朝がやって来た。静かな朝だった。思えば、こうして朝を迎えられる日が来ようとは思いも寄らなかった。あの全身を貫くような頭の痛みで倒れた時、もう駄目だと感じた。『フィンスター』の笑っている顔が目の前に浮かんできて、「お前は安らかに眠れ」と、そう言ったような気がした。この身体はもう私のものではなくなった。もう『私』が『私』でいられることはないかもしれない。そう、思ったのに。
何かにたぐり寄せられるように、またここに戻って来た。また『私』に戻ることができた。
それは、きっと    

ばたばたと勢いのよい足音が聞こえてきて、は目を開けた。足音はこちらへ向かって来ている。何だろうと思った途端、部屋の扉が開かれた。

!」

何ごとかと上半身を起こすと、そこには喜びに満ちたジェームズの姿があった。ジェームズは部屋の中に駆け込んで、をぎゅうと抱き締めた。

 

69. LIFELINE
わたしのライフ・ライン

 

「ジェー、ムズ……」

咄嗟のことに、は彼の腕の中に収まりつつも目を白黒させていた。

「ああ、もう!本当にどうなるかと」
「おい、ジェームズ」

ジェームズの背越しに、扉の前で不服そうな顔をしているシリウスの姿が目に入る。ジェームズは「あ、ごめん」と軽く(シリウスではなく、に)謝って、を解放した。

「さっき、シリウスからのことを聞いてさ。いても立ってもいられなくなって」
「でもさ。いくらなんでもデリカシーがないよ。女性をいきなり抱き締めるなんて」

柔らかな声が聞こえて、ははっとした。リーマスが微笑を浮かべながら部屋に入って来る。シリウスもその後に続いた。

「いいじゃないか。友達なんだから」
「その理屈が通るなら、世の中は大変なことになるよ」

リーマスの忠告に、そうだねえと適当に対応して、ジェームズはに向き直った。はくすくすと笑みを漏らす。その姿を見て、ジェームズも顔を緩ませた。

。戻って来てくれて、本当に嬉しい」

改めて面と向かって言われると少々照れ臭くて、は布団を剥いで、ベッドの外に足を投げ出した。

「久しぶり、だね」

苦笑いのように微笑むと、そうだね、とジェームズも笑みを返してくれる。は両足に力を込め、立ち上がった。手足が、動く。つい嬉しくて、両手を上下に振ったりその場で足踏みをしてみせる。

「何だか、自分の身体が懐かしいな」
    本当に、なんだね」

ぽつりと言ったリーマスに、は身体を動かすのを止めた。

「よくよく考えてみると、『フィンスターが演技していた』はあんまり似てなかったねえ。どうして僕ら、気づかなかったんだろう」

リーマスの苦笑いに、も同様の表情を作る。
自分がフィンスターであった時の記憶はなかった。だから、誰を殺してしまったとか、そういうことは憶えていない。幸い、と言えるかもしれない。けれども、その一部を、昨晩シリウスから聞き出した。休んだ方がいいと渋る彼から、半ば強引に。そして、フィンスターやヴォルデモートが張っていた罠のことも聞いた。フィンスターがを演じていたことを。彼のおこないは許せない。けれど、心境は複雑だった。自分のこの身体がおこなったことなのだから、一心に憎悪することができない。

「……もう、フィンスターの意識はないのかい?」

ジェームズは注意深く尋ねる。

「うん、そうみたい。頭痛もないし」
「でも、ヴォルデモートとの接触は避けた方が良いだろうね」

ジェームズの言葉に、はそうだねと曖昧に頷く。
もっとも、できることなら二度と奴とは会いたくはない。

「それじゃあ、殺人呪文を受けて死んだのは、フィンスターの意識なんだ」

そうなのだろう。たぶん、リーマスの言う通りなのだと思う。殺人呪文を受けてもこうして無事なのだから、この身体の代わりに奴の意識が死んだのかもしれない。けれども、もしかしたら生きているのかも、とも考えてしまう。私の頭の中の片隅に、まだ奴がいるのかもしれない、と。

「でも、このまま目を覚まさないんじゃないかって思ってた。良かった、本当に」

今でこそこう明るく言えるけれど、つい昨日までは心底不安だったんだよとリーマスは加える。

「んー……でも、どうして昨日、目が覚めたんだろう?」

ジェームズはちらりとシリウスを見、シリウスは俺は「さあ」という風に目を逸らした。

「私も分からないんだ。本当にこうして無事なことが不思議。けど、     『光』が見えたの」
「光?」
「そう。闇の中の小さな光。それを追っても追っても追いつかなくて、でもずっと追いかけて走っていったら、急に視界が開けて。夢、だったのかなあ。」
「ふうーん。僕としては、どうしてシリウスがの部屋にいたのかも気になるけど?」
「あー……それは、……リリーと、ピーターがここにいて、明かりが見えたから」

