はベッドの上に腰掛け、スツールをシリウスに差し出した。

「……死んだらどうなると思う?」
「さあな。でも    ゴーストになるんじゃない限り、何もないんじゃないのか」
「何もない、か」
「そういうのは神秘部が調べることだろ」

シリウスが明るく言おうとしていたので、もそうだねと笑みを作った。

「でも……死ぬのは怖いよ」
「俺は    死なれる方が怖い」

 

71. Millennium Night
やまない雨の夜

 

は顔を上げ、シリウスを見た。
『死』。自分が口にすることも少し躊躇われる言葉だけれども、他人に言われると、そこにはより恐ろしい色が混じっているように思えた。

「誰かが死ぬなら、俺が死んだ方が」
「やめてよ」

は強く言って、遮る。そんなこと、ぜったいに、だめだ、……。

「縁起でもないこと言わないでよ」
「でも、だってリリーをかばっただろ?死ぬかもしれないって解ってたはずだ」
「あの時は咄嗟だったから」
「もうあんな思いはご免だからな、俺は」

シリウス。心配してくれるのは嬉しいけど、私だってあなたを失いたくないんだよ。
は、もし彼が死んだらと考えて背筋を震わせた。彼がいないなんて、考えられない。シリウスがもう二度と戻らないなんて。シリウスの顔を見られないなんて。声が聞けないなんて。そんなの、いやだよ。
俯くに、シリウスは続ける。

「スネイプは、本当に俺たちの側についたのか?」
「そうでしょう、きっと」

は顔を上げる。案の定、シリウスは不服そうな顔をしていた。

「どうしてそんなに簡単に信じられるんだよ、あいつを」
「だって……セブルスが逆にヴォルデモートのスパイだとして、そんなに危険を冒す必要があるの?ダンブルドアの力は分かってるはずだし、当のダンブルドアだってセブルスを信じてるんだから」
「ダンブルドアだって万能じゃない」

それはそうだけど、とは詰まる。いくら最強の魔法使いと謳われても、ダンブルドアとて何でも見通せるわけではないのは、分かる。

「それに、さっきあいつがした話だって、嘘かもしれない」
「それは、ないと思う」

セブルスが嘘を吐いていたとして、彼に得があるわけがない。一概に損得の問題でもないけれども。

「たぶん、エリックは、本当に……」

はそこまで言って、口を閉ざした。シリウスは複雑そうな表情を見せるが、尋ねる。

「スネイプは……ニルソンの死ぬところを見たのか?」
「ううん    でも、遺体は見た、って」
「……そうか」

それに、と言いかけてはやめた。それに、彼の伝言も、聞いたから。

「ごめんな。    辛い、だろ?」
「……知っている人が死んでしまうのは、ね。でも、シリウスだって」

咄嗟に言ってしまって、はしまったと思った。シリウスは眉を曇らせる。

「俺が?どうして?」
「だって、」

が言い難そうに閉口すると、シリウスは苦笑した。

「レギュラスのこと、か?」
「……うん」
「俺が辛そうに見えるか?家族の顔なんてずっと見てないし    それに、あいつは俺を嫌ってたし」

うそだ。うそ。シリウスがいくら家族を嫌っていたって、長い間を共に過ごした、血を分けた家族ではないか。シリウスは、シリウスの目には、どこか暗い色がある。
のその憂いの表情が出てしまっていたのか、シリウスは言った。

「そんな顔するなよ」

自分が一体どんな顔をしているのかは分からなかったが、とりあえず唇をきゅっと結んだ。
シリウスは続ける。

「俺は、あんな家の    血筋の人間は大嫌いだし、それは何があっても変わらないと思う。でも、俺には、家族なんかよりもずっと大切に思える存在があるから」

シリウスは立ち上がって、窓の側へ歩み寄った。外は相変わらず激しい雨で、雫が窓に飛び散っている。は彼の背を見つめた。シリウスの気持ちは、解る。自分にも家族はいないけれども、同じように愛せる人々がいるから。だから、随分救われた。

「ジェームズ、ね。リーマスと、ピーターも」
「まあ、な」

が尋ねると、シリウスは振り返らずに答えた。

「あいつらに会わなかったら、俺の人生も変わってたんだろうなあ」
「そうだね    私も、みんながいなかったら、……」

もしそうだったら、きっと独りで苦悩と戦っていたんだろうな。もしかするとフィンスターに意識を乗っ取られたままだったかもしれない。いや、それ以前に、両親の喪失に耐えられなかっただろう。ジェームズ、リリー、リーマス、ピーター、シリウス。みんなの存在の重さを、改めて感じた。
ざああと雨の音が激しくなり、沈黙した2人の間にそれが響き渡った。

