リーマスに言われた通り、彼が去った後も、はそのままベッドの上でぼんやりと休んでいた。
しかし、しばらくしてベッドを降りた。じっとしていられなかった。窓から射し込めて来る光が眩しく、温かかったから。窓越しに空を見上げると、雲ひとつない青い空が広がっていた。湖が、太陽の光を受けて、美しく輝いている。久しぶりに光の下に行きたいな。
はそっと、部屋を出た。

 

120. End of the rainbow
虹のむこう

 

は湖の近くへ行き、屈んだ。そして、目を閉じる。初夏の空気が気持ち良かった。
ここへ来ると、心が和む。いつもの場所。思い出の詰まった場所。いや、思い出そのものである場所。
こうしていると、色々な音が耳に入ってくる。まずは、声。遠くから、たくさんの人の、たくさんの種類の声が聞こえてきた。高い声、低い声、明るい声、歓声。少し前までは静かだったのに。ホグワーツは、本来の活気を取り戻したのだ。
そして、小鳥のさえずり。風で、葉が擦れる音。ちちちち、ぴよぴよ、さわさわ、さああ、………。
平和だ。もう終わったんだ。ヴォルデモートが、彼の勢力が力を奮うことは、もうないんだ。人々がそれに苦しめられることも、もうない。明るい世界。幸せな世界。

それなのに、なんだろう、この気持ちは。理由はいくつか思い当たった。
まず。人の命を奪ってしまったこと。ベラトリックスを殺してしまったこと。自分の意志で人を殺したのは初めてだった。人の生の可能性を奪ってしまった。けれど、もう何かの問題に悩んで、下を向くのはやめにしよう。私の中では、忘れないこととして、刻んでおこう    

2つ目。ヴォルデモート。フィンスターの意識が残っているはずがないのに、ヴォルデモートが滅びて良かったと、素直に喜べなかった。奴は、ジェームズとリリーとピーターの、たくさんの命を奪ったというのに。けれども。やはり、この世には『絶対の悪』など存在しないのではないだろうか。ヴォルデモート    トム・マールヴォロ・リドルは、彼自身の何かを歪めてしまったのだ。愛のなさ故に。ある時から何かが狂ってしまったのではないか。少しずつ、時計の針が遅れていくように。『君を救いたかった』、……ダンブルドアの思いが、解るような気がした。

3つ目。ふたりぼっちになってしまったこと。
彼らの死は受け入れられた。みんなとの思い出を大切に生きてゆくと決めた。
けれど、やっぱり少しだけ、寂しいよ。

そういえば、シリウスは、ジェームズとリリーのいるところへ辿り着けただろうか。死の間はとても複雑なところだと、リリーが言っていた。シリウスがふたりのもとへ行けますように。
ジェームズとリリーは、彼への伝言を伝えてくれるだろうか。
幻でいい。彼にはきちんと、伝えたいことがあった。
は自分の膝を抱き、そこに顔を埋めた。風が、吹き抜ける。    

 

 



声が聞こえたが、自分の頭の中で響いているのだろうと思った。先ほどの夢の余韻がまだ残っているのだろう。現実にはありえない、けれども愛しい声。その響きを頭の中で反芻し、心地良い思いに浸った。今だけ、夢の中で、あなたを感じていたい。



もう一度聞こえて、は顔を上げた。とうとう本格的に幻聴が聞こえるようになってしまった。おかしいなあ。病み上がりだからだろうか。いや、きっと、この場所のせいだ。

!」

今度は大きく、すぐ近くで聞こえてきたので、ははっとし、振り返った。


時が止まったかと思った。いや、止まったのだろう。実際に、の中では。
動けなかった。何も考えられなかった。呼吸もできなかった。ただ、目を大きく見開いて、瞬きも忘れ、目の前の光景を見ていた。
なんだろう。いま、なにが起こっているのだろう。

