殺す?を?
シリウスは握り締めた拳を見つめた。どうして俺は無力なのだろう。なんとも言いがたい怒りが込み上げてくる。行き場をなくした苛立たしさを抱えたまま、ベッドにどさりと腰掛けた。ぎしりスプリングがと軋む音が響く。その拍子に、隣のチェストに肘をぶつけた。「いて」、と声を上げるのと同時に、チェストの引き出しが開く。そこには、小さな小箱が入っていた。
63. DEAD END
行き止まりの理論
ピアノソナタ『悲愴』
みんなに合う曲を選んだんだ。
そうだよな。そのあいつが、俺たちを簡単に突き放すことなんて、するはずなかったのに。どうして気づいてやれなかったんだろう。もっと真剣に考えていれば。
いや。考えるのが怖かったんだ。考えて考えて、それでも至ってしまう結論に。
は俺のことが嫌いになったんだ、と。
その可能性は、まだある。あいつは、単に俺に愛想を尽かせただけかもしれない。でも、彼女がどう思っていたのかさえ、今はもう聞くことができない。
コンコン。ノックの音に顔を上げると、ソフィアがドアの隙間から顔を覗かせた。
「
ソフィアは扉を閉め、中に入ってくる。シリウスは身体を起こした。
「シリウス……この頃、そういう顔ばかりね」
「どういう顔だよ」
シリウスは、隣に座ったソフィアに向けて、軽く鼻を鳴らす。ソフィアは口を噤んだ。
このところ、シリウスは時折、遠い目をしている。いや、それは今に始まったことではない。付き合い始めてからも、彼はそんな瞳を覗かせることがあった。その目が好きだったけれど、寂しかった。
私に至らないところがあるの、シリウス?
「シリウス、私のこと……どう、思ってるの?」
「どう、って」
シリウスは苦笑したが、ソフィアは笑ってはいなかった。彼女の澄んだ濃いブルーの瞳に、シリウスの顔が映る。
「私たち、恋人同士、よね?」
その問いに、シリウスは僅かに間を空けて、「ああ」と答える。ソフィアには、その声音が頼りないように感じられた。
それならば。恋人同士というなら。もっと、それらしいことをしてくれてもいいのに。
「……それなら、私、あなたの役に立ちたい。ねえ、悩んでいるなら話して」
「べつに、」
お前に言っても仕方のないことだ。そう言おうとして、シリウスは口を閉ざした。これでは、半ば八つ当たりのように聞こえる。でも、実際に、そうだ。誰に何を言っても、状況が改善されるわけではない。
黙り込むシリウスに、ソフィアは言った。
「さんのことでしょう?」
シリウスは僅かに眉を寄せた。隠しごとの上手い彼だから、こんな微弱な反応をしたということは、図星ということ。
「
「あいつの身を案じているのは、俺だけじゃない」
「つまり、心配はしてるのね」
「……そりゃあ、」
「それは、友達としてなの?」
ソフィアの言葉に、シリウスはどくんと身体が脈打つのを感じた。
『それは……友達として、っていうこと?』
再び沈黙するシリウスに、ソフィアは苛立ちを隠せなかった。
「答えて、シリウス」
ソフィアは強く言った。シリウスも、腹立たしさを感じ始める。彼女に対してか、自分に対してか、何に対しての怒りかは彼自身にも分からなかった。
俺だって
胸の内で吐き棄てて、シリウスは、ソフィアに口づけた。咄嗟のことに、ソフィアはぎゅっと目を瞑る。
ソフィアの思いは、シリウスには分かっていた。恋人同士というのに、まだ何もない。手を繋いだり、軽いキスをしたりすることはあったけれど、「まだそれだけしかない」ことを、ソフィアはもどかしく考えている。ソフィアだけではなかった。今までに付き合った女性もそうだった。付き合い始めて少し日が経つと、そんな素振りを見せることがあった。
だから、恋人同士って、なんだ?恋人だから、キスをしなきゃならない?一緒に生活しなきゃならない?
