Ⅵ. パープルのシャドウと再び仮面舞踏会 ... 2



 ルカは苦笑いを浮かべながら近づいてきて、座ったままの私に腰をかがめて頬を合わせてくる。イタリア式の挨拶に慣れない私は、身体を強張らせてしまった。ぎこちない動作でそれに応える。

「すまない、待たせてしまって」
「いいえ。こちらこそお忙しいのにお呼び立てしてしまって、すみません」
「いえ、あなたのためならいつでも時間を作ります」

 こういうストレートな表現に免疫のない私は、胸をどきりとさせてしまう。誰かさんの冗談なら、多少聞いたことがあるけれど、ルカが冗談で言っているとは思えなかった。情熱的なイタリア男性からすると、こんな文句は常套手段なのだろうけれど。
 まず料理を注文しようということで、前菜、スープ、メインのシーフードを、ルカの薦めで頼んだ。

「やはり、昼間のあなたも美しい」

 前菜のサラダを食べていた私は、真っ直ぐなルカの視線にうろたえてしまいそうになる。この前のパーティでつけた仮面があったらな、と心の底から思った。

「イタリアの男性はお上手ですね」
「心外だな。私は本気なのに」

 ルカは真っ直ぐに私の目を覗きこんでくる。透き通った薄いブルーの瞳、……。

「あなたの目は綺麗ですね。吸い込まれそうだ」

 どうして照れもせずにこんな台詞を言えるんだろう。お世辞なのか本気なのか、大袈裟に言っているのかわからないけれど、赤面してしまう。私は彼から視線を外し、ぬるくなった紅茶に口をつけた。

「そんなこと、はじめて言われました」
「そうかな? 今まであなたの周りにいた男性を疑いたくなる」

 ルカの立て続けの賛辞に、私は言葉を失ってしまう。
「しかし、嬉しかったですよ、あなたから電話があったときは。そろそろ本当の名前を教えていただけませんか?」
   、です」

 少し迷ったけれど、隠しても無駄だろうと思って、正直に答えた。

。良い名前ですね」

 甘い調子を含ませて言うルカ。彼のペースにはまってしまう前に、本題に入らないと。前菜に続いてスープが運ばれ、適当に口をつけたところで、私は思い切って切り出した。

「それで   『アルノ川の春』のことなんですけど」

 ルカはスプーンを持っていた手を止め、目を細めて私を見る。

「それが目当てで私を誘ったのですか? 罪な人だ」

 肩をすくめて笑うルカに構わず、私は続けた。

「その絵の持ち主が、『不幸にも亡くなって』とおっしゃっていましたよね。どういうことなんでしょう? 私は絵が気に入っていたのですが……曰くつきのものなら怖いなと思って」
「曰くつき……まあ、そうですね。あの絵の持ち主は、代々不幸な死に方をしているんですよ」

 『アルノ川の春』にそんな話あったっけ。父さんが持つ前は、イタリアのオークションで競りに出されていたけれど、その前のことは知らない。私が眉をひそめていると、ルカはくつくつと笑った。

「冗談ですよ、失礼。ですが、以前話した通り、前の持ち主が亡くなっているのは本当です。殺されたんですよ」

 ルカが何の気なしに言ったので、私は「えっ」と声を上げてしまった。この場面で驚くことは不適切じゃないので、私もそのようすを隠さなかった。この人、どういうつもりだろう。自ら真実を語ってくれるのだろうか。

「殺された……?」
「ええ。何年か前に。たしか、三年くらいだったかな。私がニューヨークにいたときです。この絵を持つ男性が通り魔に襲われて、殺されたんですよ。血塗られてしまった絵に買い手がつかなかったので、私が買い取ったんです」

 しれっとルカが述べる。
 “買い手がつかなかった”? 違う。父さんの美術品はすべて“奪われた”。父さんの偽りの不正にかこつけて、ブローカーたちが奪い去っていった。
 でも、どういう経路か、ルカが“買い取った”。本当に? やはりこの人、何かを知っている気がする。
 私は、父さんの絵や骨董品がすべて持ち去られてしまった、がらんとしたギャラリーを思い出した。それまで美しい美術品に溢れていた部屋が、単なる石造りの無機質な部屋に変わってしまったようすを。悔しくて悲しくて憎くて、冷たい壁に囲まれて泣いた、あの日々。
 当時の気持ちがむくむくと這い上がってきて、それを必死に押しとどめるのに精いっぱいだった。
 ちょうどそのとき、ウエイターがメインディッシュを持ってきた。オマール海老のパスタが美味しそうに湯気を昇らせている。
 幾分冷静さを取り戻して、ウエイターが去ってから、私は言った。ルカにさらに語らせるために。

