#08. IS HIS WORDS REAL?

 

、観てこの絵。綺麗でしょう?アルノワールっていう人が描いたのよ」

 本当に嬉しそうに、一枚の絵を眺める母さん。
 美術館で働いていた母さんは、私に色々なことを教えてくれて、よく絵を観せに連れて行ってくれた。作者の名前、性格、エピソード、絵の特徴、時代背景。母さんは語るのが上手で、私はいつも聞き入っていた。私も自然と絵が好きになった。

 あの人が死んで、お金に余裕がなくなってからも、母さんは私を美術館へ連れて行くことは止めなかった。
 でも、母さんの表情はどこか浮かなかった。私は母さんの笑顔が見たくて、絵の勉強をたくさんした。絵を描く才能はなかったけれど、絵を観る眼は母さんがとても誉めてくれた。

 けれど。私を大学へ行かせようと重労働をした母さんは、病気で亡くなってしまった。

    あいつのせい。

 私は、鑑定士になった。母さんが教えてくれた知識への誇りと絵への情熱を活かすために。
 それだけではなくて、あいつへの反抗心があって鑑定士になったのも否定できない。

 鑑定士になって、贋作に紛れてしまうたくさんのオリジナルの存在を知った。鑑定界や美術界の汚職や脆弱性も見てしまった。画家たちが各々の想いを込めて描いた作品が、闇に呑まれていく。母さんの愛した絵が。
 そのことが歯がゆくて、いつか私が一流の鑑定士になって本物の絵を救いたいと思うようになった。

 でも、私の前に現れた人物がいた。
 マルセス・ヴァージル。鑑定界の最高権威。
 彼が“偽物”と言えば、たとえ本物の絵であっても覆ってしまう。

 私はいつかこの人を越えたいと思った。そして、私がきちんと鑑定をしようと。
 だから彼に近づいて、助手になった。鑑定界で力をつけるにはそれが一番の近道だから。
 でも、世間は私を“ヴァージルの助手”以上には見てくれない。これが現実。少しずつ階段を上がっていくしかない、……。

 けれど。
 はじめて私の実力を認めてくれそうな人に出逢った。
 その人の言うことはl私を乗せるための甘い嘘なのかもしれない。
 でも   ヴァージルよりも私を必要としてくれたことが、少しだけ嬉しかった。

 

 がたん、と大きな音が立て続けに意識の中に割り込んできて、は薄っすらと目を開けた。
 古びた天井が見える。仰向けになっているようだった。
 頭がくらくらする。身体が石のように重く、だるい。その事実を時間をかけて把握した。
 がんがん、がたん。
 近くで忙しく聞こえる物音に、次第に意識がはっきりしてくる。は重たい頭を持ち上げ、上半身を起こした。ぎしりと鈍い音がする。眠っていたのはソファの上だということがわかった。
 目に入ってきたのは、キッチン。ワンルームの部屋。人の姿はない。音は外から   キッチンの奥の部屋から聞こえるようだった。

 私、どうしたんだっけ。

 霞がかった思考を振り払うように、過去を丁寧にたぐり寄せる。
 青いジャケットの男。
 ルパン。
 近づいてくる彼。
 そして   
 どくん、との胸が大きく鳴った。
 すぐ近くにあるルパンの顔。かかる吐息、煙草の匂い。唇の感触。ひとつ思い出すと、すべてをありありと思い起こすことができた。
 は唇を指で撫でる。まだ微かに熱を持っている気がした。

 ちがう、なにを感傷的になってるの。あの人は私に睡眠薬を飲ませたんだ。

 は強く首を横に振る。
 最低だ。卑劣だ。やっぱり悪い人だったんだと、必死にそう言い聞かせる。そうでもしないと、身体の   唇の熱が下がりそうになかった。

 そのとき、キッチンの奥の扉が勢いよく開いた。姿を現したのは、はじめて見る男だった。ダークグリーンのジャケットに同じ色の帽子。紫に近いワインレッドのシャツを着た髭を生やした男。彼はを見て動きを止める。も驚いて息を呑んだ。

「誰だ、おまえ」

 低い問いかけに何も言えずにいると、男の後ろから聞き覚えのある声がした。

「おや、お目覚めか」

    ルパン。
 彼は帽子の男を押しのけて、のほうに近づいてくる。はじっとルパンを睨みつけた。心臓がうるさく音を立てているのを半ば誤魔化すように。
 ルパンはの敵意のある視線に、両手を上げる。

「悪かった。少しの間大人しくしてて欲しかったんだよ」
「何したんだ、おまえ」

 帽子の男が訝しそうにルパンを見る。

「彼女が一流の鑑定士だよ。だ。、こいつは次元大介。俺の仕事仲間だ」

 仕事仲間。ということは、この次元という男も泥棒?

「あら?」

 再び次元の背後から声が投げかけられ、一人の女が姿を現す。さらに、彼女のすぐ後ろから男が部屋に入ってくる。黒いボディースーツを着たオレンジ色の髪の女。もう一人は着物を着た侍風の男だった。
 侍の男ははじめて見る顔だが、女の顔は見覚えがあるる。
 まさか。

「峰、不二子さん…?」
「ああ、ヴァージル氏の助手の」

 が呟くと、不二子はルパンの隣に並びながら言った。ルパンが訊ねる。

「ん?知り合いか?」
「一度会っただけよ。まさかルパン、あなたの言っていた鑑定士って彼女?」
「そ」

 は混乱した。
 伯爵の秘書だった不二子が、ルパンの仲間だというのか。彼女はただの秘書ではないような気がしていたから、合点がいかなくもない。でも、よりにもよって、まさかルパンの仲間だったなんて。不二子は伯爵を探るために秘書になったのだろうか。
 の困惑をよそに、彼らは会話を進めていく。

「大丈夫なの?彼女、まだ経験が浅そうだけど」
「さぁて。真価はこれから判断すりゃいい」

 にやりと含みのある笑いを投げかけてくるルパンに、は身構えた。ソファから勢いをつけて立ち上がる   が、ぐらりと視界が揺れた。ソファの肘掛けに手をついて支える。

「おっと、効き過ぎちまったみたいだな」

 ルパンの声が遠くで聞こえた。まだふらつく頭を持ち上げて、は目の前の状況を省みた。
 ルパン、不二子、次元、侍風の男。
 四人に囲まれたのでは、どうしようもない。抵抗しても無駄。大人しく彼らに従ったほうが身のためだろうが   
「……私には拒否権はなさそうですね   でも鑑定をしたそのあとは、私をどうするつもりですか?口封じ?殺すの?」

 半ば自棄になって訊ねると、ルパンは心外そうに眉をこわばらせる。

「まさか。んなことしねえって。ちゃんと送り届けてやるさ」
「うそ」
「俺は嘘は吐かねえって言ったろ?」

    そうかもしれない。
 確かに、一度は拒んだを連れて来るなら、暴力に頼るなど強引な手段も取れたはず。睡眠薬は不服だが、を大人しくさせるには穏便な方法であったとも言える。
 が疑いの眼差しでいると、不二子が口を開いた。

「本当よ。ルパンは女に手をかけるようなひとじゃないわ」

 は目を伏せて、長いため息を吐く。
 ルパンや不二子の言葉が本当だとしても嘘だとしても、に選択肢はない。

   わかりました」

 は諦めるように吐き出して、四人を見上げた。