でも。そんな風に感じなかった女性もいた。彼女と交わした口づけは、もっと
シリウスは、ソフィアから顔を離す。一瞬の沈黙の後、ソフィアは言った。
「
夜中にふと目が覚めたシリウスは、そっとベッドを抜け出し外に出た。生温い風が頬を撫ぜる。
馬鹿か、俺は。
そう心の中で毒づく。一体自分が何を考えているのか、何を考えたいのかさえ、自身でも分からない。
「……くそっ」
シリウスは小さく吐き棄てた。恋人の眠るベッドへは戻りたくなかった。彼女が目覚めて、彼の温もりを探して切なくなるだろうということは分かっていても。
(最低だな)
シリウスは空を仰いだ。細い三日月があったが、星は見えなかった。
「
どれくらいぼんやりしていたのか、やがて背後から声がし、シリウスは振り向いた。僅かな月光に、リーマスの姿が見て取れた。彼はそっと微笑んでいた。その友人の姿に、シリウスはようやく、緊張していた糸が解れたような心地になる。
「僕の部屋から君の姿が見えて、さ」
リーマスはシリウスの隣に並んだ。
「なんだか、ひどい顔してるよ」
「俺、そんなに酷い顔してるか?」
先ほどのソフィアの言葉が連想されて、シリウスは失笑した。
「普段が整った顔だからね。ちょっと歪めると、そう見える」
リーマスの皮肉めかした冗談に、シリウスは今度は自然に笑い、それを見てリーマスも笑った。
「……まあ、こういう時勢じゃ、元気を出せっていう方が無理かもしれないね」
「ああ。
そうだね、とリーマスが相槌を打ち、間を空けて続けた。
「肝心ののことも、ね」
あえてシリウスが、その問題を口にしなかったことは分かっていたが、リーマスは言った。
シリウスは黙り込むと思っていたが、口を開く。
「このままだと……ダンブルドアたちが先に動くぞ」
「そう……だろうね。フィンスターを放っておけば、犠牲者は増える。個人的な感情で、あいつへの攻撃を留まっていれば、情勢はますます悪い方へいくのは目に見えてる」
「お前もそう思うのか?」
半ば責め立てるようなシリウスの口調に、リーマスは黙る。
「リーマス、お前が言ったんだろ。諦めない、って」
「言ったよ、確かにね。もちろん、諦めるつもりなんかない。でも、ね。考えてしまうんだ。もし僕が、人狼化して、人を殺して、……どうにもならないような状態になったら……、殺されても仕方ないと、思う」
雲で月が隠れ、辺りは闇に包まれた。静かだった。聞こえるのは、さわさわという風の音だけ。いっそ闇の中に溶けてしまえたら楽なのかもしれない、とシリウスは思った。そこは冷たいのだろうか。ひんやりして気持ちがよいのだろうか。もう光などいらないと思ってしまうのだろうか。なあ、そうなのか、。
再び月の光が射し、シリウスは口を開いた。
「殺してほしい、……そう、思うか?」
「さあ、どうだろう。なにしろ、人狼化してるわけだから、意識なんてないわけだし」
リーマスは苦笑した。
「
「5人、ね」
リーマスは笑みを広げる。
「その中に、僕も入ってるわけだ?」
「当たり前だろ」
「あとは、ジェームズとピーターと、リリー?」
「そうだよ」
「あとひとりは、誰だろう?」
シリウスはぐっと詰まった。
「分かってるんだろ?」
拗ねたように言うシリウスに、リーマスはくすくすと笑う。
「なんだか変だよ、シリウス」
「何が?」
「君には恋人がいるじゃないか」
シリウスは押し黙る。リーマスは彼の言葉を待った。
「もしかしたら
「どういうこと?」
リーマスはそっと、尋ねた。
「今みたいに、生きるか死ぬかなんて考える必要がなくて、ただ自分の好きなことをして笑ってた、……あの時のままなのかもな」
だから、ソフィアのことも考えず、のことを考えてしまうんだ。あの時の時間のままだから。
否定されるとシリウスは思っていたが、リーマスはそうだねと笑った。
「君がいて、ジェームズがいて、ピーターがいて。リリーがいて、がいて。それだけで、充分だった。だけど今は、誰かを失うことを考えなきゃならない」
未来が見えない。光が見えない。ヴォルデモートという深い闇に覆い隠されてしまっている。
沈黙が流れたが、それはシリウスのため息によって破られた。
「……いつまでそうしてるんだ、悪趣味」
リーマスには彼の言った言葉の意味が分からなかったが、やがて暗闇の中からひょっこりジェームズが姿を現すと、納得して苦笑した。
「やー、さすがにシリウスは鼻が利くね」
「いつから聞いてたんだよ」
「ダンブルドアが動くとかどうとか、その辺から」
「立ち聞きなんかしてないで、入ってくれば良かったのに」
そう言ったリーマスに、ジェームズは頭を掻きながらタイミングがね、と苦笑した。シリウスは呆れながらそれを眺める。
「お前の悪口の一つや二つ、言っておけば良かったな」
「そんなことしてたら、君のその整った顔とやらが台なしになってたよ」
「……最初から聞いてたんだな」
「え?何のことだい?」
わざとらしく惚けるジェームズの首に、このやろうとシリウスは腕を回す。
「わ、馬鹿犬!冗談ってものを知らないのか!」
「誰が馬鹿犬だ!」
2人のやり取りを眺めながら、リーマスは必死に声を抑えながらもくつくつと笑った。
「相変わらずだね、2人とも」
シリウスから解放されたジェームズは、体勢を立て直し笑む。
「そう、これが僕らだよ。ずっと変わることはないさ」
ジェームズは噛み締めるように、そしてシリウスに言い聞かせるように続けた。
「笑いあって、支えあって、苦しみも喜びも分けあえる。時代が変わっても、時勢が変わっても、それは変わらない。変わるものもある。変えなきゃいけないものもある。でも、それだけは変わらないように、変えないように生きていきたい。たとえ狼人間でも。たとえ老いない身体でも、ね」
リーマスははっとし、シリウスは表情を歪めた。
「は、取り戻してみせる。かならず。僕らのこころがそれを望む限り、は帰ってきてくれるさ」
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07/12/17