「かわいそうですね……そのオーナー」

 ルカは食べましょう、と促してから言った。

「ところがね、一概にそうとも言えないんですよ。その男は不正に美術品を入手していたらしく、恨みのある人間に殺された、という説が有力でね」

 ここまで知っているなんて。まさか本当に、父さんを殺した犯人に関わっているのだろうか。万一にも、張本人    なんていうことは。ううん、まさか。有名ブランドのオーナーがそんなことをするだろうか。もしばれたら、ルカの人生も、『ベルナルド・ベルトリーニ』自体も、終わってしまう。
 私はテーブルの下で両手の拳をぎゅっと握りしめた。絵の修復をしているから爪は短く切りそろえているのに、手のひらに喰いこんで痛みを感じる。でも、心の痛みには一ミリにも及ばない。

「……殺されるほどの恨みなんて……美術品を扱ううえで、あるでしょうか?」

 声が震えないように気を配って、客観的に聞こえるように訊ねた。ルカが父さんを殺した人間と関わりがあるかはわからないけれど、こんなふうに父さんを悪く語るのは腹立たしい。怒りでお腹がきりきりする。核心に迫ってきた緊張感と憤りで、身体中が脈打っていた。

「その男が、強引な手段や暴力的な方法で誰かから絵を奪っていたとしたら、あり得る話かもしれません」

 そんなはずない。声を上げてしまいそうになるのを、すんでのところで堪える。これは私の父さんの話じゃない。第三者の視点で聞かなきゃ。その言葉を、何度も何度も心中で繰り返す。

「強引な方法や……殺害という手段をとってまで、手に入れたい美術品があった……のでしょうか。私には解かりません」
「あくまで仮定の話ですよ。真相は闇の中らしいからね。ただ、他人の命を奪うほどの価値のある美術品、というのは世の中にあるようだ。物騒な話ですがね」

 “他人の命を奪うほどの価値のある美術品”。つまり、父さんは知ってか知らずか、命を狙われるほどの価値のある美術品を、手にしていた? そして、それを狙った者に殺された、ということ? そんなもの、父さんのコレクションにあっただろうか。帰ってもう一度、父さんのコレクションのリストを見てみよう。
 もう少しルカから話が聞けないかと考えを巡らせていたところで、彼が言った。

「さあ、明るくない話題はこれくらいにして、メインディッシュを頂くとしよう」

 それからは、お互いの話をした。もちろん私は当たり障りのない範囲のことを。ルカは、ニューヨークに留学してファッションや経営について学んだこと、日本にももっと店舗を増やしたいと思っていること、どこに出店するのが良いか、美術品を集めてギャラリーを作ろうとしている、ということを語った。ギャラリーはベルトリーニのミラノ本社に併設し、来月のオープンに向けて目下準備中なのだという。『アルノ川の春』もそこにあるのだとか。もしかすると、ルパンが狙っている『青の結晶』も展示されるのだろうか。

「でも、そのギャラリーに展示されるのに、『アルノ川』を私に売ってくださるんですか?」

 私たちは食後のコーヒーを飲みながら話をした。

「そうですね。他ならぬあなたの頼みなら考えても良いです   ただし」
「ただし?」

 ルカは笑みを浮かべてコーヒーをすする。やはり、ただでは譲ってくれないか。
 ルカは、「いえ」と首を横に振った。

「いずれお話しましょう。まずは一度、ミラノ本社に来てみませんか? 『アルノ川の春』の他にも自慢のコレクションがありますので」
「そうですね、見てみたいです」

 もしかしたら、そこで『アルノ川』が手に入るかもしれない。頷く私に、ルカは微笑む。

「私は今週いっぱいはフィレンツェにいます。また金曜日に、今度はディナーでもどうですか?」

 少し迷って、私は「はい」と答えた。もう少し詳細の話を聞き出したい。この調子なら、真相がわかるかもしれない。ルパンに頼らなくても、……。

「芸がないようだが、この店はディナーも格別なんです。夜景も素晴らしい。またこの店で、どうでしょう? そうだな   八時では?」
「ええ、大丈夫です」
「それは良かった。楽しみにしていますよ」

 笑みを広げるルカに、私も笑みで答える。美術館の仕事で培った、社交的な笑みを。

 

 お店の会計はルカが支払ってくれた。彼は車を広場の駐車場に停めているというので、家まで送りましょうかと提案されたけれど、断った。寄っていくところがあるから、と。本音は、ルカと車内でふたりきりになりたくなかったし、アパートの場所まで特定されたくなかった。

