はじめは、本当にもとの時間に戻って来られたのだろうか、と疑った。その疑問は魔法省を出て、ナイトバスでホグワーツ城へ帰る時まで失われることはなかった。真夜中、人の姿もなく、いつの時間かを把握することができなかった。
けれど、ホグワーツ城に帰って来た時、つい先ほどまで過ごしていた城の雰囲気とは異なるものを察して、もしやと思った。そして、自分の部屋があるはずの場所へ向かうと    あった。
私の、部屋。ここを出た時と同じ状態のまま。机の上には、レコード。ベッドの上には寝巻き。

帰って来られた、    
そう安堵しつつも、もっときちんとした確証がほしくて、部屋を飛び出していた。

 

「マクゴナガル先生、起きていらっしゃいますか?」

事務室の扉をそっと叩くと、やや時間を置いてから、「どうぞ」という声が返ってきた。戸を開けると、ランプの明かりが抑えられた部屋で、マクゴナガルが机の上で生徒のレポートをチェックしている姿が目に入った。

「先生、あの、タイムターナーを」
「ああ、ご苦労さまです。朝になってからでも良かったのですよ」

マクゴナガルの返答に、全身の力が抜けた。その場に倒れ込みそうになるのを、なんとか堪える。

「すみません、夜分遅くに。でも、早くお渡ししたかったんです」
「ありがとう」

逆転時計を手渡して、ようやく肩にのしかかった重い荷物が下りたような気が、した。

 

目が覚めると、既に太陽が高く昇っていた。時計を確かめると、短針は12時を指していた。
着替えをして、広間に下りてゆくと、生徒たちがちょうど出て来るところだった。しまった。朝食だけでなく、昼食も食べ損ねた。あとでキッチンに貰いに行こうかな、……。

「珍しいね。寝坊なんて」

あくびをしながら階段を下りていくと、懐かしい顔が広間から出て来た。
リーマス    ルーピン。
なんだか、本当に、奇妙。昨日は、10代の彼に会ったばかり。今は、30代の彼を見ている。けれど、30代の彼も懐かしいな、久しぶりだなと、思わずじっと見つめてしまっていると、彼は苦笑いを浮かべた。

「どうかした?」
「え、あ、……ごめん……なさい。もう、昼食は、終わってしまいましたよ、ね」
「ああ。……でも、私の部屋にスコーンがあるんだが、良かったらどうかな」

空腹の絶頂だったので、ぜひいただきます、とはその好意に甘えることにした。

 

「それで、魔法省には行って来たんだね?」

机の上に出された紅茶とスコーンとジャムをありがたく頬張りながら、はルーピンのその質問に頷いた。ラズベリージャムの酸味が口の中に広がり、スコーンとの絶妙なバランスが美味しかった。

「ええ。大変でした」
「へえ……それで、タイムターナーは?」
「昨日の晩、マクゴナガル先生にお渡ししましたよ」
「大変だった、というのは?」
「途中に……いろいろあって」
「いろいろ、ね」

ルーピンは、の前に座り、紅茶を飲んでいる。
憶えているはずがないと分かっているのに。彼と過ごしたひとときが、には忘れられなかった。でも、彼はちがう。彼は忘れてしまっている。マクゴナガルも、ダンブルドアも、みんな。
そのことが、寂しくもあった。彼らの、ルーピンの過去に触れられたのは良いけれど、そのことを、彼自身は忘れてしまっている。
果たして、本当にあったできごとなのか。もしかして、ぜんぶ、私の妄想だったのでは?

ルーピンのレコード・プレーヤーからは、緩やかな音楽が流れ出した。
そういえば、彼はレコード・プレーヤーを持っている。音楽を好きだという気持ちは忘れないでいてくれたんだ。そう、思いたい。

「ラフマニノフ」

スコーンを食べる手を止め、は音楽に聴き入った。『ピアノ協奏曲』、第2番、2楽章。静かな旋律と、徐々に盛り上がってゆく曲調。

「これはね、私が7年生の頃、初めて買ったレコードなんだ」

はどきりとして、蓄音機からルーピンに視線を移した。ルーピンも、何かを偲ぶような表情で音楽を聴いていたが、その瞳をに向ける。

「ある人の影響でね。私に、音楽の素晴らしさを教えてくれた人がいた」

ルーピンはにこりと笑った。

「初めてその人のピアノを聴いた時、単純な感想だが、『すごい』と思った。一瞬で音楽に引き込まれたよ。曲は、確か……『ジムノペディ』だったかな」

まさか。は、言葉を発することができなかった。記憶を消す薬を飲んでも、これほどまでに鮮明に憶えているものなのだろうか。

「だが、その人は突然、去ってしまったんだ。それから、私はレコード・プレーヤーを買って、ますます音楽のとりこになっていった。その人と、音楽の素晴らしさについて、もっと語り合いたいと思った。この10年、辛いことがたくさんあった。けれど、音楽が支えだった」
「それ、……まさか」
「君にここで会った時、驚いたよ。まさかこういった形で会うことになろうとは思ってもみなかったからね」
「待って!そんな、どうして?記憶は、消してしまったんじゃ」
「簡単さ。薬を飲まなかったんだよ。ぜんぶ、忘れてしまうのが、怖かった」
「うそ」

憶えている。ルーピンは、憶えている。あの夜のことを。にとっては、つい先日の、けれども、彼にとっては10年以上前のことを。

「それじゃあ……初めから、私のこと、知っていたんですね」
「そう。初めは、まさかと思ったが、すぐに君だと分かったよ。君は変わっていなかった。でも、君は私に気づいていないようだったから、まだ君の方は『私』と出会っていないのだろうと思った」
「そう……そうです……昨日、昨日まで、学生時代のルーピン先生に会っていました……」
「奇妙だね。私にとっては、10年以上前のことなのに」

レコード・プレーヤーの針が止まり、部屋の中には静けさが戻った。ルーピンは、レコードに手を伸ばすことなく、続けた。

「言ってしまいそうになることが何度もあったよ。けれど、迂闊な行動をして、君が『過去』に行かないことになってしまったら、今の私も変わってしまう。そのことが、怖かった」
「でも、ダンブルドアは」
「ダンブルドアも、マクゴナガル教授も、記憶は消えている。彼らは薬を飲んだからね。でも、私は、手渡された薬を飲んだふりをして、捨ててしまった。    タイムターナーの不調。それで、君はあの時間に行ってしまったんだね」
「そうです。それで、手を打つのにしばらく時間がかかると言われて」

ルーピン……リーマスと、出逢った。

「これで、ようやく、ぜんぶが繋がった」

ルーピンは、ふう、と大きな息を吐く。

「これで、ようやく、今まで言えなかった言葉が言えそうだよ」

にこり、と微笑んで。

「また会えて嬉しいよ、

 

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07.11.15
♪『ピアノ協奏曲 第2番 第2楽章 ラフマニノフ』