テントの天井を眺めていたシリウスは、ジェームズの声が横から聞こえ、首を向けた。眼鏡を掛けていないジェームズには違和感を感じる。
「そういうお前こそ」
シリウスが言うと、ジェームズはにっと笑った。
「まあ、この状況で寝られるのはワームテールくらいだろうね」
44. a Stellar Night
星降る丘
魔法のテントなので、中は見た目よりも広かったが、それほど大きいものではなかった。ベッドが2つ入っていて、その間に荷物を置くスペースがある程度。本来2人用のテントを4人で使っているのだから仕方ない。そのベッドの間にシーツを敷いて、じゃんけんで負けたジェームズとシリウスがそこで眠ることになった。
「ムーニー、君も起きてるんだろう?」
ジェームズが隣の高台に向けて言うと、ああ、という返事が下りて来た。一方、シリウスの隣のベッドからはすーすーという寝息が聞こえる。
「やっぱり、ね。
最後。ジェームズのその言葉が、シリウスには重かった。
「そうだね……いよいよホグワーツも卒業、か」
リーマスは呟いて、寝返りを打ち、身体を2人の方へと向けた。
「あと1年。その間に、やりたいこと、やるべきことを全部、やりたいなあ。エバンズとちゃんとホグズミードでデート、してみたいよ」
ため息と共に言うジェームズに、リーマスは言った。
「明日、もう一回言ってみたら?付き合って欲しい、って」
「しつこくないかい?それって」
「お前はもともとしつこいだろ」
そうぼそりと吐き出したシリウスを、ジェームズはリーマスの方に視線を向けたまま、殴る。いて、という声が聞こえ、リーマスは噴き出した。
「でも、エバンズの態度も随分変わったよね。前は、プロングズを見るなり嫌な顔してたのに」
「……なんだか傷つくよ、ムーニー」
「ごめんごめん。でも、エバンズは君のこと、見直してると思うよ」
「そうかな……答え、くれるかな」
『答え』。その言葉に、シリウスは目を細めた。
「ちょっとばかり、待つのは辛くなってきたなあ。どんな返事でもいいから欲しいなあ」
ジェームズの意味深な言葉に、シリウスは気づかないふりをした。彼の言葉は彼の本心ではなくて、シリウスに向けたものであることは、シリウスにも分かっていた。分かってるんだ。そう、分かってる。
「ちゃんとした答えじゃなくてもいい。今の正直な素直な気持ちを知りたいなあ。もう少し考えさせてくれとか。そうじゃなかったら忘れられてると思っちゃうしな」
シリウスは寝返りを打つふりをして、顔を彼らから背けた。
みんなで他愛のないおしゃべりをして。料理を作って、食べて。川で泳いだり、釣りをしたり。学校の中でもできること。学校の中では体験できないこと。たくさんのことを、した。
その一つ一つが楽しく、にとって最高な夏となった。
「ねえ、、見て。すごくきれい」
リリーがそうしているように、も空を仰いだ。夜空に浮かぶのは、満点の星々。黒い画用紙に、金色の砂をばら撒いたかのような。2人は、どちらからでもなくその場に腰掛けて、空を眺めた。
「でも私は、この前のリリーのドレス姿も同じくらいきれいだと思うよ」
が笑って言うと、リリーは2、3度目を瞬かせ、何言ってるの、とを小突く。
こうしてリリーと笑い合えるのも、あと1年。考えまいと思っているのに、考えてしまう。ジェームズともリーマスともピーターとも、シリウスとも。リリーとも、『別れ』がやって来る。悲しみのような寂しさのような、そんな感情が押し寄せてくる時、私はこんなに彼らに依存していたんだと思い知った。彼らの存在は、こんなにも大きかった。
やがて草がかさり、と擦れる音がし、とリリーははっとした。
「エバンズ」
「……何かしら、ブラック?」
リリーは首だけを、立ったままのシリウスに向けた。同じくどうしたんだろう、と考えるは、シリウスの次の言葉に声を上げそうになった。
「俺と、代わってもらっていいか?」
え、とリリーは声を漏らし、は口を開けたまま固まった。
リリーは目を丸くしていたが、やがて、いいわよと立ち上がった。
「……向こうにジェームズがいる
ぽつりとリリーの耳元で言ったシリウスの言葉は、にも聞こえていた。
