Ⅴ. 偽りだらけのパーティは、コーラルピンクのドレスを ... 3



 視界が急に明るくなる。豪華な電灯がいくつも取り付けられた廊下を進む。私は小声で訊ねた。

「ばれなかったかな?」
「ん? 大丈夫だろ」

 ルパンのようすはいつもと変わらず、軽い。

「しっかしあいつは相当な自信家だな、あのルカってやつは。くっそー、予告状出しとくんだった。あいつの出鼻をへし折ってやりてぇ」

 ルパンはぱちんと指を慣らし、悔しそうに眉をしかめる。いつものルパンの調子に、私の不安と緊張は解れた   のだけど。
 広いホールに出た途端、人の多さと照明の眩しさに、立ちくらみがした。マスクをつけ、着飾った人、人、人。彼らを照らす天井の豪華すぎるシャンデリア。さまざまな香水の匂いと食べ物の匂い。会場を包む、モーツァルトの生演奏と人々の談笑の声。それらすべてが、私の五感を狂わせる。目はちかちかするし、耳はわんわんと奇妙な共鳴が響いているし、鼻はねじ曲がりそう。

「大丈夫か?」

 目まいがしそうになる私の頭に、ルパンの声が割り込んでくる。不思議と安心する声。

「……やっぱり……私には場違いすぎるよ……」

 声を落とす私の手を取って、ルパンは言った。

「まあまあ、じきに慣れるって。ほーら見ろよ、美味そうなメシだぜー?」

 私の手を引いて、ルパンは料理の載ったテーブルに行く。見たこともない華美な飾り付けの料理が並んでいる。たしかに惹かれるけれど、今はまだ喉を通りそうにない。そこにボーイがやってきて、トレイの上のグラスを差し出してきた。ルパンがふたつ取って、ひとつを私に渡してくれる。
 ルパンに促されるままにグラスを合わせ、一口飲んでみると、アルコールで頭がクラっとした。でも、緊張は少しずつ解れてゆく心地がした。

「ルーピンはLUPIN、でしょう? でも、ユキコっていうのは……どこから思いついたの?」

 アルコールと人に酔った勢いで、私は訊いた。

「昔の女の名前」
「ええっ?」
「冗談だよ。んなデリカシーのないことするわけないでしょうに」

 そうかな。ルパンならやりかねない。一瞬でも、ルパンのことを薄情だと本気で恨んでしまった。

「昨日、次元が読んでた新聞に出てたんだよ。日本のアイドルの名前。イタリアで人気急上昇中なんだと」
「……ああ、そう」

 私が呟くと同時に音楽が鳴り止み、照明が抑えられていく。代わりにステージにライトがあたる。会場の人々がホールの一点、ステージ上に視線を集めた。そこに、先ほど会ったルカと、もうひとりの男性が現れる。ルカよりもやや背が低く、掘りの深い目元に高い鼻。白髪交じりのブラウンの髪は短く、清潔的。顔には皺が刻まれているので六十代くらいなのだろうけど、若々しいオーラを放っていた。黒の燕尾服が似合っている。一言で言うならダンディなおじさま。彼がおそらく、ベルナルド・ベルトリーニ。
 彼もルカも、今はマスクをつけていなかった。

「本日はお集まり頂きまして誠にありがとうございます」

 スタンドマイクの立ち、話しはじめたのはベルナルド。

「皆さんのご支援、ご協力、ご愛顧により、ベルナルド・ベルトリーニは創立二十周年を迎えることができました。心から感謝を申し上げます。またこの節目の年に、ヴェネツィアに大型店舗を    

 ちらりと隣のルパンの顔を見上げると、退屈そうに料理のほうを眺めていた。周囲を視線だけで見渡すと、皆ステージ上の華やかな親子に目を輝かせている。特に若い女性は、ベルナルドの後ろで手を前に組むルカに、うっとりとした視線を投げかけていた。たしかに、マスクを取ったルカは、モデルといっても過言ではないくらい整った顔をしている。
 ぱっと見ただけでは、眉目秀麗のお金持ちの親子に見える。でも、まさか、彼らが父さんの美術品を奪ったのだろうか。このパーティーで、何か手がかりが掴めないだろうか。
 我に返ったときには、ベルナルドのスピーチは終了しており、ルカがマイクの前に立っていた。左手に持ったシャンパングラスを掲げる。

「重ねまして、本日は私どもの創立二十周年記念パーティーにお越し頂きありがとうございます。私どもは、完璧な品質、完璧な着心地や使い心地、そして完璧な美を求め、心がけ、ファッションを創って参りました。これからもベルトリーニを愛してくださる方々のため邁進して参りたいと思っております」

 ルパンが言っていたように、ルカ・ベルトリーニは自信家らしい。挨拶からもそれが窺い知れた。これだけ容姿が整っていて、お金もあれば、そうなるのだろうなあ。

「では皆様のご健勝を祈念し    乾杯」

 乾杯、という人々の声がホールいっぱいに響き渡る。私は声は出さずにグラスだけを掲げた。ルパンも無言でシャンパンを飲んでいた。私も、もう一口だけシャンパンに口をつける。アルコールが喉を通り、焼けつくように喉と胃を刺激した。もう飲むのは止そう、……。

「では、先に料理はお楽しみいただいていると思いますので、早速ですが舞踏会に移されていただきます。最初の一曲はどうぞ、皆様お楽しみください」

     うん? 舞踏会?
 ルカの一言で、会場内の雰囲気ががらりと変わった。少し堅苦しかったものが、興奮や楽しさに満ちたものへと一変する。人々は皆、いつの間にか自分のペアと向き合っていた。慌てる私の正面にルパンがやって来る。

