Ⅸ. イエローイングレー ... 3
私の決意を伝えると、オスカーさんは少し間を開けてから、頷いた。
「てっきり泣き言を言ってくると思ったが。マルコ、おまえ、何か入れ知恵したな?」
「いいえ。なーんにも」
白々しく両手を上げてみせるマルコさんに、オスカーさんは「ふん」と鼻で吐き捨てる。
「ま、いい
「はい。家族も親戚もいませんから。友人もまあ……新しく作ります」
「顔も捨てるんだぞ」
「え、ええっ? ど、どういうことですか?」
「整形しろと言ってるんだ」
「ええっ!? それは聞いてないです、困ります!」
「なんだ、当然だろう? やつらはあんたの顔を見てるんだろ?」
そうだけど。自分の顔に満足しているわけではないけれど、むしろコンプレックスだらけだけど、整形だなんて考えたこともなかった。自分の顔を変えるだなんて、そんな。私はあからさまにおろおろしてしまった。
「どうしても……整形しなければ駄目ですか……?」
「
私はほっと胸を撫で下ろす。整形をしないのならこの件はなしだ、と言われるかと思った。この件はあとで考えよう、……。
それから、オスカーさんは私の本籍や現住所、土葬がいいか火葬がいいかとか、墓はどうしたいのかとか、そういったことを聞いた。私は火葬がいい、墓はどこでもいいと答えた。
「まあ、身内がいないんじゃ、看取った俺たちが埋めてやることで問題はないだろうが」
「でもなあ、どうでしょうね。あのルパンたちを騙せますかね?」
マルコさんがオスカーさんに訊く。
「たしかに、役所の阿呆どもを欺くのは簡単だが、ルパンと次元は勘がいいからな。どうしたものか」
オスカーさんは腕を組む。たしかに、洞察力の鋭い彼らに嘘を吐きとおすのは簡単ではなさそう。
「そうだな
「ゆ、遺言? そんなこと、言われても……」
私は戸惑いながら、黙想する。遺言なんて、この年で考えることになるとは思いも寄らなかった。急に言われても、すぐに思いつかない。
遺言
そうだ、『アルノ川の春』。あれは、ルパンが持っているのだろうか。あの絵を
オスカーさんが描いたシナリオは、こうだ。峠を越えたときに、私が一度目を覚ます。そのときに、自分の容体が危ういことを悟った私は、『死んだら燃やしてほしい』と言う。そのあと容体が急変した私は、死んでしまう。財布を見たオスカーさんは、私の死亡手続きをしてくれる……。
たしかにこのままでは、かえって事がスムーズに行き過ぎていて、ルパンたちに怪しまれる可能性はありそうだった。
何か、“もっともらしい”遺言
ひとつ思い描いて、私は「そうだ」と顔を上げた。
「カプリ島に墓を作って欲しい、っていうのはどうでしょう」
「「カプリ島?」」
オスカーさんとマルコさんの声が重なる。
「はい。最近ルパンたちと行ったところなので……思い入れがあるので、もし私が死んだら、そこに埋めて欲しいと思うかな、って」
「カプリね。だが、墓はこの近くがいい。そのほうがやりやすい」
「どうしてですか?」
私が訊くと、オスカーさんは少しだけ間を置いたあと、答えた。
「俺たちが“救えなかった”やつらはみんな、同じ墓地に入れてあるからだ」
「えっ」
“救えなかった”
「なーんて言ってますけどね。オスカーと僕は、人の命を助けられなかったことなんてないんですよ」
「まったく、おまえは余計なことばかりしゃべるな」
「いいじゃないですか。そこまで教えておいて、あとはだんまりなんて、気になりますよねえ? さんの立場からして、他には漏らさないだろうし。それに僕らの腕が悪かったと思われるの、結構癪なんですよねぇ」
揚々と話すマルコさんに、オスカーさんはため息を吐くけれど、何も言わなかった。マルコさんは続ける。
「僕らは、今回のさんのように、何度か人の死をでっちあげたことがあるんです。訳ありの人の、ね。組織に追われてるとか、借金で首が回らなくなっちゃった人たちとか、そういう生命に関わるような大きな“訳”を抱えている人たちです。そういう人たちを、病気や事故で亡くなったことにして、僕らが埋葬してあげたことにしているんですよ。この近くの教会墓地に。そこの牧師さんも協力してくれていて。“僕らが救えなかった人は、同じ場所に墓を作ってけじめをつけているんだ”っていうエピソードを作ってね。説得力があるんですよ、これが。みんな騙されていっちゃうんですよねー。死を疑ってる人も、お墓を見ると受け入れて帰って行くんです。墓って不思議ですね」
