夕食の後、ちょっと用事があるからと何処かに行ったが、蒼白な顔をして戻って来た。部屋に入って来るなりベッドに倒れ込んだの背に、リリーは言った。
「何があったの?」
長い間沈黙をしてから、はゆっくりとした動作で起き上がった。
「大したことじゃないんだけど」
そう、大したことじゃない。
はリリーにエリックのことを話した。思い出すのも嫌だったが、言わずにおくことで、優しいリリーを傷つけることになることを、知っていた。
29. an area of CALM
臆病者の末路
「そんなことが……」
「ニルソンもあの女子も腹が立つけど、私にも悪いところがあったから、何も言えない」
リリーは口を噤んだ。何と声をかけて良いのか。
「なんて、偽善だね。本当はすごーく腹が立つけど、……同じくらい、嫌な気持ち」
「……」
「でも、これで白紙に戻ったんだから、良かった良かった」
明日になったら忘れるって。明るく言って、は横になった。
けれども、あの一瞬は、の脳裏にはっきりと焼きつけられていた。
エリックの顔がすぐ近くにあって。直後に、唇が触れて。鳥肌が立った。頭が痛い。
はじめてのキスだったのに。
でも、エリックとキスをすることで清算をしようとした自分がいたのだから、自業自得とも言える。それが情けない。
もう大丈夫。もう終わったんだから。これで、今まで通り。忘れよう。
そう言い聞かせて、目を閉じた。けれども、風で木や窓が揺れる音がやけに耳について、眠れなかった。
「次回はハッフルパフとの合同授業ですからね。では、今日は以上」
フリットウィックが甲高い声で言い終えると、生徒たちは一斉に立ち上がって教室の外へ出た。
は重い腰を上げゆっくりと立つ。リリーは、今日のお昼は何かしらねとか、明るく話しかけてきてくれた。大好きなリリー。そう、彼女がいれば、それで良い。何があっても大丈夫。彼女の隣にいれば、傷が癒えていく。自分で切り開いてしまった傷が。
教室を出、少し歩いたところに人盛りができていた。どうやら、壁に何かが貼りつけられているらしい。
「何だろう、あれ」
の問いに、リリーは答えなかった。壁に貼ってある紙を目を凝らしてじっと見つめている。
「行きましょう、」
リリーは素早く言って、の手を引いて歩き出した。「リリー」、と呼びかけても、かまわずに歩き続ける。あれは何?みんなが見てるのは、なに?そう問うても、リリーは答えなかった。彼女は、よりも目が良かった。その内容は、恐らく見えているのだろう。悪寒がの全身を走り抜ける。
「あ、うわさのだわ」
高い声で、女子が言った。人の目が壁の紙からの方へと向く。は立ち止まり、リリーも止まった。
「ねえねえ、どうなの?ほんとにニルソンと付き合ってるの?」
「意外!さんって大人しそうだったのに、あんなことするなんて」
笑い声、疑惑の目、非難めいた目。の周りにはそうしたものしかなかった。
まさか。はっとして、先ほどまで皆が見ていた紙を見やった。写真のようだった。リリーがの服の袖を引っ張るが、の身体は硬直してしまって動かなかった。
「う、そ……」
頭が真っ白になった。
写真に写っているのは、自分と。そして、エリック・ニルソン。そして2人は、顔を近づけあって
昨日のあのできごと。その時の様子が、目の前にあった。
うそ。そんな。信じられない。一体、誰が?
