四章:Blues in March...31





 ルパンに、エミリオさんの病気のことを伝える。そう決めたはいいけれど、問題はその方法。
 私は二階から布団を持ってきて、もうひとつのソファの上で休むことにした。エミリオさんは穏やかな表情で眠っている。エミリオさんの寝顔を眺めながら、とりとめなく考え込んだ。

 ルパンに会いたい。どうすればいいだろう。ルパンの連絡先は、わからない。今どこにいるかを突き止めて、近くまで行けば、会えるだろうか。ううん、あちこちを飛び回っている人だから、会えるかどうか。
 今まで、ルパンに会おうと思って会えたことはなかった。会いたいとは考えていたことも   何度も   あったけれど、私からは何もできなかった。いつもルパンが気まぐれで会いに来た。それでいいと思っていた。世界的に名の知れた大泥棒のルパンに、たまにでも会えるのであれば、……。それに、ルパンに連絡先を聞いたところで教えてくれなかっただろうし、携帯電話は持たないと言っていたし。

 でも、今は、なんとかしてルパンに会いたい。ううん。会えなくてもいいんだ。エミリオさんの病気のことを伝えられれば。
 エミリオさんにとっても、ルパンにとっても、余計なことかもしれない。でも、何もせずにはいられなかった。衰弱していくエミリオさん。エミリオさんは、ルパンに会いたいなんてひと言も言っていない。けれど、ルパンの名前を口にしたときの、寂しげな瞳の色。きっと、会いたいのだと思う。
 それに、ルパンだって、エミリオさんの余命が短いと知らずにこのまま会えなくなってしまったら、後悔が残ると思う。私がそうだったから。
 五年前、父さんが突然死んでしまって、悲しみと同時に後悔の重さに耐えきれなかった。父さんとあんなことをしたかった。あんなことを話したかった。ああしてあげれば良かった。たくさんたくさん、思い残すことがあった。だから、ルパンには後悔してほしくない。エミリオさんの病気のことを知って、ルパンがどうするかはわからない。ルパンなりの考えがあって、エミリオさんと会うことはしないかもしれない。状況を知っていてそれを選ぶなら、いい。でも、何も知らないままで後悔はしてほしくなかった。

 いろいろ考えて、悩んで、ひとつの方法にたどり着いた。
 世界中を飛び回っているルパンの一番近い人に連絡を取る。その人を通じて、ルパンに伝えてもらう。
 朝になったら、街に出て、ルパンのニュースを調べてみよう。まずは、ルパンがどこにいるかどうかを知らなくては。成功する確率はけっして高くはない。でも、これ以上にたしかな方法が思いつかなかった。
 もう一度エミリオさんの顔を見て、静かな寝息に安堵してから、うとうととまどろんでいった。

 

 朝になっても小雨が降り続いていた。エミリオさんが安らかに眠っている様子を確認してから、傘を持ってコテージを出る。ぬかるんだ獣道を抜けて、街にやって来た。シーズンオフだし、天気が良くないせいで、人気は少なかった。
 私は、島で一番大きなホテルに向かった。そこで宿泊者用のパソコンを使わせてもらえないか頼み込む。フロントの女性は、快く承諾してくれた。宿泊客が少なく手持ち無沙汰のようで、やって来た私に対して過度に親切にしてくれたような気がする。女性にチップを多めに渡して、一台のノートパソコンを借り、ロビーのソファに座った。

 まず、ニュースを調べて、ルパンたちが今どこにいるかを探った。検索をかけると、すぐに見つかった。三日前、ルパン三世の予告状が、モスクワの図書館に届いたという。今、モスクワ図書館では、ドストエフスキーやトルストイ、ツルゲーネフなどロシアの有名作家の生原稿が展示されている。それらを頂きます、という予告があった。そして、二日前に、ルパンは『罪と罰』などの原稿を盗んでいった。総額は何億ドルにもなるのだとか。
 二日前、か……。私は唇を噛む。ルパンたちは今、どこにいるだろう。モスクワ近辺にいてくれるだろうか。ともあれ、手掛かりはそれしかないのだから、しかたない。ひとまず、第一関門はクリアできた。インターネットを利用できる環境を見つけて、ルパンの居場所を特定できた。少しだけ胸が軽くなる。モスクワならそう遠くはない。あとは、ルパンが近くにいてくれたら、……。
 次に、モスクワの地元警察の連絡先を調べて、電話番号を控える。軽くひと息吐いて、ノートパソコンを閉じた。フロントの女性に再度お礼を言って、ホテルを後にする。細かい雨がまだ降り続いていた。傘を差していても、強い海風で霧雨が中に入り込んでくる。寒い。足の先から冷えて、身体が震えた。

 今度は、タバッキ   イタリアのコンビニのような雑貨店   に入って、テレフォンカードとホットコーヒーを買った。国際電話となると、コインではかけられない。インターナショナルテレフォンカードというものを使うのが一番安い、ということを店主のおじさんに聞いて、それを購入した。お店を出て、コーヒーで身体を温めながら、公衆電話を探した。
 小さな広場の隅にある公衆電話には、人気がなかった。雨で良かったかもしれない。よし、ここにしよう。