「しゃべりすぎだぞ、マルコ。必要のないことまでぺらぺらと
なるほど。たしかに、お墓の下には誰も眠ってないなんて、そんな疑いを持つ人はなかなかいない気がする。
それにしも、冷静で寡黙なオスカーさんと、明るくて話好きなマルコさん。なんだかいいコンビみたいだなあ、と場違いな感想を抱いてしまった。これでバランスが取れているのだろうな。上司と部下、師匠と弟子、兄と弟、……そんな関係に見えるけれど。でも共通しているのは、ふたりとも頭の回転が早いし、大胆なところもありつつ、慎重なところ。
「あ、……じゃあ、たとえば……灰の半分を、カプリの海に撒いてほしい、というのは?」
「なるほどな。まあいいだろう。要は、“カプリ”がキーなんだな」
オスカーさんは少し考えて、頷いた。そして、最終確認をする。ここに運ばれ治療を受けた私は、一時的に目を覚ます。そこで、命の危機を感じて、もしものときのことをオスカーさんたちに託す。そして、私は命を落とす。家族や親戚がいないと知った私のために、また自分たちのけじめのために、オスカーさんとマルコさんは私を火葬して墓を作ってくれる。灰の半分を、カプリ島に撒くために残して。
なんだか、不思議な気分だった。私はまだ生きているのに、本当に死んでしまったような気持ちになってくる。
「あとは俺たちに任せて、あんたは大人しくしてることだ。まあ、ふた月もあればそれなりに回復するだろう。それまではここに置いておいてやる」
「ありがとうございます」
「ただし、金は頂くからな?」
「はい、大丈夫です。家族の……保険金があるので、お支払できると、思います」
オスカーさんの言葉に、私は小さく頷く。
本当に、助かった。これからどうしようか、腰を落ち着けてゆっくり考えられる場所があるのは、ありがたい。
「ゆっくり休んでくださいね」
マルコさんはそう言って、オスカーさんと共に部屋を出て行った。
途端に激しい疲労感が身体に伸し掛かってきて、私は目を閉じる。頭を働かせすぎたのかもしれない。ひどく眠い。胸がずきずきと痛む。傷のせい、傷のせいと言い聞かせる。
後悔。不安。悲しみ。切なさ。そういう感情を、かき消す。大丈夫、大丈夫、と言い聞かせる。
大丈夫、私は歩いて行ける。起きたときには新しい自分に生まれ変わるんだ、……。
そして私は、深い深い泥のような闇のなかに落ちていった。
目を覚ますと、鳥の鳴き声が聞こえた。カーテンの隙間から薄明かりが差し込んでくる。私は、今の状況を理解するのにしばらく時間がかかった。知らない天井。ここ、どこだっけ。
二度目に見る天井。状況を呑み込むのに、今度はあまり時間はかからなかった。
そうだ。私は、傷を負った。撃たれて、運び込まれたんだった。闇医者をしているというふたりのもとに。オスカーさんとマルコさん。そして
どれくらい眠っていたのだろう。ぼんやりと霞がかっていた頭のなかが、しだいにクリアになっていく。腕に力を込め、起き上がろうとすると、うまく身体に力が入らなかった。腕が震える。でも、上半身を起こすことができた。ベッドから足を出し、立ってみる。けれど、足に力が入らず、その場にへたり込んでしまった。
ベッドにしがみついて、なんとか立ち上がる。掴まれば少しは歩けそう。ゆっくりと窓際に行って、カーテンを開けた。久しぶりの陽の光が眩しく、目がくらむ。でも、気持ちがいい。窓をわずかに押し開けて、風を入れた。爽やかな微風が吹き込んでくる。
しだいに身体が重く、辛くなってきたので、ベッドに戻った。ふと、サイドテーブルに新聞が置かれていることに気がつく。私がベルトリーニの屋敷に連れて行かれた朝のニ日後の日付。幸い英語で書かれていたので、私にも読むことができた。ぱらぱらとめくっていくと、中ほどに大きな記事と写真があった。パーティー会場で見たベルナルド氏の写真と、小さくルカの写真も載っている。食い入るように読んだ。
