Ⅴ. 偽りだらけのパーティは、コーラルピンクのドレスを ... 2
ふわふわとした現実味を帯びない気持ちを抱えて外に出ると、道に高級車が停まっていた。真っ黒のボディがつやつや輝いている。ぼんやりしていると、ルパンがその車の扉を開けたのでびっくりした。開かれた後部座席の扉。乗るように手で促されて、半ば虚ろな思考で乗り込んだ。ドアは閉められ、ルパンが反対方向の座席から乗ってくる。
運転席には既に人影があった。半球体型でモスグリーンのハットをかぶっている男性。横顔に見覚えがある。それに、あの特徴的な髭。
「よし、出してくれ」
ルパンの言葉に、運転手は無言でエンジンをかける。車が前進を始めてから、私は彼に呼びかけた。
「次元……?」
「
低い声が返って来て、ああやっぱりと思った。
「次元もパーティーに行くことにしたの?」
「いや。俺は高貴な商人様の運転手、だ」
不機嫌そうに次元は言う。帽子と同じモスグリーンのスーツに丸い伊達眼鏡をかけていた。
「でも、どうしたの、その格好」
「変装だよ。お前こそその格好、どうした? わからなかったぜ、誰なんだか」
私は急に恥ずかしさが込み上げてきて、お店でもらったストールを肩にかけた。肩も胸も背中も、やっぱり露出が多い気がする。何より、普段の私を知っている次元とルパンに、こういう着飾った私を眺められるのは気恥ずかしい。どうしてもドレスに着られているような気がしてしまう。
「……上流階級の美術商……のつもりなんだけど……大丈夫かな?」
私はどちらにともなく問いかけるように呟いた。隣でルパンが明るい声で答える。
「大丈夫大丈夫、どっからどう見ても金持ちのご婦人だ」
「黙ってればな」
次元がぽつりと付け加える。反論する余裕が、今の私にはなかった。
「ルパン、おまえもそんなに目立つ格好で大丈夫なのか?」
次元はバックミラー越しにちらりとルパンの姿を見る。ルパンは黒のスーツに純白のシャツ、ポケットに同じく白のスカーフ。黒の蝶ネクタイをつけている。なんだかんだできちんと紳士に見えた。
「大丈夫だって」、と答えて、ルパンは内ポケットからアイマスクをふたつ取り出した。目元を隠すだけの仮面。
「ヴェネツィアンマスクさ。会場じゃこれを外さないルールになってるからな」
ルパンはひとつを私に手渡し、もうひとつを自分で身につけた。私のアイマスクは、クリーム色で細かい模様が彫ってある。一方で、ルパンのものはワインレッドで派手な装飾が施してある。たしかに、目元が隠れるだけでも正体は判りにくいだろうけど、正体を知っている私から見ると、口元だけでも完全にルパンだと判別できる。大丈夫かなあ、……。
「まるで仮装パーティーだな。俺は運転手で良かったよ」
次元は嘲笑的に笑う。次元の言う通りかもしれないなと思った。さまになっているルパンはとにかく、私はぼろが出ないか不安だった。こんなに高いヒールの靴も履いたことがないし、身のこなしや言葉遣いも上流階級風にふるまえる自信がない。
きっと、不二子さんがいたら、この役目は不二子さんだったんだろうなあ。ドレスを着た不二子さんなんて、さぞかし魅力的だろうに。
「ルパン
「ああ、もちろん。安いもんさ」
「このネックレスも? 本物のパールじゃない?」
「どーぞどーぞ」
ルパンは何でもないことのように、軽々しく返事をする。私にとっては、高級で目まいがしそうなドレスもアクセサリーも、宝石やお金を見慣れているルパンにとっては、大したことはないのだろうけど。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
正直なところ、もう身につける機会はないと思う。でも、嬉しかった。ルパンからの
やがて、なだらかな丘の先に、ひときわ輝く豪邸が見えてきた。ルパンが「あそこだ」と低く言う。
早まる鼓動を抑えるために、ルパンに倣って私もアイマスクをつけた。視界がひと回り狭くなるけれど、顔の一部が隠れているという安心感がある。
「じゃ、ここから俺は美術商のルーピン。は恋人のユキコ、っていうことで。次元、停めてくれ」
ルパンの言葉で、次元は車を屋敷の正面に停止させた。
え?
