Ⅷ. 漆黒の闇に輝く青き光 ... 3
扉の外の慌ただしさはしだいに大きくなっていくような気がした。何があったのだろう。まさか
一瞬、目の前が真っ暗になる。
ううん、そんなことはない。ルパンたちならきっと大丈夫。大丈夫、……。今は何がなんでも、逃げ出すことを考えないと。
私は目を閉じ、深く息を吸った。目を開けて、お腹の底から思い切り悲鳴を上げる。
「誰か!!」
どんどんと扉を叩く。誰か、誰か気がついて。
「うるさい、静かにしていろ!」
男の声が外から返ってくる。やった。よかった、見張りがいるんだ。安堵してから、次の言葉を紡ぐ。
「た、たすけて! 変な男が中に!」
精いっぱいの必死さを装って、声を上げ、扉を叩く力を強める。
「なんだと!?」
男が言い、ドアノブが回される。
扉が開く。男が入って来る。私はすかさず握りしめていたスプレーを振りかざした。男の目元に化粧水を散布する。
「うわあああ!」
男が目を押えている隙に部屋を抜け出す。昔、テレビで女性のための護身術が特集されていて、化粧スプレーは目つぶしは効果があるのだと言っていた。まさかそれを実践するときがくるなんて思いもよらなかったけれど、テレビを見ておいてよかった。
うまくいった
まずい。反対方向に逃げ出そうと駆け出した腕を、駆けつけた男に掴まれる。幸い、拘束されていないほうの手にスプレーを持っていたので、それを振り上げる。けれども、男のほうが動きが素早く、男は私の腕めがけて手刀を振り下ろしてきた。鋭い痛みにスプレーを落としてしまう。
「大人しくしろ!」
両腕を掴まれて、身動きが取れなくなる。先ほどルカに後ろから抱きすくめられた感覚が突如蘇ってきて、息が止まった。
また あそこに戻るのは、いや。
無我夢中でもがく私に、男は拳を振り上げる。
ああ、だめ、……。
反射的に目を閉じてしまった。衝撃と痛みを覚悟して身を固くした
はっとして目を開けると、男は床に崩れ落ちていた。
「え、……」
呆然と、倒れ込む男を見下ろす。いったい、なにがあったの?
顔を上げると、目の前に人影があることに気がついた。頭で認識するのと同時に、その人の名前を呼んでいた。
「五エ門!」
刀の鞘を突き出した五エ門の姿が、そこにはあった。
うそ。五エ門。五エ門が、いる。
何度瞬きをしても、それは紛れもなく五エ門その人だった。いつもの着物姿で、刀を持って、涼しい顔をしている。
どうしてここに。信じられないという気持ちのすぐあとに、嬉しさが湧いてくる。五エ門が神々しく見えた。私は五エ門に抱きつきたかった。でも、五エ門の後ろからやって来る人影に気がついて、足を止めた。口を開いたのは五エ門ではなかった。
「、無事か?」
私は、金縛りにあったように固まってしまった。でも、口だけは動いていた。
「ルパン、……」
先ほどから何度も何度も頭のなかで呼んだ名前。声に出して、その響きに胸が詰まった。
ルパン。
ああ、ルパンが、ここにいる。いてくれる。
「その傷、どうした?」
「どうしてここにいるの?」
ルパンを遮って、私は訊いた。私のことなんて、どうでもいい。
「てっきりミラノかと思ってたのに……」
「あー、んー、それに関しちゃ、動きながら話そうか。ゆっくりしてる余裕はないんでね」
ルパンは「こっちだ」、と小走りに駆け出す。頭も身体も硬直しかかっていたけれど、五エ門に促されて、私も駆け出すしかなかった。五エ門が私の後ろに続く。ルパンの背中を追って走った。恐怖は隅に追いやられていた。すっかり驚きと、徐々に喜びに変わっていた。
ルパンはどうしてここにいるんだろう。ミラノのギャラリーに盗みに入ったのだと思っていた。ベルトリーニに捕まってしまうんじゃないかと思っていた。
でも、いま、ルパンはここにいる。まだ少し実感が湧かないけれど。ルパンが、五エ門が、ここにいる。