記事に書かれていたことをまとめると……、ルパン三世がベルナルド・ベルトリーニ氏の所有する別荘に盗みに入ったこと。そこで銃撃戦があったこ。そこに駆けつけた警察によって、ルカの犯罪
そこまでは私も知っていたことだけれど、驚いたことがいくつかあった。まず、ルカが昏睡状態であること。たしか彼は、私の記憶が定かなら、次元に撃たれた。昏睡状態、……ルカは助かるのか、それとも、……。
私は何を望んでいるんだろう。ルカについては考えたくなかったので、頭を振って意識を切り替えた。
もうひとつ。ルパンたちはあそこに
いずれにしても、ルパンたちは捕まっていないようで、安心した。
ベルトリーニの所持していた美術品をルパンたちが奪ったということは、『アルノ川の春』も無事なのだろう。ルパンから譲り受ける手段がなくなってしまったけれど、ルパンならきっと、いいようにしてくれるはず。
でも、気がかりは、『青の結晶』だった。私が撃たれたときには私が持っていて、混濁する意識のなか、ルパンに渡したような気がする。傷ついていないと良いのだけど、……。
私はもう一度、新聞を見つめる。
その文字に、胸が詰まる。
私が他の記事を読んでいると、扉が開き、マルコさんが入って来た。
「おや、お目覚めですか? 気分はどうですか?」
「ええ……身体が重いですけど……大丈夫です」
「そうですか。良かった」
「私、どれくらい眠っていたんでしょう?」
「もう三日ですよ」
「そんなに?」
半日くらいだと思っていたので、びっくりした。
「身体の組織が眠って修復したがっていたんでしょう。白湯を持ってきたんですが、飲みますか?」
「頂きます」
マルコさんが差し出してくれたカップを、お礼を言って受け取る。水が生温かいだけだったのに、喉から胃にかけて熱くなり、ずきりと痛んだ。久しぶりの液体に、身体が驚いているのかもしれない。でも、じんわりと体内に沁みこんでゆく感じがする。
「昨日、ルパンたちが来ましたよ」
「えっ?」
私はマグカップから目を上げて、スツールに腰掛けたマルコさん見た。
「ルパンと、次元さんと、五エ門さんという方」
急に込み上げてくるものがあって、私は再度目を落としてマグカップを見つめた。
「
「ええ。次元さんはなんとなく妙だと思っていたみたいですけどね。遺体を燃やして埋葬したのが早急すぎじゃないか、って。でも、みなさんあなたの墓を見たら納得したみたいでした」
「そうですか……」
これで本当にお別れ。
息が詰まった。目の前が一瞬、暗闇に閉ざされる。
さようならも、ありがとうも、ごめんねも、きちんと言えなかった。それはとても大きな心残りだった。
ううん。さようならは、言えなくて良かったのかもしれない。面と向かって別れの言葉を告げたら、きっと泣いてしまう。
「後悔してます?」
マルコさんは私の瞳の奥を覗き込むように見てくる。子どものような無邪気な目をするひとだなと思った。
私は「まさか」、と力強く否定する。けれど少し考え直して、首をそっと横に振った。
「
私は無理矢理笑顔を作ってみせるけれど、マルコさんは笑ってくれなかった。
「あんまり抑えつけないほうがいいですよ。悲しみや苦しみは。焦らず、誤魔化さず、そっと寄り添うのが一番良い気がします。ときには泣いたっていいと思います。時間がかかってもいいんです。傷は必ず癒えますから。そのほうが結果的に早く、きちんと立ち直れますから」
マルコさんは最後のほうで、ようやく笑みを見せてくれた。
「焦らず誤魔化さず、か……難しいですね。無理に抑えつけてしまうほうが、簡単かも」
「そうですね。でも、大丈夫。目はちゃんと前についているんです。前に向かって歩いて行けますよ」
「そう、ですね……」
「あんまり深く考えないほうがいいですよ。僕みたいに。オスカーにはもっとよく考えろって言われますけど」
マルコさんがはははと笑うので、私も笑った。
良かった。大丈夫だ。私はまだ、笑えるから。
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(15.9.26)