「ニ、三時間で戻る」
「ったく。いいご身分だぜ」
「はいはい。ついでに俺とのドア、開けてちょうだいな」
「けっ! あとで酒奢れよ」
次元は吐き捨てて、乱暴にドアを開け外に出る。反対側の扉が開いて、ルパンが車から降りた。
私の頭は、先ほどのルパンの台詞に完全に支配されていた。
『は恋人のユキコってことで』
そういう“ふり”だと解っていても、ルパンの口から“恋人”なんていう言葉が出てきて、舞い上がってしまった。これはふりなんだと言い聞かせているのに、早鐘のような胸の鼓動が止まらない。
でも、ユキコっていう名前は、どこから出てきたのよ。
私の思考は、次元がドアを開けたので中断された。次元に促されて、車の外に降りる。次元の運転手姿もなかなかさまになっている、と言ったら怒られるだろうか。
次元はルパンと私に一礼をしてみせ、車と共に退散してしまう。遠ざかるエンジン音を聞きながら、私は急に心細くなった。ここからは頼れるのはルパンだけ。そのルパンの視線も気になってしまう。露出の多い慣れないドレスで着飾っている私を、どう思っているんだろう。唯一の私の救いは、目元を隠すアイマスクだけだった。
私は深呼吸をして、屋敷と向かい合う。屋敷は二階建て。白の大理石で建造されていて、とても広い。豪華そうな佇まいにため息が漏れる。こんな家、私は一生かかっても住めないだろうなあ。屋敷からはオレンジ色の光が漏れ、これまた広大な庭を照らしていた。目の前には、階段。二十段くらいはあるだろうか。
やっぱり私には場違い。断れば良かったと心底後悔しはじめたとき、ルパンがすっと左腕を差し出してきた。
「さ、参りましょうか」
ぱちんとマスクの奥でウインクするルパンに、少しだけ緊張が緩む。けれども、差し出された腕の意味を理解したとき、再び心臓の動きが早まった。
えっと、これって、まさか
でも、あたりを見回すと、男女ペアのカップルばかりだった。誰しもが、腕を組みながら階段を上がっている。
いや、でも、無理、ぜったいに、無理。ルパンと腕を組むだなんて、……。
私が唖然としていると、ルパンは「ほら」と左腕を私のほうに寄せてくる。このままぼんやり立ち尽くしていては、私だけじゃなくルパンも不審に思われてしまう。
私は持ち合わせていた全部の勇気を絞り出して、ゆっくりルパンの左腕に右手を重ねた。あまり遠慮がちにつかむのも奇妙だと思われるし、くっつき過ぎるのも私の心臓がもたない。ほどよい力加減を探るのに全力を注いでいた。ジャケットの上から伝わるルパンの熱にくらくらする。これはパートナーの“ふり”なのだと一生懸命言い聞かせる。
ああ、仮面があって本当に良かった。
ルパンと私は階段を上って行った。恋人らしく、腕を組んだままで。
ルパンも言っていたように、男女ペア、恋人同士というほうが、単身で潜入するよりも怪しまれないというのは納得だった。実際、周囲には男女ペア、夫婦や恋人らしきカップルが多い。私たちも恋人同士に見られているだろうか。でも、ルパンと私は、今夜限りの、偽りの恋人、……。
けれども。たとえ偽りだとしても。ルパンがこんなに近くにいるなんて。
階段を上りきると、開かれた大きな扉の前に辿り着く。その前にはスーツ姿の体格のいい男性が何人か立っていた。彼らはマスクをつけていない。
「いらっしゃいませ。招待状を拝見してもよろしいでしょうか?」
ひとりが私たちに話しかけて来る。笑みを浮かべてはいるけれど、目はぎらぎらと光っていた。ただの案内係じゃない。恐らく、警備かボディガードか何か。私は少しだけ右手に力を込めていた。でも、ルパンは何事もないように、胸元から一枚のカードを取り出し、男に渡す。