ああ、また助けられてしまった。私は本当にルパンに頼ってばかり。悔しい反面、ルパンはヒーローみたいだな、と思った。最初のパーティーのとき以外は、私の場所をわかるはずがないのに。私が困っていることさえも、ルパンは知り得る余地がないのに。
それなのに、助けに来てくれる、……。
こんなことが何度もあるから、そのたびにどんどん好きになっていってしまう。
ルパンはいくつも扉や曲がり角があるなかを迷わず進んでいく。まるで頭の中に地図があるかのようだった。
「次元は?」
私は息を切らせながら、ルパンの背中に訊ねる。ルパンは顔を斜め後ろの私に向けた。
「トラックでこっちに向かってる」
「トラック?」
「ここのもん全部頂くためだよ」
「ここの? でも、どうしてここがわかったの? ミラノのギャラリーに盗みに行くって言ってたよね」
「んんー……まぁな」
ルパンは頬をかく。五エ門が私の背後から、ルパンに言った。
「ルパン、話せ。黙っているのは無粋だ」
「わーったよ」
ルパンは速度を少し落とし、私に聞こえるように顔を横に向けた。
「じつはな。調べてわかってたんだ。ミラノのギャラリーには、『青の結晶』その他、やつらのコレクションはない、ってな。だが、肝心のありかがわからねえ。んで、やつの別荘
少し言いにくそうに間を置いて、ルパンは続けた。
「ルカはを手に入れたがってたから……やつを挑発して煽ったわけさ。をさらって、コレクションのところに連れて行くだろうと踏んだんだが、思った通りだった」
「え……ええっ!?」
「の時計にGPS発信機をつけてんだ。で、追ってきたわけよ」
ルパンは親指で私の腕時計を指す。
「盗聴器もな」
「おい五エ門、余計なこと言うなって」
ちょっと、ちょっと待って。頭がパンクしそう。
ルカを“挑発した”って、いつ? まさか、あのとき? ミケランジェロの丘で、ルカに迫られていた私を助けてくれたとき……? それじゃあ、ルパンが私にキスをしたのは、……ルカを挑発するため? そういえばあのときのルパンの態度を思い返すと、やけに挑戦的な態度だった。ルカも腹立たしそうだった。結果的に、躍起になったルカは、強引にでも私を連れて行かせようとした。ルカのコレクションがある場所へと。ルパンの思い通りに。そしてルパンは、私にGPS発信機をつけていた。
発信機なんて、いつの間につけたのだろう。そうか、ミケランジェロ広場から帰ってきた、あの夜。私が寝てしまった合間
まさか、そのためにあの夜と朝、私と過ごしたの……? たしかに、いつものルパンなら、途中でいなくなっていても不思議ではなかった。
私は全身の力が抜けてきて、走るスピードが遅くなった。もうほとんど止まりかけてしまう。
もっとずばりと言うなら、ルパンは私をだしに使ったわけだ。ルカのコレクションのありかを探るために。あのミケランジェロ広場での出来事は、私を助けようとしてくれたり、偶然だったりしたわけではなく、“はかりごと”であり、“ふり”だった。あのキスも、……。
そっかあ、そうだよね。なにもないのにキスなんてしないよね、……。
「ひどいなぁ……」
堪らずに私は呟いていた。ルパンは気落ちした私を見て、どことなく慌てたようだった。
「悪かったよ。でもな、ルカのやつは相当に女癖の悪いやつらしい。遅かれ早かれをものにしようと動いてただろうから、こっちから先手を打ったのさ」
そうかもしれない。たしかにルパンの言うことにも一理ある。ルパンがGPS発信機を、いつの間にか私の腕時計に忍ばせていたおかげで、私は助かったとも言える。ルパンがはかりごとも何もしていなかったら、ただルカが私をここに連れて来たのだったら、私は無事ではなかった。そもそも、あのミケランジェロ広場でルパンが現れなかったら、そのときにこんな恐怖を味わっていたかもしれない。
