部屋の中には、リリーとピーターがいた。珍しい組み合わせだった。
68. NOWHERE
いきつくところのないもの
「どうかしたのか?」
戸を開け静かに言うと、ピーターはびくりと身を震わせ、リリーはそっと振り返った。2人の声が小さすぎて聞き取れず、けれども何を話しているのか気になって仕方がなかったので、勇気を出して会話に加わることにした。シリウスは中に入り、静かに扉を閉める。
「こんばんは、シリウス。どうしたの?」
「それはこっちの台詞だろ。お前たち2人だけの話し合いなんて、珍しい」
「気になる?」
リリーは悪戯っぽく目を細めた。ピーターはシリウスから目を逸らす。
「ちょっと目が覚めてしまった同士よ。眠れなくって」
「それで、ここに?」
「の顔を見ていると安心するの。こんな状態なのに、不思議ね」
スツールに腰掛けるリリーは、シリウスからに視線を戻した。
「こうやってがベッドに横たわる姿を見守るのは、何度目かしら。まったく、心配させて。……でもね。ほら、近くにいるでしょう?手を伸ばせば触れられる距離に。だから、いいの。傍にいるなら、私がなんとかしてあげられる」
リリーは強いな、とシリウスは思った。親友がこんな状態なのに、一時は落ち込んでいたとはいえ、今は毅然としている。
「今ね、ちょうど、ピーターから半月の話を聞いていたの」
「半月?」
「そう。、半月が好きなんですって。ね?」
リリーはピーターに視線を向けた。ピーターは肩をぴくりと上げ、たどたどしく「うん」と答える。
「ぼ、ぼく、どうして半月なの、って聞いたんだ。み、三日月とか満月のが、きれいなんじゃない、って。そしたら、そしたら、ね
それに、ね。
シリウスに、私の気持ちを言えたのは、半月の夜だったんだ。
、ごめん。
ピーターは心の中で謝った。何度も何度も繰り返した言葉。
フィンスターに、『演技』の指導をしたのは、ぼくなんだ。あいつに、の言葉遣いや振る舞い、みんなのことを教えたのは、このぼくなんだ。
やはり、抜け出せなかった。ヴォルデモートの支配からは。謝って許されることではないと分かっている。けれども、自分の身を守るためには仕方なかった。仕方ないという言葉を、呪文のように言い聞かせた。
「らしいわね」
リリーの言葉に、ピーターははっと我に返る。
「ぼ、ぼく……もう、寝るね。おやすみ」
ピーターはゆっくりと歩き出し部屋を出、そっと扉を閉めた。逃げるように去って行ったピーターに、リリーは「おやすみ」と声をかける。取り残された2人の間に、小さな沈黙が流れた。
「ねえ、シリウス。お願いがあるの」
リリーは真っ直ぐにを見据えたまま、切り出した。なんだよ、とシリウスは答える。
「聞いてくれる?」
「内容によっては」
「小さいわねえ。何でも聞いてやるよって、言えないの?」
「言えるか。特にリリーの『お願い』は、怖い」
「言ってくれるじゃない」
そう言いながらも、リリーはくすりと小声で笑った。
「でも、聞いてくれることを祈るわ」
マグルにはね、とリリーは語り始めた。
「おとぎ話があるの。『スノーホワイト』っていう」
「……ちょっと待て。それ、聞いたことある」
「本当?そのお話もそうだしね、他にも、眠った姫を目覚めさせるのは、王子のキスなの」
「
「この場合、姫は誰で、王子は誰かしら」
「いないだろ、姫も王子も」
「固い頭ねえ」
リリーは肩を揺らせた。彼女の斜め後ろに立つシリウスからは、彼女の表情が読み取れなかった。笑っているのだろう。けれど、後ろ姿がどこか切なそうに見えたのは、気のせいだろうか。
「こんなことを言ったら、に怒られるかしら……でもいいわよね。眠っているあなたが悪いんだから」
リリーは静かに振り向いた。緑の瞳には灯りが映って、きらきら輝いていた。けれども、その他に、色はなかった。
「はね、シリウスのことが本当に、好きだったと思うわ」
思わずどきり、とシリウスの心臓が動く。
「なに、言って」
「思い出して。あの頃のこと。の表情、言葉、ひとつひとつ」
シリウスははっとした。
『私、……シリウスのこと
『構いません
『ごめんね、悩ませて』
『……ただ……シリウスのことが好きだって、それだけだから』
『毎日を積み重ねていって、シリウスのことを
の言葉。いつだって、特別だった。彼女の言葉も、存在も。
とりとめのない会話が、何気ない日常が、好きだった。彼女との時間が。笑い合える時間が。
「シリウスは」
リリーの言葉に、我に返る。
「のこと、もう、好きではないの?」
「リリー」
「お願いよ、シリウス。を助けて。それができるのは、あなただけ」
「……俺には、何も」
