◆◆◆another side◆◆◆






 フィレンツェから少し北に離れた小さな街。次元は、慣れた足取りで狭い小道を通り抜けて行った。煙草から立ち上がる灰色の煙が、しだいに濃さを増していく闇に溶けていく。次元は月明かりを頼りに歩いた。
 アジトにしている借家に戻ると、ルパンがパソコンの画面を睨みつけていた。右手にはオールド・ファッションド・グラス。
 次元は、買ってきたバーボンの瓶を置こうと、ローテーブルの上を見た。テーブルの上は、文字や記号が書き込まれたどこかの見取り図が占領していた。ルパンの背中に問いかける。

「なんだ、これ?」

 ルパンは数秒ののち、椅子をくるりと回転させ振り向いた。

「ベルナルド・ベルトリーニ本社の見取り図だ」
「ほお」
「さーすが警備は厳しそうだな」
「銭形を呼んだのか?」
「いんや。だが、とっつぁんなら嗅ぎつけて、ローマにいるらしい」
「相変わらず勘がいいこった」

 次元は鼻で笑い、キッチンに行きグラスを取った。中にロックアイスを入れ、ローテーブルを囲むソファに座る。ルパンは再びパソコンと向かい合っていた。
 次元は机の上に広げられた見取り図をぼんやりと見つめながら、先ほど購入したバーボンをグラスに注ぐ。
 『ベルナルド・ベルトリーニ』。今回のターゲット。
 バーボンにちびちびと口をつけながら、次元はちらりとルパンに視線を動かした。ルパンが右手に持つグラスの氷は既に溶けてしまっている。食い入るように見つめるパソコンで、ベルトリーニのことを調べているのか。
 ルパンは、このところ何やら念入りに調べているようだった。先日、次元が「何を調べている?」と聞いても、「イタリア観光でもしようと思ってな」とはぐらかされてしまった。
 ルパンはおしゃべりのようで、実際は多くを語らないこともしばしばだった。肝心のターゲットのことも、自分では色々と調べておいて、次元や五エ門には最小限のことしか言わない。成り行きに任せ、それを楽しむような節がある。わざと困難な道を選んでスリルを楽しむようなようすさえあった。今回もそのつもりなのだろうか。

   昨日、に会ったぞ」

 何か探ってやろうと、切り口を変えて、次元はルパンの背中に呼びかける。

「ほー」

 ルパンはグラスに口をつけたが、氷が溶けて不味くなってしまっているのか、苦い顔をしてグラスをパソコンの横に置いた。代わりに煙草をくわえ、火をつける。

「ベルトリーニの御曹司と一緒だった」
「なんだって?」

 ルパンは次元を振り返った。その表情には険しい色が浮かんでいる。

「何か不味いことでもあるのか?」

 次元が訊ねると、ルパンは少し間を置いて答えた。

のやつ、ベルトリーニに惚れてるんだと」

 グラスに口をつけていた次元は、バーボンを吹き出しそうになる。空を見ていたルパンは、次元の様子に気がつかず、続けた。

「けどな。あいつ    ルカ・ベルトリーニはもしかすると    いや……。ともかく、あいつには黒い噂があってな」
「黒い噂?」
「ああ。イタリアンマフィアと繋がってる、って話だ。欲しいものはどんな手段を使ってでも手に入れる。恐らく、じいさまの『青の結晶』も裏の道から手に入れやがったんだろ」
「そんな男が、どうしてのような小娘を相手にするんだ?」
「あっちもに惚れたんだとー。一目惚れみたいな感じだったな、ありゃ」

 ルパンは眉をしかめて言う。

「高級ブランドの御曹司が? 女になら不自由しない身じゃないのか」
「知らねーよ。イタリア男は日本の女が好きらしいぜ。この前口説いた日本人の子が言ってた」

 次元は合点がいかないことばかりで、眉をひそめる。いくらイタリア人が日本の女を好きだといっても、上流階級の男と一般庶民の娘。ハリウッドスターとも付き合える身分の男が、のような平凡な女を好きになるだろうか。しかし、昨日ミケランジェロ広場で見かけたルカ・ベルトリーニは、確かにを丁重にもてなしてはいるようだった。だが、のほうが御曹司に惚れたという話は、……?
 次元が思い返すと、あのパーティーのあと、のようすはおかしかった。ずっと押し黙っていたし、どこか思いつめたような顔をしていた。もしや本当に、御曹司に惚れたというのだろうか。
 次元がぼんやりしていると、ルパンが煙草を吹かしながらぽつりと言った。

「たしかに    あのときの    綺麗だったよ。あの会場に美女は大勢いたけどな。の雰囲気は他の女と違うというか    ま、とにかく、身分違いの恋とやらに憧れたんじゃねーの。よくある話だろ?」

 また合点がいかないことが増えた、と次元は内心で舌打ちする。“綺麗だった”と言うなら、なぜルパンはを口説かないのだろう。惚れている素振りは見せないくせに、彼女を食事に誘ったり、カプリ島に連れて行ったりしている。
 それに、なぜが抱く好意に気がつかないのだろう。『あの子、今俺のこと見てたよなー?』なんてしょっちゅう口にしているルパンが。色恋沙汰には敏感なはずのルパンが。
 すべて気がついているのだとしたら、ルパンの言動は悪趣味すぎる。
 気づいてるのか、いないのか、次元にはそれすらもわからなかった。
 もっとも、もルパンに好意を抱いているそんな素振りは見せないし、次元が気づいたのも偶然だった。

「ルパン、おまえ    に惚れてるのか?」

 次元が思い切って訊ねると、ルパンは目をぱちくりさせて、ほほほ、と笑う。

「俺がぁ? まさか。なんで?」
「最近、何かとあいつを構うだろ」
「そりゃ、あれだよ。絵の修復をお願いしてっからなー。惚れてなくったって女は女だろ? おまえみたいな野郎と一緒よりは楽しいし」

 ルパンは飄々と答える。次元は少しばかりのことが憐れになった。
 その同情心で、次元は言ってやった。

「万が一、御曹司がに惚れてるようなことがあってもな、その逆はないだろ」
「ん?」
「昨日ののあのようすじゃ、惚れてるようには見えなかったぜ」

 が吐いた大きなため息。ベルトリーニの背中を見つめる険しい目。あれは惚れている女の態度ではない。次元が思いを巡らせていると、ルパンがにやにやとした笑いを浮かべて次元を眺めていた。

「あららー? もしかして、次元がちゃんに惚れてるとか?」
「ばかやろう」

 次元は語気を強めて言った。大きくため息を吐いて、続ける。

「あいつの目は惚れてるんじゃなく、敵を見るような目つきだったぞ。金曜も会うとかどうとか言ってやがったな」

 次元の言葉に、ルパンははっとした顔を浮かべる。今まで関心がなさそうにしていたルパンが、ここでそういう反応をするとは予想外だった。

「まさか……親父さんのことでも調べようと思ってるのか?」
「さあな。止めなくていいのか?」

 ルパンはしばらく空を見つめていたが、やがていつもの明るい調子で言った。

ちゃんの恋愛に俺らが口を挟んでもしょうがないでしょう。そっとしておこうぜ」

 ルパンはのんびり言い放って、椅子を回転させパソコンに向き直る。

   ったく。俺が女だったら、こいつにだけは惚れねえな)

 次元はルパンの背中に、吐き捨てるように言った。

 

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(15.8.29)