そう。ルパンに落胆するべきじゃない。もとはと言えば、ルカに近づいた私が悪かったんだもの。私がルカに接触しなければ、こんな思いもすることはなかった。それに、ルパンは「気をつけろ」と警告をしてくれていたのだから。
最近の私は、一喜一憂してばかりだ。
気づくと、私は立ち止まっていた。ルパンも数歩遅れて止まり、五エ門も走るのを止める。ルパンは私の顔を覗きこんでくる。
「いやでもほらこの通り、助けに来てやったろ?」
「うん……」
そう。ルパンは助けに来てくれたじゃない。
私は顔を上げて笑おうと思ったけれど、引きつってしまったのが自分でもわかった。色んな感情がごちゃ混ぜになって、私のなかに押し寄せてくる。ルパンの行動がすべて、ルパンの計画の一部だったと知ってしまった落胆。先ほど味わった底抜けの恐怖。そもそも、私が軽率にルカに近づいたりしなかったら、こんなことにはならなかった。勇み足で踏み出した自分への後悔、歯がゆさ。
「……そうだよね……もとはと言えば、私がルカに近づいたからいけなかったんだし」
気落ちを隠せない私に、ルパンが心配そうな表情で近づいてくる。
「いや
見上げると、ルパンの腕が伸びてくる。その手が私の頬に触れた。
「ごめんな。怖い思いさせて」
とびきり優しい声。頬の傷に触れるルパンの手。
あったかい。
私はルパンを見つめた。というよりも、ルパンの瞳に捕らわれて、離れられなかった。とてもとても深い瞳の色なのに、ルカのものとは全然ちがう。胸が掴まれるような深さ。
またこれだ。ずるいよ、ルパンは。ほんとうにずるい。素っ気ないかと思ったら、優しくしてきて。私のことなんとも思ってないんだろうなって思ったら、近づいてきて。これだから、心が離れられないんだよ。
でも
膝から崩れそうになる。緊張の糸が切れて、涙が出そうになる。けれども、堪えた。ルパンに、五エ門に、涙は見せたくなかった。
私はただ、首を横に振った。それしかできなかった。
鼻の奥がツンと痛みだしたところで、五エ門が言う。
「拙者は反対したんだが
五エ門の声に、私ははっとして、ルパンは手を引っ込める。
「あ……! そういえば、盗聴器って」
「いやぁー、万が一、GPSが正常に動かなかったときの保険だよ」
ははは、とルパンは乾いた笑い声を立てる。
私は自分の左手についた腕時計を外し、眺めた。見慣れた父さんの腕時計。GPSや盗聴器がついているなんて、全然わからない。
「の隙をぬって、文字盤の裏に隠したんだよ。見た目にはわかんないだろ?」
どこか得意気なルパン。
「ということは
ルカとの会話も? そもそも、いつから? あの朝以降、私が美術館で働いていたときにも、この盗聴器は私のそばにあった。まさか、さっきのルカとのやり取りも、全部聞かれていた……?
強い視線でルパンを見ると、ルパンは私から目をそらした。
「全部なんて聞いてねぇって。GPSが作動してるんなら聞く必要はないしな」
「……五エ門、本当?」
「殿がベルトリーニに連れ去られて以降、車内での会話は聞いていた」
「え、そ、それって……!」
「すまない。だが、行き先のヒントが聞けると思ったので……」
五エ門が申し訳なさそうにうつむく。
どこまで聞いていたの、と詰め寄ろうとしたところで、ルパンが遮った
「まあまあ、おしゃべりはここまでだ。着いたぜ」
私たちは、いつの間にか一階に降りてきていた。ルパンの親指が指すほうを見ると、分厚い鉄の扉がある。ルパンと五エ門を問い詰める暇もなく、ふたりはその扉のほうに歩いて行ってしまった。
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(15.9.16)