三章 背中 11



 村から帰ったその日、兄さんの夢を見た。
 はじめてエルヴィン団長と会った日のことだった。
 夢の中身は現実とは違ったけれど、私は朝ぼんやりとする頭の中で、当時のことを思い出した。




「エルヴィン、ミケ、これがうちの自慢の妹だ」

 訓練兵団に入ったばかりのころ、休暇の際に兄さんが調査兵団の本部に連れて行ってくれた。
 エルヴィン団長とミケさんの背丈は兄さんと同じくらい大きく、私からは見上げる格好になった。
 ミケさんは鼻をひくひくと動かし、唇の端を上げる   あとでこれは初対面のときの癖なのだと知った   

「あの……はじめまして」

 私がおずおずとお辞儀をすると、エルヴィン団長は「ああ」と私を見て微かに笑んだ後、兄さんと私を見比べて「全然似てないな」と言った。
 兄さんは不服そうに眉を吊り上げる。

「なんだって?似てるだろう、目とか、鼻とか」
「少なくとも性格は似ていないようだな。きちんと挨拶ができる」

 ミケさんもそう笑って、エルヴィン団長の言葉に同意した。

「失礼だな。たしかに俺のようにがさつじゃないし、頭はいいし   村の帳簿を手伝ってたりな、訓練兵団の座学試験で早速一番だったりな   するけど。立体機動と馬の扱いは見事なもんだよ」

 私が恥ずかしくて小さくなるくらいの賛辞を兄さんがすると、エルヴィン団長とミケさんは「ほう」と私を眺めた。私はますます縮こまるしかなかった。

「きみも、調査兵団を志していると聞いたが」

 エルヴィン団長が訊いた。

「えっと……はい、そうです」
「グレンの言う通りきみが優秀なのだとしたら、憲兵団への道もあるはずだ」
「私がそもそも訓練兵団に入ったのは、調査兵団に入るためで……最初から私は、調査兵団の道しか考えていません」
「なぜ調査兵団に?」
「……単純なんですが、父さんと兄さんが調査兵団の兵士だったから、私は昔からずっと、調査兵団に憧れていました」

 エルヴィン団長と、ミケさんと、兄さんの視線を頭上に感じて、話しにくいことこの上なかった。
 それでも、調査兵団で優秀な兵士である彼らに、少しでも認めてもらうために、私は話を続けた。

「小さいころ父に連れられて、壁と、その上から巨人を見たことがあるんです。そのときに思いました。鳥は、高く飛べる。翼があるから。狩りをしていると届かないくらい。……でも、人間には足も、探究心も、知恵もあるのに、前に向かって歩けていない……人間はすごく不自由なんだって思ったときに、このままじゃ駄目だと思って」
「うんうん、いい答えだ」

 兄さんががしがしと乱暴に私の頭を撫でる。
 兄さんはいつも、そういう撫で方をした。髪の毛がぐしゃぐしゃになるくらい強く。
 妹の私から見ても粗野なひとだから、思慮深そうなエルヴィン団長とミケさんに迷惑をかけていないのかが気になって、兄さんとミケさんが席を外したときに、私はこっそりエルヴィン団長に聞いた。

「あの、エルヴィンさん。兄さんは、ここではどんなひとですか?」

 エルヴィン団長に訊くと、苦笑しながら答えてくれた。

「ひと言で言うなら、猪突猛進。だいたい私が尻拭いをさせられる」
「え……」

 猪突猛進という答えは想像していたけれど、エルヴィン団長に尻拭いをさせているとは、と恥ずかしかった。
 けれども。

「だが、強い。ミケと並んで調査兵団でもっとも強いと言っても過言ではないだろう」

 エルヴィン団長は兄さんを迷惑に思ってはいないようで、むしろ兄さんのことを誉められて嬉しかった。

「グレンの行動力に学ぶ部分も多い。野生の勘とでも言うのだろうな。グレンの判断力には目を見張るものがある。たまに私の考えは回りくどいと言われることもある」
「兄さん……エルヴィンさんに、そんなことを言っていたんですね……すみません」
「いや、かまわないさ。思ったことをすぐ口にできるのは、グレンの長所だと思う」
「ああ、私はちょっと逆かもしれません。兄さんがずばずばと悪いことも指摘するひとなので、それが気詰まりで、人の顔色を伺うところがあるかも」
「それはそれで、美徳だろう。気を遣える、という意味だ。なるほどきみはやはり、グレンとは似ていないな」
「そうですね。村にいたころは、荒っぽい兄さんの尻拭いを私がしていました」