シリウスが隣に腰掛ける。微妙に空いた距離。その間を、夜風が吹き抜ける。
成程。ジェームズがリリーを連れて来てくれ、と言ったのだろう。ジェームズが私に気を遣ってくれたのか、彼がリリーに話があったのか。恐らく両方だろうなとは思った。
「……こんなにちっぽけな存在なんだな。俺たちって」
シリウスは右手を掲げ、呟いた。
「あんなにたくさんあるのに
星を掴むようにしてシリウスは拳を作ったが、やがてすっと腕を下ろした。
「でも、届かないから……憧れるんじゃない?」
もしも、この手で易々と星を掴むことができたら、その価値は半減するだろう。
そうだな、とシリウスは微かに言った。
この広い広い星空の下、彼らと、彼と出逢えた奇跡が愛おしい。その奇跡は巡り巡って、今の私がある。
「『僕はもう あのさそりのように ほんとうにみんなのさいわいのためならば 僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない』」
朗読するようなの口振りに、シリウスは「何だそれ」と聞いた。
「『けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう』。……銀河鉄道の夜。日本の童話」
「へえ」
「私も、そんな風に思える人が、……人たちができて、良かった。それが、私にとっての幸い」
みんなのためならば、何でもできる。何でも力になりたい。そう思える人が、いること。
今度、本、貸してあげるよ、とは微笑んだ。
「
僅かな沈黙が流れた後、シリウスは口を開く。その改まった様子に、は身構えた。
「……あのさ。お前には、すごく悪いと思ってる
空を仰いだまま言うシリウスに、は苦笑した。
なんだ、びっくりした。てっきり、『お前の気持ちには応えられない』とでも言われるのかと思った。
「ううん、いいよ。別に。……ごめんね、悩ませて」
笑っては言うが、シリウスは視線を草の上に落とし、真剣に言った。
「でもこのままじゃ、卒業しても答えが出ないかもしれない」
「だから、いいって」
シリウスが真剣に考えてくれていることが、純粋に嬉しかった。
「なんでいいんだよ。俺は、腹が立つ。結局堂々巡りで終わるんだ」
「堂々巡り?」
「……のことは、……特別だとは思うけど、それと友情と恋愛と、どう差があるんだろう、って」
それだけで、いいのに。シリウスが私を特別に思ってくれてるだけで、充分すぎることなのに。彼は優しいから、真剣に考えてくれている。
「……なら、もういいよ。考えなくて」
「え?」
「べつに、シリウスを悩ませたかったんじゃない
は、言葉を切った。
『次にシリウスに自分の本当の気持ちを言う機会があったら』。きちんと、告げること。リリーの約束。
「……ただ……シリウスのことが好きだって、それだけだから」
シリウスの反応が怖くて、彼に視線を向けられなかった。顔が熱くなるのを感じる。今が夜で良かった。
「どうして?」
シリウスは小さく尋ねた。
「どうして俺なんだ?」
予想外のシリウスの言葉に、は彼を見やった。視線がぶつかる。夜の闇でも、シリウスの瞳はしっかりと見て取れた。夜の闇にも紛れることなく。
「俺なんかより……プロングズとムーニーがいるだろ?お前には、俺よりも」
シリウスは視線を逸らし、続けた。
「俺は……プロングズみたいに他人の気遣いなんてできないし、ムーニーみたいに優しいわけじゃない。俺は、俺の家は、両親は……あんなんで」
「シリウス」
は、捲くし立てるシリウスを窘めるように彼の名を呼ぶが、シリウスは続けた。
「お前にそんな風に想われる資格なんてどこにもないんだよ、俺は」
繊細なんだなあ、と思った。繊細で、優しくて、真面目で、格好良くて、女の子に人気で、鈍感なシリウス。そんな彼が、たまらなく愛おしかった。
「私、ジェームズのこともリーマスのことも好きだけど、……シリウスを想うようには、思わなかった」
きっと、言葉では上手く伝えられないだろうけれど。それでも、まっすぐに受け止めてくれたシリウスに、まっすぐに返したい。
