Ⅷ. 漆黒の闇に輝く青き光 ... 5







 ルパンの真面目な声が降ってくる。ルパンの顔を見ることはできなかった。ルパンは私の考えを馬鹿だと笑うかもしれない。
 私は、ルパンのジャケットにそっと手を入れた。煙草のにおい。微かな温もり。ルパンの身体に触れて、ルパンとダンスをした夜のことが、今になって急に想い出される。
 あの瞬間は、すごくすごく緊張したけれど、それ以上に幸せだった。でも、そのひとときは、今となっては夢のなかのできごとのように遠くに感じられた。
 ルパンの胸ポケットから、『青の結晶』を取り出す。ルパンは何も言わず、抵抗もしなかった。ただじっと私を見つめている。
 『青の結晶』は、この場にそぐわない美しい輝きを放っていて、私はつい目を細めてしまった。とても綺麗。ルパンのお祖父さんが愛した結晶   その重みを手のひらに感じた。
 ルパンの視線を、次元と五エ門の視線を痛いほど感じた。
 三人はどう思っているだろう。私が自分の身を助けたいがために『青の結晶』をルカに手渡すと思っているだろうか。
 私は二、三歩、後ずさりするようにゆっくりルパンから離れ、ルパンたちに背を向けた。今度はルカと向き合うかたちになる。

「良い子だ」

 ルカは猫撫で声のように柔らかく言う。けれども私は、それ以上足を動かさなかった。右手にしっかりと『青の結晶』を持ち、左手でジャケットのポケットを探る。先ほどルカのコレクションから見つけたカメオを取り出した。

「何をしている」

 ルカの声音には少しいらついた色が感じられた。私は、カメオをルカに見せるように前に出す。

「なんだ、それは」

 ルカはこのカメオについて知らない……? それならば、私に追い風が吹く。

「そちらも銃を下ろしていただけませんか。そうしないと、このふたつとも地面に叩きつけます」

 ルカは眉を上げるけれど、すぐに冷笑した。

「それがなんだというんだ? 少々惜しいが、ルパンらの命とは比べものにはならない」
「ご存知ないんですか? このカメオが何か」

 声が震えないように、意識を集中させる。身体中の血液がどくんどくんと体内を巡っている心地がする。

「父がどこかで手に入れてきたものだな。私には興味がない」

 ルカの答えに、目の前に光が射しはじめる。でも、まだ、これから。ルカをこのカメオに惹きつけなければ。

「これは『ヴァルキリーのカメオ』……北欧神話の半神、ヴァルキリーを描いたものです」
「だからどうした?」
「カメオの縁に、古代ルーン文字が書かれています。あなたの持つフレイヤの『ブリージンガメン』と対になっていて、もうひとつの美術品のありかを示しているんです」

 ルカは興味を持ったように眉を上げた。
 うまくいく、だろうか。ルパンたちはどんな表情をしているだろうか。
 右手に『青の結晶』、左手にカメオ。両方の手に汗がじっとりと滲んでくる。背中にも冷や汗。口の中が乾いてくる。私は息を呑んで、続けた。

「北欧神話の神、オーディンが座して世界を見渡していたという『フリズスキャルヴ』   国家のひとつが優に買えるほどの財宝だとか」
「聞いたことがないな」
「考古学者の間で、半ば伝説のように伝えられている話なので」
「ふん。つまらない嘘でこちらの注意を引かせようとしているんだろう?」
「『ブリージンガメン』も『ヴァルキリーのカメオ』も存在しているとは思わなかったので、私も迷信だと思っていました。でも、このふたつが揃っているなら『フリズスキャルヴ』も実在するのだと思います。現にこのルーン文字で、隠された場所が記されているようですから」

 ルカの目の奥に迷いが走る。
 よし、もう少し、……。

「私たちを見逃していただけたら   これは差し上げます」
「だが、それが本当だという証拠がない」
「それなら、私がルーン文字を解読します。嘘だったら殺せばいい」
「私のもとに戻る、というのか?」

 ルカが口端を上げ笑う。私は目を細めて、答えた。

「解読した後に解放していただけるというのであれば」

 私が何と言ったって、ルカはこの場でルパンを殺そうとするだろうし、私を解放するのもありえないと思う。私の狙いは、彼らに銃を下ろさせ、隙を作ること。それさえできれば何とだって言う。

