Ⅴ. 偽りだらけのパーティは、コーラルピンクのドレスを ... 4



 料理に手をつける余裕もなくただぼんやりとしていると、女性たちの「わぁ」「すてき」という高い声が近くで聞こえ我に返った。声が上がったほうを振り向くと、ルカ・ベルトリーニがこちらに向かって歩いて来るところだった。今は仮面をつけているのに、佇まいと雰囲気で、彼だと判った。周囲の女性はうっとりとした表情で、ルカの足取りを追っていた。
 驚いたことに、そのルカは私の目の前で足を止めた。

「踊っていただけませんか?」

 彼の言葉にさらに驚く。周りの視線が痛いほどに私に集まるのを感じた。

「いや、でも……私なんて……あまりダンスは得意ではないですし」
「私もですよ。しかし、先ほどは踊られていたでしょう?」

 見ていたんだ。ルカのブルーの瞳に真っ直ぐ見つめられ、私は目をそらしてしまう。あれはルパンのリードが良かったから、と答えようとして、言葉に詰まってしまった。
 もう。ルパン、どこに行ったの。早く戻って来て、……。

「あなたのパートナーでしたら、別の女性に声をかけていましたよ」

 私の心を読んだかのように言うルカに、はっとして視線を上げる。彼はどこか、挑発的な笑みを浮かべていた。
 ここでも女性を口説くルパンにも腹が立ったけれど、それを私に告げるルカにも、少し憤りを感じた。そんなことを、言わないで欲しかった。知りたくなかった。さっきのダンスでひとり舞い上がっていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきてしまう。先ほどまでの幸福感からの、落差が大きかった。胸がずきずきと痛む。なんだ、私とのダンスはただ周りの雰囲気で躍っただけで、結局自分は、好みの女性を探しに行っちゃったのか。
 ルカは私の前に左手を差し出した。周囲からざわめきが起こる。ざわざわしているのは私の胸の内も同じ。
 どうして一流ブランドの御曹司が、私なんかをダンスに誘うのだろう。私が本当はこの場に相応しくない、ただの庶民だと見抜いて、からかおうとしているのだろうか。
 ここで断れば、彼の面子を潰すことになる。それは避けたほうがいい。彼と踊っても目立つだろうけれど、断るよりもましだと思った。。

    わかりました」

 もうなるようになれ。私は半ば自棄で答える。どこかの美人と一緒にいるかもしれないルパンにいらいらしていたし、傷ついていたのもある。でも、このままルカと会話ができたら、父さんの絵について何か聞き出せるかもしれない、とも思いついた。
 私はルカの手を取った。彼は、先ほどのルパンと同じように、左手を私の右手に絡め、右手を私の腰に回した。ルパンのときほどではないにせよ、緊張する。ほぼ初対面の男性と、こんなふうに身体を密着させるなんて。しかも、相手はお金持ち。とびきりの美男子。
 曲は、ヴォーカル入りのバラードだった。女性シンガーが、これ以上ないくらいにロマンチックに歌い上げている。必然的に会場内のムードも曲調と同じように変わった。照明が落とされ、ピアノとアルトサックス、女性の歌声がしんみり響き渡る。
 できれば、ルパンとこの曲を踊りたかった    なんていう考えが頭をちらついて、すぐに否定した。もしかすると、ルパンも会場のどこかで素敵な女性とダンスしているかもしれない。

 心なしか、ルカとの距離が近いような気がした。女性たちからの視線も、痛い。彼の首元からは爽やかで甘い香水の香りがする。ダンスは得意ではないと言っていたくせに、この人もリードがうまい。ルパンはどこか適当に音楽に合わせている節があったけれど、ルカはひとつひとつの動作がゆったりとしていた。たぶんこれが正式な“型”なのだと思う。私の腰に回された手も、ゆっくりと動かす身体も。私を丁寧に扱ってくれている感じがする。
 この人もルパンと同じで、女性に慣れているんじゃないのかな。それとも大抵の欧米の男性はダンスがうまいものなのかな。

でも。ルパンと踊っていたときとは違い、私の思考はクリアだった。緊張はするけれど、卒倒しそうになっていたあのときとは、ちがう。

「ルーピンといった彼は、本当に恋人ですか?」
「えっ?」

 囁くほどの小さな声なのに、私の耳にはしっかりと届いてきた。ルカの吐息と共に耳にかかって、どきりとしてしまう。

「失礼。正直に申しますと、そうは見受けられなかったので」
「……どうしてそう思うんですか?」

 なるべく冷静に、訊いた。

「ひとつに、あなたが彼と一緒にいてもあまり楽しそうには見えなかった。もうひとつは    あなたのように美しい恋人がいるのに、あなたを放っておく彼の心情が、理解できない」

 “美しい”だなんて見え透いたお世辞をどうも。その皮肉は内に抑えて、なるべく上品に見えるように笑っただけに留めた。
 私、楽しそうに見えなかったのかな。緊張していたからかもしれない。
 本当はもっと、ルパンと一緒にいたかった。豪華な料理も、ロマンチックな音楽も、ハンサムな男性とのダンスも   ルパンとの時間に比べたら、色褪せてしまうのに。
 口を閉ざす私に、ルカは続けた。

「外に出ませんか? バルコニーから見る星空の下で、ダンスの続きを」

 