「大丈夫か?」

その言葉の意味を呑み込むのに、10秒近くかかった。私を、心配している?
目の前の人物は、沈黙するに眉をひそめ、見下ろしていた。
彼の身体の線は、陽の光を受けてきらきらと輝いている。    まぼろし。本当に、現れてくれたんだ。
もしかして、私の願いを、神さまが、もしかしたらジェームズたちが、叶えてくれたのではないだろうか。彼に伝えたいこと。それを伝えなさい、と。確かにそれはあったはずなのに、いざ面と向かうと声が出てこない。何も言えずに黙っていると、目の前の彼は屈み、目線をと同じ高さにした。

「ええと、」

はようやく声を絞り出す。

「どれくらいの時間があるのかな」
「え?」
「消えてしまうまでに」

彼は、記憶の中の彼と同じ動きで、眉をひそめた。
錯覚してしまいそう。ほんとうにあなたがここにいるのだと。

「ジェームズとリリーには会った?」
「ええと、」
「ピーターは?ピーターのことは、聞いた?」
「ああ」
「みんなに会ったら伝えてよ。ハリー、ヴォルデモートを倒したのよ」
「聞いたよ」
「誇らしいでしょう?もう闇の時代は終わったの。明るい時代。これからは笑って暮らせる」

「やっぱり    いやだよ」

は顔を下げた。これ以上、彼を見てはいられなかった。
幻でも会いたいと、先ほどは願っていた。でも、いやだ。
あなたに会うのなら、ほんものじゃないといやだ。

「ずるいよ……私の知らないところで死んでしまうなんて……ずるい」

涙が止まらなかった。せっかく決心をしたのに。もう悲しまないって決めたのに。やっぱり、むねが、いたい。あなたの存在は、わたしにはおおきすぎた。
でも、せっかく幻でも会えたんだから。そう、何かが引き合わせてくれたんだから。伝わるのかな。遠くにいるシリウスに、つたわるかな。
だいすきだよと、声を出そうとした。けれど、口から漏れたのは嗚咽だけだった。

「ごめんな」

あやまらないでよ。あやまるくらいなら    そばにいてほしかった。
不意に、身体を温もりが包み込んだ。懐かしいあたたかさ。

「ごめん」

耳元で、もう一度声が聞こえた。は、首を横に振った。
ううん。ありがとう。会いに来てくれて、ありがとうね。
そう。会いにきてくれた。それだけで、じゅうぶん。
でも、今は    せめて、少しだけでも、こうさせて。

はシリウスの背に手を回し、ぎゅうと抱きしめた。
彼の光が散ってしまわないよう、胸に抱きとめるように。

 

 

気持ちが落ち着いてきて、違和感を抱きはじめた。なんだろう。彼の身体から、心臓の鼓動が聞こえてくる。耳元の息遣い。背中に回された力の強さ。幻にしてははっきりしすぎているな。天のちからはすごい。それとも、私の幻想のちからもあるの?
は身体を離した。何を尋ねようか迷っていると、相手の方から語り始めた。

    ベールの奥は、死の世界なんだ。俺は、そこへ飛ばされた」

幻とはいえ、シリウスの意識を持っているのだろうか。彼の話に眉をひそめる。

「事の始まりは、2年前の、クリスマス前だ。俺は、もうあの屋敷には閉じこもっていたくないとダンブルドアに訴えた。ダンブルドアは何かを深く考えた様子だった。それから」

は涙を拭う。もしかして、はるばる事の真相を伝えに来てくれたのだろうか。

「ダンブルドアから『計画』を提案された」
「計画、……?」
「ああ。俺の疑いは、誰がどんな証言をしたところで晴れることはない。俺が自由に動けるようになるにはどうすればいいか。『死』を装えばいい、と」
「……えっ?ちょ、」
「ただ、どうやって死んだと思わせるか。    ヴォルデモートは、予言を欲していた。だから、俺たちがどんなに阻んでも、あらゆる手を使ってハリーを神秘部へ誘き出すだろうと、ダンブルドアは考えていた。その時に、俺も救出に行って、ベールの奥へ飛ばされ、死んだと思わせればいい」

『死んだと思わせればいい』?