 メモを見ながら、モスクワ警察の番号を押した。緊張で手が震えた。長い長いコール音のあと、がちゃりと受話器の上がる音が聞こえる。

   ?」

 聞こえたのは、男性の、耳慣れない言葉だった。ロシア語だ。私は、どくん、どくんと鳴る自分の鼓動を受話器越しに感じながら、「すみません」と英語で言った。

「ああ、……モスクワ警察ですが、ご用件は?」

 少し気だるそうな声が英語で返ってくる。私は、音を立てないように唾を飲み込んで、言った。

「インターポールの銭形警部はいませんか?ルパンの情報で、お話したいことがあるんです」

 沈黙。受話器の向こうで、相手が警戒する気配を感じる。
 インターポール   ICPOは、地元の警察と連携してルパン対策にあたるだろう。だから、私が銭形警部と連絡を取れるとしたら、ここしかないと思った。
 ルパンと連絡を取ることは不可能に近い。でも、常にルパンを追っていて、ルパンに接触する可能性のある銭形警部になら、警察を通して話を伝えることができるかもしれない。そう考えついてここまで来たけれど、うまくいくかどうか、……。

「私が伺いましょう。どんな情報です?」
「銭形警部以外に話したくありません。そちらにいらっしゃいませんか?ルパンの犯行があったんでしょう?」
「マスコミの方ですか?今は皆忙しいんです。用件は?」
「ですから、銭形警部以外には話せません。あのひと以外に話したところで、理解できない情報です」
「そんなあいまいな内容じゃ取り次げませんよ」

 相手はあからさまにため息を吐いてくる。私は唇を噛んだ。そうだよね……そんなに甘くはない、か。

   いいんですか?私の情報があれば、ルパンが逮捕できるかもしれませんよ。あのルパン三世を捕まえることができれば、モスクワ警察にとっても利益が大きいのでは?」

 相手は舌打ちして、「お待ちください」と言った。プツリと音が途切れる。切られてしまったのかと焦ったけれど、テレフォンカードは入ったままなので、保留になっているだけのようだった。
 銭形警部がこの場にいるかどうかもわからないし、出てくれるかどうかもわからない。在籍している可能性が一番高そうな早朝に来てみたけれど、仕事熱心な銭形警部は、もう別の場所に行ってしまったかもしれない。これがだめだったら、どうしよう。またルパンたちの居場所を検索してみるしか、……。
 かなり長い時間待たされた後、第一声が「すみませんが」という先ほどの男性の声だったので、心底がっかりした。

「やはり、お繋ぎできません」
「銭形警部はいらっしゃらないんですか?」
「ですから、用件は私が承ります」
「いいえ、銭形警部以外には話せないと、」
「ミスター・ゼニガタなんていう人物はここにはいません!」

 男性は声を荒げる。彼のいらいらした感情が私にも伝染してくる。やっぱりだめか、頭が固そうだもの。最後の一押しにとこちらも声を上げて反論しようかと思ったところだった。

『俺が……したか?』

 受話器の向こうで、聞き覚えのある声が聞こえた。ざわり、と胸の内が揺れる。話し相手の男性がはっと息を呑むのがわかった。

『い、いえ、いたずら電話かと』
『いたずらぁ?』
『それか、マスコミ関係だと思います。ルパンの情報があるというんです』
『ルパン……?』

 銭形警部の声が近づいてくる。電話口の先のやり取りを、固唾を呑んで聞き入った。銭形警部、どうか、お願い、……。

『よし、代わろう』

 銭形警部の言葉が近くで聞こえた。どくん、と心臓が大きな音を立てる。

『えっ、良いんですか』
『俺を名指ししてくるとは、何かしらの情報があるんだろう』

 がさり、と物音が立った後、耳元で「もしもし、銭形ですが」という言葉が聞こえた。
 二年前にも聞いた、特徴のあるだみ声。全身の力が抜けて、身体を支えるために公衆電話にもたれた。
 やった   

「わたくし、以前、ルパンにお世話になった者です」
「はぁ」
「お願いします、ルパンに伝えてください。“エミリオが危篤です”と。お願いします」

 必死に、必死に言った。もっとうまいやり方はあるかもしれない。でも、今は、この方法しか思いつかなかった。銭形警部の情に訴えるしか。

「は?あんた、いったい」
「最期に、ルパンに会いたがっているんです。エミリオが危ないと、そう伝えてください。お願いします」
「おい、それは、」

 銭形警部の返答を待たずに、私は通話を切った。深く息を吸って、吐いて、乱れた呼吸を整える。
 うまくいくだろうか。
 ルパンに聞いた話では、銭形警部は情に厚い人ではあるらしい。二年前の一件でもそれはうっすらと感じていた。
 どうか、ルパンに伝わりますように。
 テレフォンカードを抜き取って歩き出すと、雨は上がっていた。黒い雲の切れ間から、光の柱が覗いていた。

 

(16.11.16)