「じゃ、お姫様。一曲お願いできますか」
「え、ええ? ちょっ、待って    舞踏会なんて聞いてないよ。私、ダンスなんてできない」

 舞踏会なのだと聞いていたら断っていたかもしれないのに。私の抗議など聞かず、ルパンは私の腰に右手を回し、私を引き寄せる。そして、私の右手を取って、自らの左手と重ねた。私がぼんやりしたままでいると、ルパンはいったん私の腰から手を離し、宙ぶらりんになっている私の左手を取って、ルパンの肩へと置かせた。

 うわあ、これ、だめだよ    

 心臓が割れてしまいそうなほど早く動いている。先ほどルパンと腕を組んだくらいで緊張していた自分が可愛らしく思えた。全身が脈を打って、身体中が熱い。ルパンと私の距離はゼロセンチメートル。ぴったりとくっついた身体から、繋いだ手から、腰に回された手から、ルパンの温もりが伝わってくる。そして、ほのかな煙草の香り   ルパンの匂い。
    卒倒しそう。

 やがて、ゆっくりと音楽がはじまる。ヴァイオリンの音が美しい、スローなテンポのワルツ。

「ダンスなんてのはな、大事なのは雰囲気だって」

 私はルパンを見上げた。すぐ近くにある顔は笑みを浮かべている。
 ルパンはゆっくりと音楽にのりはじめた。私も、ぎこちなくルパンの動きの合わせて足を動かす。ルパンの足を踏まないようにするのが精いっぱいだった。上手く踊れている自信がまるでない。逃げ出したかった。
 頭がぼうっとしてしまうのは、シャンパンのせいだけではないのだと思う。身体から心が離れてしまったみたい。まるで実感がなかった。こうしてルパンと身体を密着させて、ダンスを踊っている、だなんて。マスクがあるのが幸いだった。
 ルパンとの距離が、こんなにも近い。ルパンに近づきたいと手を伸ばしても伸ばしても届かなかったのに、今はこんなにも近くにいる。

 照れくささや幸福感や切なさが、ごちゃ混ぜになっていた。ルパンと触れ合えている喜び。でも、これは偽りの舞踏会。仮面を脱いだら、夢が覚めてしまう。この緊張感から解放されたい一方で、このまま時間が止まれば良いのにとも思った。
 ああ、きっとこのときのことは、あとでたくさん想い出すのだろうな。今までも、ルパンとは美しい景色を一緒に観たり、食事をしたり、ドライブをしたり、忘れられない想い出がたくさんあったけれど。これほどルパンを近くに感じたことはなかったもの。ルパンの息遣い、煙草の匂い、温もり。ルパンの心臓の音も聞こえてきそうな距離。できれは目を閉じて、ゆっくりと噛み締めたいけれど、ダンスをしている手前、それはできなかった。

 音楽にのって身体を動かしていると、少しずつ緊張が解れてくる。落ち着きを徐々に取り戻してきて、足が動くようになってきた。ダンスがそれなりに形になるようになってきた、ような気がする。たぶん、ルパンのリードがうまいのだと思う。私はルパンの身体の動きに合わせて踊っているだけだもの    むしろ、踊らされているような心地。
 でも、ちょっと楽しいかも。ダンスって。心にゆとりができた私は、視線を上げてルパンを見た。ルパンは変わらず微笑んでいた。

「やっと笑った」

 ルパンに言われて、私も自分が笑顔を浮かべていることに気がついた。

、今日はずーっと堅ーい顔してたもんなぁ。せっかく綺麗な格好してんのに」
「……格好だけ、ね。やっぱり私には、こういう場所も、綺麗なドレスも、似合わないよ。肩が凝っちゃう」
「そりゃあ悪いことしたな」

 でも、とルパンは笑みを浮かべる。

「ドレスはよく似合ってるよ」

 私はルパンの言葉に足を止めてしまいそうになる。
 ルパン、いま、なんて言ったの……?

いつの間にか、曲が変わっていた。クラシックのスローワルツから、アップテンポの軽快な曲。私は頭が真っ白になって、「そんなことないよ」も「ありがとう」も言えないでいた。言う前に、ルパンが先に口を開いた。

「んじゃ、俺はちょーっくら偵察してくっから」

 ルパンは私の耳元に顔を近づけて囁く。

「て、偵察?」
「すぐ戻るから。料理でもつまんでてくれよ」

 ルパンは私をそっと解放した。私の両手は名残惜しそうに空を泳ぎながら、落ちた。ルパンは素早い動作で人々の雑踏に姿を消してしまう。
 私は、呆然としてしまった。ふつう、こんな場面で、私をひとりにする? 周りには知らない人だらけ、しかも正式な招待で来ているわけじゃないのに。
 つい数分前までは、あれほど幸福な気分に浸っていたというのに。怒りと呆気にとられた気持ちと不安とがいっぺんに押し寄せてきて、私を戸惑わせた。その悶々とした気持ちを吹き消したくて、ボーイの持っていたカクテルをもらい、飲んだ。熱い液体が喉を通っていくのが今は少しだけ心地よい。甘いカクテル。ピンク色   チェリーだろうか。

 解放されてほっとした。あんなに密着しているのは心臓に悪いもの。
 だけど。
 私は両手と、胸と、    ううん、全身に残っているルパンの感触を確かめた。
 このもりだけは、どうか逃げないで、……。

 

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(15.8.15)
ユキコというのは『Green VS Red』から拝借。初代不二子の声優さん二階堂さんの名前でもあります。