 エルヴィン団長と私は笑いあった。

「おいエルヴィン!」

 その間に、兄さんが割り込んでくる。

「俺の妹を口説こうなんて思ってないだろうな」

 何馬鹿なことを、と赤面する私に対して、エルヴィン団長はため息を吐く。

「安心しろ。俺はここにいる間は独身のつもりだ」
「何を格好つけやがって。どうせおまえみたいな根暗に惚れる女なんていないだろ」
「ちょっと兄さん」
「いや、いいんだ。事実だからな」

 エルヴィン団長は苦笑する。エルヴィン団長はすでに兄さんの扱いを心得ていたようで、直情すぎる兄さんの言葉を必要以上に真に受けない、という技術を身につけていたようだった。

「きみが調査兵団に入るのを待っているよ」

 エルヴィン団長は最後にそう言ってくれた。
 兄さんと、ミケさんと、エルヴィン団長が去っていく大きな背中を見て、ますます訓練に励もうと熱り立ったのを覚えている。




 長いようであっという間だった三年が過ぎ、訓練兵団の解散式が近づいてきたころだった。
 兄さんが負傷した、という報せを受け、私はトロスト区の診療所に一目散で向かった。
 そこには、右腕を失った兄が虫の息で眠らされていた。
 血の気が引いて倒れるかと思ったけれど、

「一命は取り留めたそうだ」

 と言ったエルヴィン団長の言葉でなんとか意識を保つことができた。
 壁外遠征で奇行種や巨人の群れと遭遇した兄さんの隊は、兄さん以外全滅したのだという。
 生きていてくれて本当に良かったと、心から安堵したのもつかの間。

 兄さんはそれ以来、精神的に滅入ってしまった。

 片腕では立体機動もブレードも満足に扱うことは難しい。
 つまり、巨人を倒すことはできない。
 調査兵団に身を置く理由がない。
 自分の居場所がない。

 そう考えたのだと思う。

 兄さんは、父さんの背中をずっと追ってきた。
 父のようになるのだと、父を越えるのだとずっと言っていた。
 それが叶わなくなってしまった。

 自分は役立たずだから調査兵団を退団する、とエルヴィン団長に言ったとき、エルヴィン団長は首を横に振った。

「巨人を倒すだけが調査兵団の目的ではない。団員の指導や、巨人の調査に間接的に関わっても   
「俺はおまえじゃない」

 兄さんが冷え切った声で告げた。

「俺は……エルヴィン、おまえと違って、巨人を倒すだけしか能がない」
「しかし、その技術を他の団員に伝えるという道も」
「できない……俺は……巨人を倒さなければいけない……戦わなきゃいけないんだ」
「……今すぐに決めなければいけないというわけでもない。キース団長に掛け合って、おまえは休団扱いにしてもらう」

 エルヴィン団長はそう言った。
 そして、良い診療所を紹介してくれたり、これまでの兄さんの功績を鑑みて資金を提供してくれたりした。
 兄さんを少しでも喜ばせたかった私は、調査兵団に入り、そこで認められようと必死だった。
 私が頑張れば、兄さんを励ませる。
 兄さんの治療費を補助してもらえる。
 兄さんがやる気を出してくれる。

 そう思って、同期や先輩、仲間の死を乗り越えて、食らいついた。

 けれど。
 兄さんに報告をしに言ったとき、一瞬だけ兄さんが寂しそうな表情を見せたことがあって。
 私は、胸が痛かった。
 どれほど調査兵団で戦うことが兄さんにとって大事か、悟った。

 ただ。
 診療所で親しくなった女性と出逢ってからは、家族を持つのも良い、と考えはじめたようだった。
 少しずつ明るくなってきて、今ではエルミハ区にふたりで住んでいる。

 もう兵士としての道は進めないかもしれない。
 けれども、温厚な兄さんでもいい。家族を作って幸せになってくれればいい。
 兄さんの安全は私が守るし、兄さんの無念は私が晴らす。
 そう、思った。