三章 背中 12



 村に帰ってしばらく経ったころ、エルヴィン団長から「話がある」とあらたまって呼び出せされた。何かへまをしただろうかと心配しながら団長室に行くと、そこにはリヴァイ兵長の姿があった。
 どうやらエルヴィン団長はリヴァイ兵長と私に話があるらしい。

「きみたちふたりには明日、エルミハ区に向かってもらいたい」

 リヴァイ兵長と私は眉を寄せ、同じ表情をしたと思う。
 兵長との任務を命じられるのは、はじめてのことだった。

「エルミハ区の商会に依頼していた物資がまだ届いていないので、状況を見に行ってもらいたい。あいにく俺はしばらく手が離せそうになくてな」
「……俺はいつからおまえの補佐になった」

 不服そうに訊ねるリヴァイ兵長だったけれど、私も同じ疑問を持った。なぜ兵長が、と。団長補佐である私ならば理解はできる。でも、兵長が同行する理由がわからなかった。

「エルミハ区の商会連中は調査兵団を軽く見ている。ひとりでは話を聞いてもらえないだろう。だが、兵士長であるリヴァイが行けば耳を傾けるはずだ」

 リヴァイ兵長は腑に落ちない様子だったが、黙って聞いていた。

「もうひとつ、頼みたいことがある」

 エルヴィン団長は私を見、それからリヴァイ兵長に視線を向けた。

の兄で、グレンという男がいる。かつて調査兵団のメンバーだったが、今は負傷して休団という形を取っている。俺の同期だ。グレンの様子を見てきてくれないか」
「え?」

 声を上げてしまったのは、私だった。そして兵長も訊ねる。

「それに俺も同行しろってのか?」
「ああ」
「なぜ俺が、こいつの兄で、おまえの同期に会いにいかなきゃならん」

 兵長は腕を組む。
 この件において、私は完全に兵長と同じ疑問を抱いた。兄さんに会うというならば、ミケさんのほうが適任のはずだ。分隊長で実力も名高いから、エルミハ区の商人も話を聞くはず、だ。
 エルヴィン団長はわずかに間を開けて答えた。

   先日グレンに便りを出したが、返事がない」

 私の視界にさっと黒い影が落ちる。
 返事がない。

「でも、……兄さんが手紙の返事を寄越さないなんて、珍しくもないと思いますが」

 自分に言い聞かせるように訊ねると、エルヴィン団長は「そうだな」と肯定しつつ、続けた。

「だが、診療所にも通っていないらしい。もっとも、あいつがまめに診療所に通うとも思えないが」

 兄さんはひと月に一度、心身の具合を診せに診療所に通っているはずだ。たしかにこまめに治療を受けに通い詰める性格ではないし、良くなったから行っていないだけかもしれない。
 心配をしすぎではないか、と思う。いや、思いたい。
 口を閉ざす私に、エルヴィン団長は声のトーンを柔らかくする。
 
「まあ、グレンへの見舞いはついでだと思ってくれていい。行ってくれるか」

 リヴァイ兵長はじっとエルヴィン団長を見ていた。その瞳の奥深くにまで、視線を届かせるように。
 やがて兵長は肩をすくめる。

「了解だ。俺は心が広いからな。行ってやる」

 兵長はこの前のことを根に持っているのだ。
 私は苦笑しながらも、どこか落ち着かない胸を抱えていた。

 翌朝、早く起きてしまった私は、早々に厩舎に向かうことにした。
 その途中でハンジとモブリットの背中を発見し、

「あれ、早いね」

 そう呼びかけてふたりの顔色を見てから、悟った。
 早いのではなく、遅かったのだ。
 ふたりとも目の下にくっきりとしたくまを作っている。けれどもハンジの瞳はどこか爛々と光っていた。

「意思の疎通……うなじ……遮断……」

 ハンジはぼそぼそと意味不明の言葉を口ごもる。
 私は会話を諦めて、モブリットに向き直った。

「……大変だね……モブリット」
「はい……昨日からハンジさんが何度殺されかけたことか……」

 ハンジの副官なんて、モブリット以外に務まらないのではないかと思う。

「うん?どこかに行くのかい?」

 ハンジはようやく私の存在に気づいたようで、そう問いかけてきた。

「ああうん……エルミハ区に」

 私は、エルヴィン団長の命でエルミハ区の商会に行くことを伝えた。
 そして、兄に会いに行くということも。なぜか兵長が同行するということも。

「どうして……兵長なんだろう。ミケさんのほうが適任だと思うのに……兄さんと親しかったし」

 私が疑問を素直に口にすると、ハンジが答えた。

「そりゃあ、エルヴィンはの家族とリヴァイを会わせたいんじゃないの?」
「はあ?」
「妹が人類最強の兵士と一緒にがんばってますよ、ってことをお兄さんに示したいんだよ」

 ハンジはそう言ってから思い切り欠伸をする。
 こいつ、真剣に考えてないな。

「ああ、ミケの隊も私の実験を手伝ってくれることになっているから、ミケは外せないんじゃないのかな」

 そういう   ことなのだろうか。
 それに、エルヴィン団長も言ったように、エルミハ区の気位の高い商会は、団長でなければリヴァイ兵長が赴かなければ話を聞かないだろう、ということも納得できる。