最悪。最悪。最悪、だ……。
「何、これ。誰がやったの?」
リリーの声にはっとすると、彼女は強い瞳で人だかりを睨んでいた。誰も応えない。
ふと、はその中にローラ・ビクトリアがいることに気がついた。その隣には、見覚えのある顔。あの時、を呼び出した背の高い女子。彼女たちと目が合う。
「はしたなーい。白昼堂々、あんなことするなんて。ねえ、シンシア?」
「ほんと!ニルソンとできてたなんて。私たちにはあんなこと言ったのに。ブラックが
「いい加減にして!」
くすくすと笑いあう彼女たちに、リリーは声を荒げた。
「あなたたちが企んだんでしょう!」
「企む?何を?言いがかりはよしてよ」
背の高い女子
は、口が開けなかった。怒りとも絶望とも言えぬ感情が、身体中を支配していた。
「エバンズ、まだ分からない?あなたの友達、相当性格悪いわよ」
「馬鹿を言わないで!性格が悪いのはどっち?」
生徒の目がリリーとに向けられる。
このままではリリーも巻き込んでしまう。けれど、何と言えばいい?『私はやってない』とは言えなかった。少なくとも、あのキスは事実だったから。
代わりに声を発したのは、ローラだった。してやったり、という顔で。
「あ、ポッターたちよ」
彼女の視線の先を見ると、ジェームズとリーマスとピーター、そしてシリウスが、こちらに向かって来るのが見えた。彼らは人盛りに驚いているようだった。なんだろう、どうしたんだ、と。
ああ、最悪。は目の前が真っ暗になった。もうだめだ。
「何?どうしたの?」
ピーターの言葉に答えたのは、シンシア。
「見てよ、これ」
彼女はすっと写真を指差し、4人はその指先の方を見た。
もう、だめだ。もうこの場にいることは限界だった。
「…!」
後ろでリリーの声が聞こえたが、は人ごみを掻き分け、早足でその場を去った。
何かが音を立てて崩れたような気がした。
ジェームズは写真から目を逸らした。
シリウスとリーマスとピーターは絶句した。
リリーは目を伏せた。
ローラとシンシアはにやり、と笑った。
「あれって……エリック・ニルソン?」
ピーターの問いに答える者は誰もいなかった。もちろん、そんなことは3人とも分かっていた。そして、一緒に写っているのがだということも。
「プロングズ
リーマスは、そっとジェームズに尋ねた。シリウスとピーターもジェームズを見やる。ジェームズは答える代わりに杖をすっと取り出し、それを躊躇いもなく写真へと向けた。
「インセンディオ」
杖先から赤い光が飛び出し、炎となって写真を灰にした。ローラとシンシア、周りを囲んでいた生徒たちも皆
「誰だ?こんな卑怯なことをしたのは」
杖を握ったまま、ジェームズは鋭い目を人だかりに向けた。シンシアは何か言おうと口を開きかけたが、ジェームズの気迫に圧され、口を閉ざした。
「僕は顔は広くってね。少し調べればすぐに分かるけど」
ジェームズは杖をしまう。誰も、一言も口を利かなかった。
「残念だね。こんなことをする人と同じ場所に暮らしているなんて」
行こうと言うなり、ジェームズは振り返りもせず歩いて行った。
寝室に戻って、はベッドの上に崩れた。身体が痙攣しているかのように、微かに震えている。
みんなに
最低。どうしたら良い?みんなと今までのように友達でいられるだろうか。シリウスを、今まで通り好きでいられるだろうか。
心がどこかへ行ってしまったような気がした。胸の中が、頭の中が空っぽだった。
「」
リリーの綺麗な声。空耳かと思ったが、その声は実際に本人から発せられたものだった。シーツに埋めた顔をゆっくりと横に向けると、リリーが遠慮がちにベッドの横に立っていた。
「……あの写真、ポッターが燃やしたわ。怒ってたわ、すごく」
「え?」
ジェームズが?ああ、でも今は、その優しさが胸に痛む。
「彼がきっと、ブラックたちの誤解も全部、なくしてくれるわよ」
「……誤解だったらまだいいんだけど……あいにく、実際のことなんだよね」
「事情を全部分かってくれれば」
「大丈夫だよ、リリー」
そう、大丈夫。
壊れてしまった積み木。でも、もう壊れようはない。
あの、ローラとシンシアの目。笑い顔。
それまであった身体の中の絶望という感情が、次第に怒りに変わっていくのが分かった。ふつふつと、下腹の辺りから湧き上がってくる。
積み木をまた立て直す前に、それまでの崩れた欠片はきれいにしなくては。
わたしの手で。
TOP | BACK | NEXT
07/9/15