シリウスは頭をがしがしと掻いて答える。ジェームズはシリウスの言葉を信じていないようで、目を細めて彼を見た。シリウスが抗議をしようと口を開きかけた時、部屋の中に入って来た女性に遮られた。

!」

は顔を綻ばせる。目を奪われる美しい赤い髪、緑の瞳。懐かしい親友。またしばらく見ないうちに綺麗になったかな、なんて思う。

「良かった、良かった、良かった!目が覚めたのね!本当に、もう、どうしようかと」

リリーはにぎゅうと抱きつき、素早く放した。

「リリー、……久しぶり」
「何を呑気なこと言ってるのよ。心配したのよ」
「……ごめん」
「でも、ありがとう。戻って来てくれて。ありがとう、かばってくれて」
「うん、    って、あれ?そういえば、お腹は?」

リリーのほっそりした身体を眺め、は視線をリリーからジェームズ、シリウス、リーマスに移した。みんな、にこにこと笑っている。

「産まれたのよ」
「え、うそ!?だって、そんな」

シリウス、一言も。はシリウスにちらりと視線を向ける。シリウスは「興奮させると不味いと思って」と口の中でもそもそ呟いた。

「どんな子?名前は?」
「男の子で、名前はハリー。髪の色は僕似、目はリリー似」
「ハリー。良い名前だね」
「ありがとう。まあ、シリウスには名づけのセンスがあって良かったよ」
「シリウスがつけたの?」

ジェームズからシリウスに視線を移すと、照れ臭そうに「まあ」という答えが返ってきた。

「なんだか、取り残された感じ」

が眉根を寄せて言うと、ジェームズはくすりと笑った。

「取り戻せるよ、いくらでも」

 

の部屋を出た途端、リリーは「私、ハリーのところに行くわ」と走り去って行った。

「で、」

リリーの足音が遠ざかってから、ジェームズは腕をシリウスの首に回す。

「何があったのかね?」
「べつに、何も」

シリウスはそう言って、ジェームズの腕を振り解く。

「そうかい?王子のキスで蘇ったんじゃないの?」
「馬鹿馬鹿しい」

本当、夫婦そろって同じことを言う、とシリウスは内心で呆れた。

「でもさ、シリウスもも、吹っ切れたような顔、してるよ」
「そうそう。僕もそう思った。もシリウスも、この前まではどこか影があったのに」

ジェームズとリーマスは口々に言い合う。
そうなのかな、とシリウスは思った。そういうことは自分では分からない。
けれど、吹っ切れたのは真実だ。今まで散々葛藤していたのが、嘘のように。

「で?で?どうなった?」
「どうにもなってねえよ」
「嘘ー」

ジェームズは顔を膨らませてみせる。

「でもさ、思わなかった?やっぱり俺にはが必要だ!って」
「あーうるせー!」

シリウスはジェームズを煙たがりながら、背中を見せた。待ってよ、とジェームズはその背を追いかける。相変わらずだな、2人とも、とリーマスは軽く息を吐いた。

 

『……ごめ…ん……まだ、怖い     

いつか、シリウスと共に歩めなくなる時間が来ることが。あの後、はそう言った。

『俺は、そんなこと』
『分かってる、……私が……怖いの……』

俯くに、シリウスは言った。

『分かった。べつに、俺の意見を押しつけるつもりはない。待つよ、俺も。散々待たせたからな』

そう笑ってみせると、も微笑んだ。

 

を助けてみせるなんて言っておいて、やっぱり結局、そのナイトの役は君に譲ることになっちゃったわけだ」

残念そうな口調で、けれども少しも残念そうな声音ではなく、ジェームズは親友の背に向かって言った。

「少なくとも君の方は、『答え』を見つけたみたいだね」

シリウスは振り返ることなく歩き続ける。けれども、聞こえているに違いない。

「その答えに確信があるなら、    を放すなよ」

 

小さなベッドを覗き込むと、小さな赤ん坊がすやすやと眠っていた。
ジェームズはあんな風に言っていたけれど、将来はどんな子になるかしら。どんな子でもいい。他人を思いやることができて、健康であるなら。

ぽたり、と赤ん坊の頬に雫が落ちた。リリーは慌ててそれを静かに拭う。ハリーは眠ったままで、ほっとした。先ほど寝つかせたばかりだから、また起き出して手を焼きたくはない。

リリーは傍のスツールに腰掛けた。
    良かった。が戻って来た。本当に良かった。
きっと、シリウスが、約束を守ってくれたのだろう。私の念も届いたのかしら?
ジェームズも、リーマスも、ピーターも、みんなみんな、祈っていた。その願いが通じたのだろう。

「あの不器用なおふたりさん、うまくいくといいんだけどなあ」

リリーはぽつりと、眠る赤ん坊に言いながら、涙を拭った。

 

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07/12/22