でできる手筈になっているので、身ひとつで来てくれればいい』

    ということだった。トルナブォーニ通りといえば、有名ブランド店が軒を連ねる場所だけれど。
 ルパン、何を考えているんだろう。本当に大丈夫かなあ。身なりのこともそうだけれど、今回のターゲットに近づくわけだから、何かするつもりなのだろうか。
 でも、ルパンが「大丈夫」というなら、不思議とあまり不安はなかった。いつも自信たっぷりのルパン。潜入や盗みにかけてはプロ中のプロだし   
 それに、ルパンと“パーティー”に行けるなんて、そんな機会はもうないかもしれない。

 私はソファに深く腰掛けて、棚の引き出しから取り出したファイルを眺めた。ベルナルド・ベルトリーニについての資料を集めたもの。
 ベルナルド・ベルトリーニ。創業者はブランド名と同名の男性。実家は小さなブティックを経営していて、彼自身も長年店を手伝っていた。二十年前に『ベルナルド・ベルトリーニ』を立ち上げる。職人の手でひとつひとつ丁寧に作られた服やファッション用品は、狭い人々の間ではあったけれども、愛されていた。
 それが三年前、彼の息子のルカ・ベルトリーニが経営幹部に名を連ねてから変わりはじめた。アメリカに留学をして、経営やファッションについて学んだというルカ。ブランドの雰囲気も変わったし、広告も大々的におこなうようになった。職人も増やし、生産数を増やした。たちまち多くの上流階級が愛用するブランドになった。『美しいものを集めたい』と称して美術品のギャラリーもはじめた。
 私が調べられたのは、こうした表面的な事実だけ。ここからでは父さんとの関連性は何も見つからない。
 でも、鍵を握るのは、このルカという人物のような気がした。彼が経営者になってから、ブランドの雰囲気が大きく変わっている。雑誌の写真で彼の顔を見たけれど、自信に満ちた表情で、とてもハンサムだった。一見すると爽やかな男性   でも、瞳の奥に何かぎらぎらしたようなものがあるような。私が『父さんの美術品を奪った犯人かも』という色眼鏡で見ているせいかもしれないけれど。
 パーティーではルカを見られるチャンスもあるだろうか。

 

 土曜日は美術館を早めに上がらせてもらい、時間がないのでスーツ姿のままトルナブォーニ通りへ向かった。ブランド店が立ち並ぶこの近辺は、私には敷居が高く、ほとんど来たことがない。実際、今も場違いな気分でそわそわする。高級そうな服装を身につけた人々が歩いている中で、私は身を縮ませながら地図をこそこそと見、赤い丸印の場所を目指した。
 ルパンが指定した店は、他の建物と同じく石造りで、ショーウィンドウの隣にガラス戸があった。ブティックのようだけれど、格式高い雰囲気がして入りにくい。
 けれども、既に四時を回ろうとしていたので、勇気を出して店に入った。店内には若い女性と四十代くらいの男性がいて、「Ciao」と声をかけてくる。私は後ずさりしそうになるのを堪えて、言った。

「あの……四時にここに来るように言われて」
「ああ、様ですね。お話は聞いています」

 女性のほうが答える。気さくそうな口調。ひとまず話は通っていたようでほっとした。

「お連れの方は五時にいらっしゃるそうです。それまでに準備を」
「準備?」
「ええ。パーティーだそうですね?」
「ああ、はい、」
「まずはドレスから選んでいただきます」

 女性に案内されて、店の奥へと入る。途中店内に並ぶ洋服を一瞥したけれど、高そうなものが陳列してあった。お金、足りるかな……。私は顔を引きつらせそうになる。
 店の奥は意外にも広々としていて、色とりどりのドレスが並んでいる。
 うわあ、すごい。豪華な衣装に軽く目まいがする。もしかして、ここはレンタルドレスのお店なのかな。

「あの……予算があるので……正直に言いますと、あまり高いものはちょっと」

 私は気まずい思いを振り切って、伝えることにした。あとから「払えません」というよりも、ましだ。
 女性は大きな目をぱちくりさせると、首を横に振る。

「いいえ、お代は頂いていますよ」
「ええっ?」
「お連れの方が。ご存知なかったんですね。ここにあるものはどれを選んでいただいてもかまいません」

 『俺に任せなさいって』   ルパンの言葉が蘇る。
 たぶん、ルパンは、お金には困っていないだろうけど。いいのかなあ。私には手が出せそうにないものばかりで、尻込みしてしまう。似合う気もまったくしない。