 ルカに連れられてやって来たのは、屋敷のニ階にあるバルコニーだった。広々とした空間で、大きな庭を一面に見渡すことができる。
 私は、ルカの誘いを断らなかった。ルパンに呆れていたのもあるけれど、父さんのことを探りたかった。何か小さなことでもいい。ほんの些細なことでも。
 パーティー会場の雑踏から離れると、ほっと身体の力が抜けていく。爽やかな夜風が、熱気やアルコールで火照った身体に吹きつけ、気持ちが良い。微かに生演奏の音楽が聞こえてくる。空には優しい光を放つ月。その光に広大な屋敷の庭が照らされていた。丁寧に刈り込まれた草木。遠くに見える門と、その門へと続く舗装された道。少し離れた先には一階建ての広い建物。たぶんワイナリーだろう。
 これが有名ブランドのオーナーが持つ別荘。人はお金を持つと使いたくなるのかな、と思った。華美な服装、使用されていない部屋や車、私の部屋の家賃の何か月分かもわからない、高級な装飾。何の意味があるのだろう。誰かに『自分はお金を持ってますよ』と見せびらかしたいだけ? それとも、自己満足? 私には、理解できない。でも、そんな私も、高いドレスやアクセサリーを身につけて、浮かれてしまっている、……。

「どうしました?」

 バルコニーの大理石に手をついてぼんやりしていた私に、背後からルカの声がかかる。

「あ、いえ……素晴らしいところですね」

 考えていたことをそのまま口にしては失礼なので、取り繕って言った。ルカは私の隣に並ぶ。

「本当にそう思います?」

 ルカを見上げると、口元に苦い笑みを浮かべていた。私が本心を言っていないことに気がついている。そんな笑み。
 嫌だな。この、見透かされている感じ。

   素晴らしく広いところだと思います」

 私が目をそらすと、彼は「ははは」と笑った。

「私は、こんなもの自体には価値がないと思っていますよ。広すぎる庭も家も、華やかすぎる飾りも」

 先ほど私が考えていたことに近いことを言葉にされ、どきりとしてしまう。

「しかし、上流階級が身につけるブランドであるからには、自らはさらに上の階級でなければいけない。庶民の目からすると、一見無駄なところにも金銭を使わなければいけないんです」
「……そうでしょうね」

 日本人である私には、“階級”ということがしっくりこないけれど、ヨーロッパでは依然残っているものらしい。高いブランド品を持つ人は、上流階級。すなわち、地位やお金のある人々。

「ただ価値のないものばかりを求めていても虚しい。だから私は、価値ある美しいもの   美術品や骨董品を集めているんです。それに、美しいものに囲まれて暮らすと、美しいものを創り出すことが容易な気がしています」

    美しい『美術品』。ここからきっかけに、探りを入れられないかな……。

「私も    美術品は、とても好きです」
「それで、あの美術商の男と一緒にいるのですか?」

 少し迷って、頷いた。さりげなく会話を操作できないかと頭を働かせる。

「そうです。でも、私自身も美術商をしていて」
「そうでしたか」
「いつか、自分が気に入った作品を集めてギャラリーを開くのが夢なんです」

 嘘がすらすらと出てくることに驚いた。でも、そういう生活も良いかもな、と思ったことがあるのは事実。

「色々と探しているうちに、彼   ルーピンと出会ったのですが……彼は、私が欲しい作品は持っていなかった」
「あなたが欲しいもの、とは?」

ルカは興味深そうな笑みを浮かべながら私を見ている。
 もうあとには引けない。

「そうですね……たとえば、『オーディンの王冠』や、『アルノ川の春』」

 なるべく抑揚をつけないように答える。ルカの反応を静かな目線でじっと見ていると、彼は笑みを広げた。

「『オーディンの王冠』……北欧神話に基づいて作られたという冠ですね。しかし、実在するかは不明。幻ともされている」
「そうです。でも、その王冠を題材にした絵がいくつか残っていて……とても美しい絵だったので、実物があるのなら見てみたいと思っていて」
「私もです。実在するのならぜひとも欲しい。ただ、『アルノ川の春』ならば私が所持していますよ」
「えっ?」

 彼があまりにもさらりと言ってのけたので、拍子抜けしてしまった。

「けっして有名ではありませんが、美しい絵です」
「ベルトリーニさんが持っているなんて。どちらで手に入れたんですか?」

 はやる気持ちを抑えてゆっくり訊ねると、ルカは声音に甘さを含ませて言った。

「どうぞルカ、と呼んでください」

 その微笑みに、心臓がぐらりと揺れる。男性として整った笑顔でもあるのだけど、……少し、怖い、と思った。
 ルカは、続ける。

「あの絵は、元の持ち主が不幸にも亡くなって、私が引き取ったんです」

 “不幸にも亡くなって”?
 鼓動が早鐘のように鳴り出す。
 こいつ、はぐらかすかと思ったのに、真実を堂々と答えている。『元の持ち主はあなたが殺したんですか?』と訊いたら、答えてくれるだろうか。それとも、何も知らないからこそ、見聞きしたことを告げているだけなのだろうか。

「あなたは、いつあの絵をご存知になったんですか?」

 どことなく探るような目つきでルカは訊ねてくる。

「子供のころに観たことがあったんです。幼心に一目で気に入ってしまって。私、あの絵が好きでフィレンツェに来たんです」
「それほどお好きな絵なら、差し上げますよ」

 さらっと言うルカに、私は呆気に取られて固まってしまった。

「そんな……だって……大切な絵でしょう…?」

 震えないように声を出すのが精いっぱいだった。

「もちろん気に入っていますよ。ですが、今はもっと大切なものが手に入りそうな予感がするんです」

 ルカはまっすぐに私の目を見た。マスク越しなのに、そらせない、強い瞳で。あまりに真正面から見つめられると、居心地が悪い。

「その仮面、取っていただけませんか?」

 ルカは静かに、言った。

 

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(15.8.22)