「わかりました。では金曜日に」

 両手で肩をつかまれたので、またキスされるのかと身構えてしまったけれど、頬と頬を合わせる挨拶だった。ああ、この挨拶慣れない。再び不自然に応じると、ルカは手を振りながら去って行った。
 ルカの背が消えてしまってから、どっと身体が石になったように重くなる。はあ、と大きな息を吐いて、広場の奥、街が見渡せる場所まで歩いた。石造りの柵に身体を預け、吹き寄せる風に顔を差し出す。
    疲れた。脳をフル回転させていたから頭の中がぼんやりとするし、変な笑みばかり浮かべていたから口角の筋肉がひくひくする。料理の味もまるで覚えていない。
 やっぱりあの人、苦手だ。私のことを何もかも見抜いていそうな、透き通っているのに鋭い目。モデルのような顔とスタイル。ストレートな物言い。腹の中では何を考えているのか、わからない。私の本心はばれていないと思うけれど、何度も会っているとぼろが出てしまいそう。あとニ、三回でつかめればいいけど。

 フィレンツェの赤い屋根の合間をぬって、風が吹きつけてくる。優しく温かな春風。気持ちいい、……。
 ふと風の匂いの中に煙草の匂いが混じる。私は何気なく左を振り向いた。「よぉ」と隣の人物は言った。

「っ   !」

 もう少しで大声を上げていたと思う。完全に無防備だったし、“彼”がここにいると思わなかった。

「じ、次元! どうして、ここに」
「食後の一服だよ」

 次元は親指で、背後のワゴンを指差した。パニーノが売られているワゴンだった。私は身体の力が抜けて行って、石の柵に額を押しつけて身体を支えた。それまでの緊張感が一気に飛んでゆく。
 びっくりした、……。

「おい。おまえ、また仮装パーティーの続きのつもりか?」

 次元の言葉に顔を上げる。ワンピースにヒールの高い靴。たしかに、いつもの私の格好とは違うけれど。

「仮装とは失礼じゃない?」
「さっきの男    ベルトリーニの御曹司だろう?」

 私の抗議を無視して、次元は訊ねる。私は顔を引きつらせてしまう。
 次元、見ていたのか。どこまで見られていたんだろう。あれ、でも、次元はどうしてルカの顔を知っているのだろう。次元はこの前、会場には入っていないはずなのに。

「ルカのこと、知ってるの?」
「写真で見た」
「ああ、そう……」
、おまえ、どういうつもりだ? 今回のターゲットと会う、なんざ」

 居心地が悪くなって、私は次元から視線をそらす。

「べつに。食事に誘ってくれたので……美味しいものでも食べられるかなあと」
「これだから女はわかんねぇぜ。惚れてもない男とメシ食って楽しいか?」

 全然、楽しくない。私はその言葉は胸の内に留めた。

「楽しいときもあるよ。私、次元とカプリ島で夕食を食べたとき、楽しかったもの」
「おまえがワインで酔っぱらいかけたときか?」
「酔っぱらってないってば」
「たいして飲めねぇくせに立て続けに飲みやがるから、ぶっ倒れるかと思ったな。俺は全然楽しくなかった」
「ひどい」

 次元の顔を見ると、薄く笑っていた。『楽しくなかった』のところは冗談、だと良いなと思う。私も笑った。
 身体の中の嫌な気だるさが解けていくような心地がした。

 

 もうしばらく広場で煙草を吸うという次元と別れ、私は早足で帰路についた。絵の修復に取りかかりたかったし、調べものもしたかった。
 アパートの自室に戻り、一目散にパソコンを立ち上げ、寝室へと向かう。ベッドの下から一冊の分厚いファイルを取り出した。父さんが集めていた美術品、その写真をすべて、ひとつのファイルにまとめていた。
 誰かが執拗に狙ったり、父さんを殺したりするほどの美術品があっただろうか。私はファイルのページを何度もめくって、確かめる。父さんは逆恨みや誤解で殺されたのだと予想していたけれど、コレクションを奪うために、父さんは殺されたというの?
 父さんが所持していたもの百点。改めてインターネットで調べてみても、それらしい品は出てこなかった。私は唇を噛む。公にされていないことは、私には調べるすべはない。でも   ルパンなら、何か知っているかもしれない。
私 はパソコンの電源を落とした。ルパンに頼らなくてもいいように自力で調べはじめたというのに。結局。私の力だけではなにもできないの? 父さんの絵を取り戻すことも、父さんの死の真相を調べることも。

 とりあえず今は、手を動かしていたい。私は布をかけてあった『エリザベス一世』の絵を取り出す。彼女の色や傷はほぼ修復できた。たぶん、作業は今日明日で終えられる。
    あなたが羨ましい。
 作業をしながら、私は女王に話しかけた。心から誰かに愛され、色づけられたあなたが。
 エリザベス女王の傷は埋められても、私の心の穴は埋まりそうになかった。

 

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(15.8.26)