「そんなことない。それは、あなたが心を閉ざしてしまっているだけ。、あの子、本当に不器用だから……シリウスと同じくらい、不器用だから……だから、2人とも心を開かないまま、遠ざかってしまっているだけ。本当はお互いに大切に思っているくせに」
リリーの瞳に涙が溢れてきて、シリウスは慌てた。けれども、それ以上にシリウスの胸を打つものがあって、動けなかった。
「呆れるくらい不器用で……でも、優しくて、自分を傷つけて……似た者同士よね。私、ふたりのこと、大好きよ。だから、幸せになってもらいたいと思う。私も、幸せよ。でもふたりが幸せでないと、心の底から幸福を感じられない」
リリーは立ち上がった。シリウスの目を、真っ直ぐに見据える。
「単なるわがままよね。私が好きな2人同士に恋人になってほしい、なんて。でも、あの子、絶対に自分からは本心を言わない頑固ものだから」
だから。
を、助けて。
リリーのいなくなった空虚感を胸に、軽くため息を吐いて、シリウスはスツールに腰掛けた。
『のこと、もう、好きではないの?』
と初めて会ったのは、いつだっけ。そう、あの時はジェームズが一緒にいた。ジェームズと面識のあった。家はブラック家と同じく純血を誇りにした血筋だと知っていたから、ジェームズがその家の子と知り合いだったなんて、幻滅した。その彼女と初めて面と向かって会話をしたのは、そのことについて。すぐに、自分の考えは誤っていたと思い直した。彼女も、純血を誇った自分の家名について、良くは思っていなかった。そのことに、ほっとした。それは、ジェームズと知り合いの子を嫌いにはなりたくなかったから、とだったかもしれない。
そう。とは、ジェームズがきっかけだった。はじめは、ジェームズを通してしか見ていなかった。
それから、図書館で共に勉強をしたり、少しずつ話をするようになっていった。そして、ルーン文字学で一緒になった。いつしか、彼女は『ジェームズの知り合い』から『ジェームズの友人』に変わり、『自分の友人』となった。次第に、リーマスやピーターともよく話すようになった。
それから、
それで、禁書の棚に忍び込んで、罰を食らったんだっけ。彼女も罰則を手伝ってくれたんだった。たぶん、なりにすまないと思っていたのだろう。
そして、……が女子と争っているのを、立ち聞きしてしまった。
まさか、と思った。そんな、馬鹿な。だって、彼女は『友人』で、そんな素振りは一度も
そして、彼女が倒れた。今のようにベッドの上に眠る姿を、眺めていた。今だから、客観的に思い返すことができる。重症だと聞かされた時、あの時は混乱していた。
けれど、目を覚ました。そして、ずっと思い悩んでいた真実を尋ねた。
『私、……シリウスのこと
心がずっしりと重くなった。
それから、自分の答えを探した。チェス、ホグズミード、クリスマス、両親、監禁、夏の日々。
いろいろなことがあって、ようやく気がついたんだ。
彼女が大切だと。共にいると楽しいと。もっと傍にいたい、と。
最後の1年は、一緒に過ごした時間が多かった。本当に、楽しかった。ジェームズたちもいて、彼らも笑っていて。ああ、でも。途中からは、が時折暗い表情をしていることがあった。今思い返せば、不老のことで悩んでいたのだろう。けれども、気づかなかった。気づけなかった。楽しかったから。幸せ、だったから。そうして、最後の最後に、離れた。
『冷めてしまった』
ホグワーツ卒業後のことは、それほど詳細に思い出せない。
なあ。あれは、本当なのか?本当に俺のこと、『冷めた』のか?今まで言ったこと、あの夜に、あの夏に言ったことは全部、嘘だったのかよ。
答えろよ、。
思わず手を伸ばしていた。そっと、の額に触れる。微かに呼吸はしているのに。
「、」
彼女の名を、呼ぶ。
「」
今度は手を離し、もっと強く。彼女の前髪がはらりと流れた。返って来る言葉は、ない。
「
彼女に向けて言ったのか、それとも自分に対して言ったのか。
たぶん、俺自身にだ。俺は結局、何もできない。無力なんだ。
『を、助けて』
俺だって、助けたい。どうにかしたい。
でも、どうにもならない。あのダンブルドアでさえ無理なんだ、俺なんかに救えるわけがないだろ。
『眠った姫を目覚めさせるのは、王子のキスなの』
俺は王子なんかじゃないし、あいつも姫なんていう役割、嫌がるだろう。
でも、それでも、今は何かにすがりたかった。
動かないの唇に、キスを落とす。微かに、ほんの微かに、温もりが感じられた。けれど、目を覚ます気配はない。目は固く閉ざされたまま。
俺じゃやっぱり、
駄目、なのか。
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07/12/21