「ええと……あの、私……パーティーは初めてで。どれを選んだらいいのか、全然検討がつかなくて」

 私の言葉を聞いて、なぜか女性の目がきらきらと輝き出した。

「まあ。それじゃあもしかして、あれかしら。映画に出てくるようなパターン? お金持ちの男性が、一般女性を美しいレディに変身させる、っていう」

 女性は先ほどよりもくだけたようすで、興奮気味になっている。

「いや、えっと……どうかな……」
「そういうことでしたら、私たち、精いっぱいサポートさせていただきます。任せて」

 女性は戸惑う私を尻目に、無数にあるドレスの中を探しはじめた。

「では、先にこちらへ。メイクとヘアセットをしますので」

 いつの間にか私の後ろにいた男性が声をかけてくる。
 予想しなかった展開に、私は目を白黒させたまま、彼らの言いなりになっていた。こういうことはプロに任せたほうがいいだろうから、一切口を挟まなかった。というよりも、挟めなかった。上流階級のパーティーなんて、どうしたらいいのか本当にわからない。
 男性は慣れた手つきで私にメイクを施し、アイロンやドライヤーを使って髪をセットしてくれた。それから女性が選んでくれたドレスとアクセサリーを身につける。すべて完了するまで、鏡を見ることは許されず、ようやく靴まで履いたところで全身鏡と向き合えた。
 女性が満面の笑みで私を眺めてから、得意気に鏡の前に私を誘導する。
 私は鏡の前に立った。でも、鏡に映るのが誰なのか、しばらくわからなかった。
 私じゃない人が映っている。でも、鏡の人物は、私と同じように目を瞬かせている。試しに右腕を上げて髪を触ってみると、鏡の中でも同じ動きをしていた。

 うそ。
 開いた口が塞がらない。

「どうです?」

 女性の声が聞こえてきたけれど、頭でその意味が理解できずに通り過ぎてゆく。ただただ、びっくりした。
 これが、私?
 髪は緩やかなパーマが当てられている。メイクはいつもの私のものとは全然違う。派手ではないのにナチュラルで、私の肌の色とぴったり合ったファンデーションと薄いピンクのチークとつややかなピンクの口紅。まつ毛には丁寧にマスカラが当てられていて、美しくカールしている。
 首元にはパールのネックレスと、耳には同じパールのイヤリング。
 ドレスは鮮やか過ぎず、綺麗なピンク。コーラルピンク、というんだっけ、こういうピンク。胸元はV字に深く、けれども上品に開いている。ノースリーブで肩に細めの紐。ワンピース型のドレスで、裾は膝丈より少し長め。くるりと後ろを向くとふわりと揺れた。背中は胸元よりも深くV字に開いていて、肩甲骨が覗いている。靴はパールホワイトのハイヒール。

「どうですか?」

 私が無言でいるので、女性はもう一度訊ねてくる。

「すごい   すごいです。私でもこんなに素敵にしてもらえるなんて。プロの力ってすごい」
「私たちは、その方の持っている魅力を最大限に引き出すお手伝いをしているだけですよ」

 いや、でも、私じゃこんなふうにメイクはできないし、髪のセットもできない。やっぱり彼女たちの技量が高いのだと思う。これで少しは上流階級の女性に見えるかな、……。

「でもこのドレス……露出が多すぎません? なんだかドレスに着せられている感じ」

 胸が大きかったらさまになったんだろうなあ。私自身は、今までに身につけたことのないような華やかなドレスを着て舞い上がっているけれど、他の人から見たら似合っているのかどうか。
 女性は首を横に振って、私ではなく、私の背後に視線を向けた。

「そんなことないですよ。ね? お似合いですよ、ね?」

 女性の視線を追い、振り返って仰天した。いつの間にかルパンの姿があった。しかも、いつものジャケットではなく、タキシードを着ている。
 ルパン、と彼の名を上げそうになるのを必死で止める。

「い、いつの間に来てたの!?」
「さっき」

 ルパンは短く答えて、私をもの珍しそうに眺める。ああ、穴があったら入りたい。いつもより薄着のせいか、ルパンの視線が不安で仕方なかった。どうせ、馬子にも衣装だとか、思ってるんだろうなあ。

「あの、私が着てきた服、月曜日か火曜日まで預かってもらえますか…?」

 ルパンと向き合うのが恥ずかしくなって、私は女性のほうに身体を戻した。

「ええ、もちろん」
「そのときにドレスもお返しするので」

 女性は何度か目を瞬かせてから、ふと笑った。

「いえ、それは全部お買い上げされるそうですので、返却は不要ですよ」
「ええっ?」
「そーいうこと」

 ルパンは私と女性の間に歩み寄る。

「んじゃ、お代はこれで。このタキシードの分も含めて、な」

 ルパンは懐から札束を取り出し、女性に手渡した。彼女はその厚さに唖然とする。

「えっ、こんなに?」
「じゃ、どうもお世話になりましたー」

 あたふたする女性をよそに、ルパンは私の肩を抱いて外に歩き出した。
 私も呆然としてしまった。高級ドレスに着替えさせられ、いつもと違うメイクをされ、タキシード姿のルパンが現れ、おまけにそのルパンに肩を抱かれるなんて   
 これは、夢?
 でも、肩に触れるルパンの熱は本物。男性が「ありがとうございました」と頭を下げるのを視界の端にとらえて、ルパンと私は店を後にした。

 

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(15.8.8)
ルパンのタキシード姿は『燃えよ斬鉄剣』を妄想しました(あれはドラキュラだけど)。