    雨、ひどいね」

はぽつりと言った。

「嫌な雨だ」

窓に打ちつける雨を眺め、シリウスも漏らす。
この闇に紛れて、今も死喰い人が動いていると思うと、何とも言えない気分になった。次の犠牲者は誰か。そう考えると堪らなかった。もしかしたら、明日、誰かが……。
何考えてるんだ、そんな縁起の悪いこと。きっと、近しい者がいなくなったから、だ。
にはああ言ったものの、一種の虚無感のようなものをシリウスは感じていた。哀しみとは呼びたくはない感情だが、喪失感はあった。10年同じ屋根の下に住んでいた者が亡くなったのだから、それも当然のことなのだろうか。それにしても、嫌な気分だ。この雨のせいだろうか。

    なあ」

心の靄を掻き消すように、シリウスは切り出す。

「俺は、ジェームズと……あいつらとは、出逢うべくして出逢ったと、思ってる」

は、シリウスの声の中の重さを感じて、努めて明るく応えた。

「大好きなんだねえ、ジェームズが」
「馬鹿。最後まで聞け」

シリウスは振り向き、むきになって答える。くすくすとが笑うと、シリウスはますます不機嫌そうな顔を作り、どすんと隣に腰掛けた。ぎしりとベッドが軋み、その反動での身体も揺れる。

「でも俺は、    と逢えてなかったら、っていうのが、一番想像できない」

は笑うのを止める。

「もしお前が俺の隣にいなかったら、誰がいたんだろう、って」
「……リリーだったりして」
「こういう時に冗談言うなよ」

シリウスは呆れたように笑う。
こうでも言わないと、なんだか歯痒かったからと、は内心で言い訳をした。

「可能性として、あったかもしれないでしょ」
「ないだろ」
「でも、リリーだって、初めはジェームズのこと嫌いだったんだよ」
「うーん。そういえば」
「リリーだって、シリウスを好きになったかもしれない」

そう。そうなっても、不思議ではなかったんだ。はそう考え、どきりとする。

「……もしそうだったら、シリウスはどう?」
「どう、って」
「もしジェームズが、リリーを好きじゃなかったとして。リリーを好きになってた?」

そうだったとしたら、ひどくもどかしかっただろうとは思った。可愛くて性格の良いリリー。自身も大好きなリリー。彼女の恋を応援していただろうか。いや、でも、シリウスへの気持ちは変えられなかったかもしれない。

「そうだとしても    が近くにいたら、俺はお前を選んでたと、思う」

シリウスの言葉に、の心臓が跳ね上がる。顔が熱くなってゆく。珍しい。こんな風に、シリウスが素直に語ってくれるのは。

「シリウ    

言いかけたの頬に、シリウスは手を触れる。再びの心臓がどくんと鳴った。
本当は、彼女の『返事』を待つ身だと解りつつも、止めることができなかった。激しい雨。冷たい雨の中で、温もりが欲しかったのかもしれない。シリウスは、の唇に口づけた。

彼とのキスは何度目かだけれども、未だにこういう時に何を考えて良いのか、には分からなかった。何も考えられない。ただ、彼の温かさを感じているだけ。彼が愛しいと想うだけ。

柔らかなキスを終え、シリウスは顔を離した。も目を開ける。その途端、今度は強く口づけられた。咄嗟のことに、は目を見開く。
シリウスは角度を変えて何度も激しく口づけをし、は目をぎゅうと閉じた。
頭の中が真っ白になる、……。
は声を漏らしてしまいそうになるのを、堪えた。どうすれば良いのだろう、は混乱しながらも、必死で彼の行為に応えようとした。

でも。シリウス    震えてる。

どうしたんだろう。やっぱり、弟のことが辛いのではないだろうか。そう考えた時、シリウスの体重がぐっと圧し掛かってきて、支えきれなくなり、はベッドの上に倒れた。ようやくシリウスはを放し、彼女に覆い被さった状態で、を見つめた。はただ呆然と、彼を見返す。
雨の音だけが、やけに耳についた。

    嫌なら、やめる」

シリウスは低く言った。は答えられなかった。それは、つまり、……?

「いや、というか、」

は必死に言葉を紡ぎ出す。油断をすると、意識が飛んでしまいそうだった。

「私    その………こういうこと、今まで、なかったし……」

シリウスは驚いたように、僅かに目を丸くした。

「相手なんて、いないし」

が困ったように笑うと、シリウスも表情を緩めた。しかし、その表情を吹き消してしまう。

「でも    俺は」

シリウスはそのまま押し黙った。
その彼の瞳が何処か切なくて、はそっと右手を上げ、シリウスの頬に触れた。涙は流していないのに、彼が泣いているように見えた。
ごめんね、シリウス。傷つけたのは、私だよね。ごめんね、ごめんね、ごめんね。
もう一度、いや、何度でも彼に謝りたかった。けれど、言葉にしてしまえば、シリウスは気を遣うだろう。
それに、本当に言いたい言葉は、謝罪のことばなんかじゃない。
ありがとう、と、は声に出さずに言い、笑みを見せた。シリウスも、ぎこちなく微笑む。
の額にそっとキスを落とし、シリウスは再び深く、口づけた。

 

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07/12/22