三章:The color of dawn...19
真っ白な頭をなんとかフル回転させて、動揺をなるべく表に出さないように努める。
「マリア
「ううん。これからレストランのアルバイト」
そうか、そうだった。こっちは大学の方向じゃない。何とんちんかんなことを言ってしまったんだろう、私。
「はどこかへ行くところ?」
「?」
私に向って訊ねたマリアは、怪訝そうに呟いた次元を見上げた。次元は気まずそうに帽子を深くかぶって、マリアの視線から逃れるように顔を反らせる。
「ああ、ええと、私は図書館の帰りだったんだけど
「親戚の方?」
「うん、そう。遠い親戚。これから食事に行くところなの」
マリアは何かを言いたそうに、次元を紹介して欲しそうにしていたけれど、私は気づかないふりをした。
「もう予約の時間が過ぎちゃってるから、行くね。また後で」
私は腕時計を見て、急ぐふりをする。マリアは戸惑っていたけれど、引き留められることはなかった。
「ああ、うん、また」
歯切れない返事を返すマリアに、私は「またね」と背を向ける。次元の腕を引いて、そそくさと退散した。マリアの視線が背中に刺さる気がするけれど、時計を見ながら急ぎ足で歩く。友人のマリアに親戚を紹介しないだなんて失礼だろうけれど、あまり次元を印象づけたくなかった。女性アレルギーなんだとか後でうまい言い訳を考えないと。あながち嘘でもないけれど。
「誰が伯父さんだって?」
マリアからは充分離れてから、次元が不満げに漏らす。
「ごめん!彼女、私の大学の友達で……あまり次元を見られないほうがいいかなあと思って、咄嗟に言っちゃった」
「もっとマシな嘘吐けなかったのかよ」
「ごめんってば」
その場の思いつきで言ってしまったとはいえ、次元が伯父さんだなんてなんだか可笑しかった。自分で言っておいて何だけれど、くすりと笑ってしまう。次元は「なんだよ」と不満そうな声を出していたので、それ以上たしなめられるのを防ぐために、「バーを探そう」とあちこち視線を走らせた。
ここからまっすぐ歩いて通りを何本か入ったところだと思う、とかなんとか誤魔化しながら歩いて行って、次元の追撃を免れたかなと思った頃、そっと訊いた。
「次元、ひとり?」
「ああ。残念だったな」
次元の言葉の意味が呑み込めず、首を傾げる。
「残念?どうして?」
「ルパンと一緒じゃないからな」
「そういう意味で訊いたんじゃないって!」
次元は私がルパンを好きだと“勘違い”をしていることになっている。私は弁解するけれど、次元は「ほお」と真に受けていない。まったく、やりにくい。
「ねえ……一杯だけ私も一緒に飲んでもいい?」
遠慮がちに訊ねると、次元は帽子の下から私を見た。深い意味は一切なくて、次元と話がしたかった。今まで何度かふたりで話をする機会はあったけれど、ゆっくり落ち着いてというのは、東京とカプリ島で二回あったくらい。次元の時間の邪魔をしたくはないから、一杯飲むだけの合間でいい。また話がしたかった。でも女性嫌いの次元だから断られるかなあ。
しばらく沈黙を続けた後、次元は口を開いた。
「なんだ、、お前、そんなに酒好きだったか?」
「そうじゃないけど……せっかく久しぶりに会ったから、次元と少し話がしたいと思って」
次元は肩を竦める。だめと言われる予感がした。でも。
「一杯だけならな」
と言ってくれた。
「酔っぱらったら面倒見きれねぇからな」
「大丈夫大丈夫、酔ってつぶれたことないもの。それほどお酒、強くないし」
「そうかい」
次元と私はそれから10分ほど歩いて、大通りから少し裏路地に入ったバーを見つけた。人の入りはあったけれど、騒がしくはなく、しっとりと落ち着いたバーだった。次元は文句を言わなかったので、私たちはそこに入ることにした。
次元は相変わらずバーボンのロックを、私は果実酒を注文して、グラスは合わせずに乾杯。柑橘系の爽やかな甘さが美味しかった。バーはマッシュのお薦めとあって人は多かったけれど、席の間隔がゆったりしていて、混み合っているという印象はない。ジャズが流れていて、大人が落ち着いて談笑できるお店。照明は明るすぎず暗すぎず、ビジネスマンや友人同士の少人数のグループや、カップルの姿が多かった。私たちはお店の奥、仕切りのついたテーブル席に案内された。恋人同士にでも見えたのかな。それとも、久しぶりに再会した伯父さんと姪?なんて先ほどのやり取りを思い出して、笑ってしまいそうになる。
「なんだ?」
にやける頬を抑えきれなくて、次元が不自然がって訊いた。「なんでもない」と答えたけれど、次元は釈然としない様子。
「そういや“”ってのは何だ?」
早くもバーボンを一杯飲み終えた次元。ウェイターが二杯目を運んでくる。私なんて二口しか飲んでないのに。もっとも、一杯だけという約束だから、ちょっとペースを落としてはいる。
「新しい戸籍上の名前。オスカーさんたちが用意してくれて」
オスカーさんとマルコさん。イタリアの一件で
「なら今までの名前で呼ばないほうがいいわけだ」
「ううん」
私は素早く首を横に振る。
「ミドルネームっていうことで通せるから……今まで通りに呼んでほしいな。本当の名前が完全に消えてしまうのは、やっぱり寂しくて」
オスカーさんにはいい顔をされないかもしれないけれど。次元と、五エ門と、ルパンには、と呼んでほしい。本当の私を知っている人たちには。
「まあそうだろうな。名前を捨てるってのは簡単じゃないだろう」
甘い考えだって一蹴されるかと思ったけれど、意外にもすんなり同意してくれて、嬉しかった。
「うん……。オスカーさんとマルコさんにはたまに会ったりする?」
「ああ。去年の秋だったか、店に行ったな」
「元気だった?」
「ああ、相変わらずだよ」
「そっか」
急に懐かしさが込み上げてくる。口が粗いけれど、根は親切なオスカーさん。穏やかだけれど芯の強いマルコさん。あれからもう一年以上、か。あっという間だったような、長かったような、不思議な感覚。昨日のことのように思い返せるけれど、浸ってしまったらずっとその場所から動けないような気がして、普段は蓋をしているイタリアの想い出。
それから、私はちびちびとお酒に口をつけながら、学生をしていること、考古学を勉強していること、アレキサンダーのことまでをしゃべってしまった。すでに上機嫌になっているのだと思う。頭が少しふわっとして、気分が晴れやか。次元はルパンのように口数は多くないのだけど、普通に会話のキャッチボールが続いていた。退屈している様子や、迷惑がっているような感じはない
私のカクテルが氷の溶けた薄い液体になったのを見計らって、ウェイターが何か飲むかを聞いてきた。ちらっと次元を見ると、飲みたければ飲めという様子で肩を竦ませたので、同じものをもう一杯注文した。
「これ飲んだら帰るね」
遠慮がちに言うと、次元は「好きにしろ」と答える。好きなだけいていいのか、もう勝手にしろと飽きれているのか。でも、帰る時間帯にしてはまだ早い。シドニーの夏の夜はまだ始まったばかり。もう少しいいかなと思って、私は話の続きを語りだした。
(16.5.14)