「理屈とかちゃんとした理由は、分からない。ただ、そう『感じる』だけ。毎日の積み重ねがあって、シリウスのことを少しずつ知っていって、……それで、そう感じるだけで。でも、曖昧なものじゃない」
顔が火照ってゆく。でも、ちゃんと言わなきゃ。
「私の中にたしかにある想いで。……あのさ。シリウスは女の子にもてるから、何度も気づかないふりをしてたんだ。シリウスのことは絶対に好きじゃない、好きになったって無理だ、届かない、って。でも、そういうのも全部、無駄だった。その毎日を積み重ねていって、シリウスのことを
どうしてこんなことをしみじみと話しているんだろう。可笑しくなって、声を出さずには笑った。
女の子といったら、グループで固まってこそこそしたり、やたら自分たちのことをちらちら見てきたり。教室で化粧をしたりする子もいれば、大声で騒ぎ合ったり。告白してくる女の子に限っては、泣き出す者も多かったし、すぐに答えを出せと要求してきたり。
でも、は。『答えはいつでもいい』と言った。辛い過去のことを話してくれたときでさえ、涙を流さなかった。騒いだことなんて、ない。彼女といる時間は、楽しかった。現に、先のクリスマスの日も、ホグズミード週末も、彼女以外の女の子と過ごそうとは、決して考えなかった。
もし。もし、が今、『エリックと付き合う』と言ったら?『ジェームズやリーマスが好き』と言ったら?
今までのことを、シリウスは一つ一つ思い返した。自分の中に芽生えた想いを、すくい上げるように。
いや、今芽生えたのではない。ずっと、そう思っていたんだ。思っていたけれど、拾い上げる前に、こぼしてしまった想い。理屈や理論を並べて、人を真剣に想うことを避けていた。その想いを、いつか否定されることが怖かった。
そういうもの、ぜんぶ、関係ないのかもしれない。人を好きになる、ということは。
何も言うことがなくなってしまったは、気まずさを埋めるかのように空を眺めていた。
その瞳に星が映り輝くのを、シリウスは見つめた。
『今の正直な気持ち、話してみたら?』。……正直な、気持ち。
それならば、きっと。
、と彼女の名を呼ぶと、はゆっくりとシリウスに視線を移した。
「俺はいつも、理屈をつけようとしてた。こういう理由があるからこうなんだ、とか」
2人の間を、静かに風が通り抜ける。夏とはいえ夜風は冷たかった。けれども、紅潮したにはその冷たさが心地良かった。
「……でも、理屈なんてないんだな。が言った通りだと、思う。毎日の積み重ねだ、って」
シリウスは慎重に、言葉を選んでいるようだった。けれどもはっきりと、言った。
「俺は
言葉にして、分かった気がする。自分の、気持ち。ああそうなんだ、と。これが人を好きになるということか。のことが好き。その言葉も事実も、すんなりとシリウスの中に沁み渡っていった。
は、えっ、と声を出そうと思ったが、喉が張りついてできなかった。頭の中がぐるぐると回っていた。
シリウス、いま、なんて、いったの?
しかし、言葉が咄嗟に出てきた。
「それは……友達として、っていうこと?」
掠れた声で問うに、シリウスは苦笑した。まさか、この質問を自分がされるとは。
「それ以上の意味も、以下の意味も、ない。ただ、……のことが、好きなんだ」
そして、待たせてごめんなと、シリウスは言った。
は、涙が出そうになった。なんとか堪えたけれども、目に溜まった雫は、視界を歪ませた。
信じられない。でも、……嬉しかった。嬉しすぎて、どうしたら良いのか分からない。
シリウスが、わたしのことを
目を丸くしてシリウスを見つめていると、シリウスは苦笑いのような笑みを浮かべていた。けれど、それは、先ほどの言葉を確かめるような、肯定するような、優しい笑み。
「ありがとう……シリウス」
声になったか分からない。けれど、胸の底にある思いは、伝わっただろうか。
ありがとう。
出逢ってくれて、ありがとう。私の想いを聞いてくれて、ありがとう。
私を好きになってくれて
今ならば、空にある星屑に手が届きそう。シリウスがいてくれれば、きっと。
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07/10/18