「こちらが銃を下ろしたとき、そちらが妙な真似を起こすのでは?」

 ルカは腕を組んで、少し考えた後に言った。さすがに用心深いなあ。私は内心で舌打ちする。
    仕方ない。

「……なら、あなたが私に銃を向けていればいいでしょう」
「おい

 後ろからルパンの声が聞こえる。低い声。怒っているように聞こえた。ルパンに口を挟まれる前に、私は言った。

「お互い、悪い条件ではないと思いますが」

 ルカはしばらく考え込んでいたが、やがて「そうだな」と頷いた。私は肩の力が少しばかり抜ける心地がする。
 あと少し。最後が肝心。

「よし、銃を下ろせ」

 ルカの合図に、男たちが銃を床に落とす。けれども、彼らの目はぎらぎらと光を失わず、臨戦態勢を取っているようだった。銭形警部は、無言で私とルカのやり取りを見つめながら、ルパンたちにも視線を切らさないでいた。銭形警部なら、たぶん、ルパンたちの味方をしてくれる、はず。そして銃を取る速さなら、ルパンたちのほうが勝るはず。

「おかしな真似はするなよ」

 ルカは拳銃を私に真っ直ぐ向け、私の背後に言った。
     これで、いい。
 私はそっと『青の結晶』をジャケットのポケットに入れた。右手でカメオを握りしめる。これを作った人に申し訳がない。美術品をこんなかたちで損ねてしまうのは胸が痛んだけれど、いまはこの状況を乗り切るのが先決。
 ごめんなさい。私は名も知らないカメオの創作者に、心から詫びた。
 私は右足を踏み出し、ルカのほうに歩み寄るふりをして   斜め後ろを向いた。右手を振り上げ、叫ぶ。

「ルパン!」

 私はカメオを思い切り床に叩きつけた。場の空気が一瞬で変わる。まるでぎりぎりに張っていた糸が切れたかのように。
 私の目には、この刹那の出来事がスローモーションに映った。ルパン、次元、五エ門が床に落ちた銃と刀を拾い上げ、構える。カメオが乾いた音を立てて砕け散り、破片が四方に飛ぶ。唖然としたルカや男たちは、反応するのがわずかに遅れた。男たちは慌てて銃を拾い上げるけれど、もう遅い。ルパンと次元がやつらの手元目がけて銃弾を放った。運良く銃を構えられた男たちも、五エ門の剣さばきで銃を真っ二つにさせられた。銭形警部も、やつらの武器に向けて銃を撃っていた。やっぱり三人とも   銭形警部も   動きが素早い。

 それらの出来事とほぼ同じ一瞬。カメオを叩きつけた私は、物陰に隠れようと駆け出した。けれど、目の端でルカが拳銃の引き金を引くのが見えた。
 銃声は、私の耳には届かなかった。ああ、撃たれる。そう思った次の瞬間、胸に鋭い衝撃が走り、身体を突き抜ける。その衝撃で、私は前のめりに倒れた。咄嗟に左ポケットを庇うようにして、腕を当てる。『青の結晶』が割れたりなんてしたら、たいへん   ルパンのお祖父さんの   ルパンの、たいせつなものだもの……。
 痛みは遅れてやってくる。身体からは力が抜け、胸からはどくどく血が流れてゆく。肺のあたりが、焼け付くように痛い。
 激痛に視界が歪む中、銃弾に撃たれ、ルカが崩れ落ちていくのが見えた。撃ったのは、次元。

!」

 ルパンが駆け寄ってくる。

「馬鹿やろう! なんだってこんなことを!」

 ごめんね。余計なことしたかな。しゃべりたかったけれど、息が苦しくてできなかった。

「次元、五エ門! 急げ!」

 ルパンは私を抱きかかえてくれる。ああ、夢のようなシーンなのに、堪能している余裕がない。撃たれたところが灼熱しているように熱い。くるしい。痛い。力が入らない、……。

「お、おいルパン!」

 銭形警部の声。ルパンが走りながら答える。

「とっつぁん、あとのことは任せた!」
「任せた、って   逃げる気か!」
「今は悠長に話してる余裕はねぇ!」
「その娘は!?」
「この屋敷に“捕えられてた”んだよ! 医者に連れてく!」
「医者って言ったってな   

 ルパンは銭形警部の言葉を無視して、トラックの荷台に乗ったようだった。すぐに五エ門も乗り込んできた。車が勢いよく動く。荷台の扉が閉まる瞬間に、警官が部屋に流れ込んで来るのが見えた。
 荷台には、ランタンの光が点き、あたりが薄ぼんやりと明るくなった。車はかなりスピードを出して走っているようで、積み込んだ美術品ががたごとと激しく横に揺れていた。