「でも、さっき言ったように、ベールの奥は死の世界だ。だがダンブルドアは、特殊な術を知っていた」

シリウスはローブのポケットに手を入れ、何かを取り出した。彼は手を広げ、にそれを見せる。そこには、小さな銀の輪が乗っていた。は驚愕した。

「これ、まさか……」

昔、シリウスがくれた指輪。一度は彼に返したもの。それは、クリスマス・プレゼントとして、宝石つきで戻ってきたはず。は自分の指にはめられているそれと、シリウスの手の上のそれを見比べた。

「悪い。あの時言ったのは、嘘なんだ。俺がこの指輪を持つために、お前にはそれを渡した」
「うそ」
「『この世』との繋がりが強いものにある魔法をかけて、それを身につけていれば、ベールの奥でも自我と身体を保っていられる。だが、意識が死の世界に呑み込まれてしまえば、結局は死んでしまう。だからこれは    賭けだった。ダンブルドアも、勧めはしなかった。むしろ、止めた方がいいと言っていた」
「……」
「正直なところ、危なかったと思う。でも、ベールの奥を彷徨っていた時    ジェームズとリリーが現れて、なんとかそこを脱することができた。それからダンブルドアが用意してくれた隠れ家へ行った。俺の疑いが晴れたことは驚いたが、騎士団に戻ろうと思った。でも、よく考えた。死喰い人も俺のことは死んだと思っている。なら、ダンブルドアの手足になって、陰で働いた方がいいと思った」

話の結末は、なんだろう。は呆然と聞き入っていた。そこにどんでん返しはあるのだろうか。

「それから、ダンブルドアにベールの中でジェームズとリリーの幻を見たと言ったら、調べてみたいと言い出した。それで    ダンブルドアが『死んだ』後、神秘部へ入ったんだ。それで、閃いたらしい。ヴォルデモートを倒す鍵を。ゴドリックの谷、剣、ヴォルデモートの中に流れるハリーの血、パトローナス、フォークス。そして、霊魂。直前呪文やフォークスの力で現れた、ヴォルデモートの犠牲者の霊。それを強めるために、ベールを一時的に解放したんだ。俺が、な。ベールを解放すれば、一時的だが、霊魂の力が強まるということが分かった。それらが全て集まって、圧倒的な『光』の力が生まれた。その力が、ヴォルデモートを破った」

あの眩いほどの光の大海。それは、すべてのことが重なって起きたことだったのか。

    それで?」
「それで、って……一応、話は以上なんだが」

つまり。

「つまり、……」
「まさか、まだ信じていなかったのか?俺は生きてる。この通り」



いきてる。

うそ。
うそだ。
うそでしょう?



「ほんとうに……まぼろしじゃ、ないの?」
「ああ。そう思ってたのか?こんなに実体のはっきりした幻なんて、あるわけがないだろう」
「だって、」

だって、あなたはもういなくなってしまったと思っていたから。
辛かった。どうしようもないくらい悲しかった。でも、必死に必死に耐えた。受け入れた。向き合って、やってゆけると思った。でも、胸の中の寂しさは消えなかった。
けれど、シリウスは、ここにいる。

全身から力が抜けた。手足が震える。がくりとシリウスの身体に倒れ込むようにもたれるを、シリウスは支えた。しっかりとした手つきで。
シリウスは、ここにいる。まぼろしじゃない。ほんものの彼が。
再び流れてくる涙を、止めることはできなかった。

「馬鹿……!シリウス、死んでしまったと、……」
「悪かった……ごめんな」

俺だってつらかったんだ。でも、闇の勢力を少しでも早く倒せるのなら、何よりもまずその力になりたいと思った。もう誰も悲しむことがないように。大切な人を失うことがないように。
はシリウスにしがみついた。幻ではない。もう二度と離したくはないと、噛み締めながら。


    

シリウスは胸が詰まるくらいに優しい声で言った。

「忘れてないか、2年前の言葉」

シリウスは耳元で尋ねた。
忘れるわけがないでしょう?忘れられるわけがない。
もう二度と、そうしないと誓った。そして、もう手放さない。決して、この想いは。


「愛してる、シリウス」

ジェームズに託した伝言は、私の口から言うことができた。
ずっと言いたかったこと。やっと、言えた。

「よかった」

シリウスはそう微笑みながら、口づけた。

 

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the end of the rainbow 『願いが叶えられる場所』 08/1/20