「……ルーピン・トゥッレ様? 失礼ですが、これは招待状ではありませんね」
男の表情がやや険しくなる。場の空気の変化を察して、もうひとり男が近づいてきた。
「ああ、それは名刺だ。ルーピン・トゥッレと言ったら今売出し中の美術商なんだが、知らないのか?」
「存知ませんな」
「おーや、それは残念。ベルトリーニ様の御用人ともあろう方々がなー。ぜひともベルトリーニ様にお見知りおき頂きたく参ったんだが」
「あいにくですが、本日のパーティーはビジネス・チャンスではございませんので」
男たちの顔つきが、私たちを部外者として認識し出したように、こわばった。
これは、まずいんじゃないのかな……。
私は気がつくと、ルパンから手を離していた。
「どうした?」
そのとき、男たちの背後からひとりの男性が姿を現した。マスクをつけているので、目元は見えない。でも、とてもスタイルがよく、すらりとした長身だった。仮面をつけていても、雰囲気のある男性だった。ブラウンの短髪。前髪を後ろに流している。自信に満ちた形のいい唇。背はルパンより少しだけ高く、白のタキシードを着ている。
「ルカ様……この男が」
警備の男のうちのひとりが、ルカと呼ばれた男性にひそひそと耳打ちをする。
ルカ。ルカ・ベルトリーニ。この男が? そんな、まさか、こんなに早く出会えるなんて。
ルカは男の話が終わると、ルパンと私を見、にこりと営業的な笑みを浮かべた。
「ルーピンさんとおっしゃいましたか。美術商の方だそうで」
「これはルカ様。お会いできて光栄です。じつは、掘り出し物の絵画を見つけまして。ぜひベルトリーニ様にお見せしたく、図々しくもこちらに参りました」
すらすらと淀みなく述べるルパンを、ルカはおもしろそうに眺めている。
「ふむ
「ベルトリーニ様といえば、美術品にお目が高いと評判ですので」
私はふたりのやり取りをはらはらしながら見守っていた。なるべくその不安を表には出さないように。
ルカはふ、と片方の口端を上げる。
「その掘り出し物の絵とは?」
「フランツ・コーエンの『ヴィーナスの憂い』」
「ほう」
『ヴィーナスの憂い』。ルネサンス期に描かれた女神の絵。当時は有名ではなかった絵だけれど、最近になって色遣いが良いと評価されている絵だった。一度だけオークションで見たことがある。ルパンはいつの間に『ヴィーナスの憂い』なんて手に入れたのだろう。
ルカは興味を持ったように笑みを湛えたまま、しばらく考えていた。やがて口を開く。
「ちょうど私も『ヴィーナス』には興味があったところです。いずれ詳しく話を伺いたいものだ」
ルカは、男に私たちを中へ入れるよう手で指示した。
「良いのですか? 身元の知れぬ者を」
「かまわん。この警備の中で妙なことができる者などいないだろう」
ルカはそう言って、男たちから私に視線を移す。アイマスク越しにじっと見透かされるような目つきだった。薄いブルーの瞳。ひたすら真っ直ぐな目線。
私はとっさに、目を反らしてしまう。なんだかこの目は、苦手だった。何もかも見通されているような、そんな気がしてしまう。
「あなたは?」
「恋人のユキコです」
私の代わりにルパンが答える。
「恋人、ね。
ルカは私たちの前から去り、警備の男たちは渋々といったようすで、ルパンと私を中に通した。
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(15.8.15)