「ルパン、どうすんだ!」

 運転席のほうから次元の声がする。どことなく切迫した様子。

「北に行け、北だ! “オスカー”だよ!」
「なるほどな!」

 ルパンは私をそっと下におろす。五エ門が懐から白い布を取り出し、「御免」と言って私のシャツのボタンを少しだけ開けた。撃たれた部分に布を当ててくれる。みるみるうちに白い布が赤く染まっていく。
 ああ、これ、私の血……こんなに……いやだな……。まるで、命も外に流れていってしまっているように思える。

「大丈夫だ。急所は外している」

 五エ門が優しく言ってくれる。私は笑おうと思って口元を上げようとするけれど、力が出てこなかった。私の身体でちゃんと動くのは、頭のなかだけだった。全身から血の気が引いていって、気分がひどく悪い。息が苦しい。なのに、吸い込む力がない。肺を撃たれたせいかな、……。だんだんと頭のなかに薄い膜が張ったようにぼんやりとしてくる。眠りたい。でも、ここで目を閉じてしまったら、二度と目を開けられない気がする。
 私   死ぬのかなあ……。でも、五エ門は大丈夫と言ってくれた……。

「ル……パン」

 力が入らず、掠れた声になってしまったけれど、なんとか絞り出す。意識が切れてしまう前に、ルパンに伝えたいことがたくさんあった。

「しゃべるな」

 ルパンの短い忠告を、私は無視した。

「あおの……結、晶……ポケットのなか……大丈夫、かな」
「んなことどうだっていいだろ」

 ルパンの低い声。でも、怒っているわけではなさそうだった。
 私は手を伸ばして結晶を取り出そうとする。でも、力が入らず、わずかに腕を上げるのが精いっぱいだった。ルパンは私のようすを見て、渋々といった表情で、私のジャケットから『青の結晶』を取り出した。美しく輝く青。携帯ランプだけが灯る、薄暗い闇の中でも、優しい光を放っていた。
 よかった。傷はついていないみたい。
 安堵したせいか、意識がふらりと遠のいていく心地がする。痛みの感覚は麻痺していって、あまり感じなくなっていた。でも、息はくるしい。
 ああ、だめだ。意識を保っていられない。そのまえに、言わなきゃ。

「ルパン……五エ門……次元」
「しゃべるなっての」

 ルパンが言った。でも、私は、またその言葉を無視する。

「ありがと……いろいろ……ほんとうに」
「ばーか。なに縁起でもないこと言ってんだ。大丈夫だって。今医者のところに向かってっから」

 先ほどよりも優しい声で、ルパンは言った。

「ごめんね……」

 迷惑をかけてごめんね。本当は、ルカに撃たれる前に、逃げ出すつもりだったの。でも、ルカのほうが速かった。まさかあれほど躊躇なく撃ってくるとは思わなくて   私の読みはまだまだ甘かったかなぁ……。
 けれど、こういうことになる可能性をまったく考えていなかったわけじゃない。ルカを引きつけて、カメオを叩きつけて隙を作ろうということを思いついたときから、頭の片隅で想定していたかもしれない。ルパンたちの足手まといになるのも、ルカの人質になるのも嫌だった。私がいなかったら、ルパンたちは思う存分戦えていたのになと思っていた。だから、私のせいでルパンたちが捕まったり傷ついたりするよりは、今の状況のほうがまし。ルカに絶望のどん底に突き落とされるよりも。撃たれた痛みのほうが、まだきっと軽い。ルパンたちに面倒をかけてしまったのは申し訳ないけれど……。

「ああ。あとでたーっぷり謝ってもらうからな」

 ルパンは優しく笑う。私も笑いたかった。でも、できていたか、わからない。
 本当はもうひとつ、ルパンに伝えたいことがあったけれど、やめた。これが最後になってもならなくても、言うべきことじゃない。だいすきだよ、って。
 最後   最期。
 私、死ぬの……?
    死にたくない。
 でも   悪くないかもしれない……。五エ門と、ルパン。最期に目にするのが、好きな人たちの   大好きな人の顔だなんて。その人の声を聞きながら最期を迎える。これってすごく幸せじゃないかなあ……。世の中には、突然亡くなってしまう人や、病で苦しんで亡くなる人もいる。そういう人たちに比べたら、私はしあわせなんじゃないだろうか……。

「ル……パ……ン」
「もういい。しゃべるな」

 もう一度ありがとうと伝えたかった。でも、できなかった。もう、力が、はいらない。



 ルパンの声。遠のいてゆく。大好きな声。もっと聞いていたいのに。もっと私の名前を呼んでほしいのに。
 だいすきなのに。もっとそばにいたいのに   ……。
 深い深い水の底に落ちていく心地。
 でもそのなかで、目の奥に焼きついた青の光だけが燃えていた。

 

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(15.9.18)