「さあモブリット、仮眠したらもう一度意思の疎通からやってみよう」

 ハンジが伸びをしながら言うと、モブリットは泣き出しそうな表情で頷いた。

「それじゃあ。が帰って来るころにはきっと、いい報告ができるはずさ」
「お気をつけて」

 私はふたりに手を振り、厩舎に向かった。




 兵長と私はエルミハ区に向けて出発した。
 今回のエルヴィン団長の指示にいまひとつ納得がいかなかったけれど、先ほどのハンジとの会話でやはり兵長の同行は必要だったのだ、と思い直した。
 エルミハの商会を納得させるには兵士長の会話が必要で、兄さんの件はそのついでなのだと。
 エルヴィン団長も落ち着いたら兄さんを見舞いたいと言っていた。

 それ以上に私が気にすべきは、長い行路をどう兵長と過ごすか、だ。
 この前の一件以来きちんと話ができていない。

「あの、リヴァイ兵長」

 やや斜め前を駆ける兵長の背中に向かって、呼びかける。

「私……兵長の心が狭いだなんて微塵も思ってませんから……弁解させてください」

 リヴァイ兵長は馬のスピードを少し落として、私の隣につく。

「俺は、気にしてない。おまえにどう思われようがな」

 それはそれで寂しい、と思ってしまった。
 だから私は、自分の考えていたことをそのまま口にした。

「あの、私はむしろ、兵長の判断力とか決断力とか実行力とか、器が広いなって尊敬してますから」
「……おまえの口はよくそうことを恥ずかしげもなく喋れるな」
「本心なので」
「とうだか。顔色変えずに戯言を言えるのは、エルヴィンに似たか?」
「え……それちょっと傷つきます」
「どういう意味だ、そりゃあ。   まあおまえの口が達者なのは今にはじまったことじゃねえな」

 昔も兵長に同じようなことを言われた。
 兵長に対して、翼が生えているみたいだと言ってしまったときのことだ。たしかにあれは思い返すと恥ずかしいけれど、上の立場のひとに対して「判断力を尊敬しています」などと伝えるのは気まずいことだろうか。
    面と向かって尊敬していますだなんて、たしかに口が過ぎたかもしれない。
 私が反省しかけながら沈黙していると、兵長が口を開いた。

   おまえの兄は巨人に右腕を食われたんだったな」

 あれ。エルヴィン団長がそう話していたっけ。
 いや、違う。昨日はそこまでは話をしていない。そうであれば、リヴァイ兵長に個別で伝えたのだろうか。

「はい……そうです」
「六年前にはいなかったな。その前の話か」

 六年前。兵長が調査兵団に入ったとき。
    もしかして、と思い至る。兵長に兄の話をしたかもしれない人物の面影を。
 彼女なら   イザベルなら、私が語って聞かせたことを兵長にも話したかもしれない。

「そうです……私が調査兵団に入った年でした。兄さんが右腕を失ったのは」

 そう答えながら、少し息苦しくなった。
 イザベルから聞いたのかという問いは、もちろんできなかった。
 もういなくなってしまったひとのことを思い出すと、いつもこうだ。傷は完全に塞がらない。
 けれども、この痛みは死者が確実に存在していたことを示すものだ。
 そう考えると少し苦しみが和らぐ気がする。

「それからずっと休団、か?ずいぶんと特別待遇じゃねえか」
「本当ですよね。ただ、席があるというだけで、特に何も……エルヴィン団長の配慮なのだと思います……兄さんは調査兵団を辞めると言いましたが、実際に除名されてしまったら……心の拠り所がなくなるというか……」

 兄さんは腕を失って以来、ウォール・シーナ内の牧場で手伝いをして生計を立てている。エルミハ区に住んでいるのは、牧場と診療所が近いからだ。

「ただ……中途半端な状態も、あまり良くないのかも……」

 私は兵長に聞こえるか聞こえないか、呟くように言ったつもりだった。
 でも兵長の耳にはしっかり届いていたようで、返答が返ってくる。

「本人がどうしたいのか、聞きゃあいいだろう」

 私ははっとした。
 もしかすると、エルヴィン団長はあえて兄さんの知り合いではなく、率直に物が言える兵長を選んだのではないか。
 兄さんを見舞うことが本来の目的であれば、何も今日、兵長と一緒に行かなくてもいいのだ。エルヴィン団長やミケさんの都合が良いときに、私も同行すればいい話で。
 でも。エルヴィン団長もミケさんも、そして私も兄さんと深く関係を持っている。だからこそ言えない、聞けないことがある。
 それを兵長が同行することをきっかけに、何か進展すれば良いのだと、考えているのか。
    それとも何か別の意図が……?

 エルヴィン団長の補佐として、団長の執務や壁外遠征の補助をしているとはいえ、エルヴィン団長の考えが理解できるというとまったくそうではない。
 むしろあのひとは、昔からずっと私などでは考えつかないような発想をする。
 それでも、月日を重ねるにつれ少しずつエルヴィン団長の思考を先回りして動けるようになった、と思っていたのだけど。
 まだ、わからないことがある。

 いずれにしても考えても仕方がない。
 
 妹の私が一番に巡らせるべきは、兄さんと会うのを楽しみにする感情だ。
 しばらく会いに行けていない後ろめたさや、エルヴィン団長の意図など二の次ではないか。
 なぜそちらを先に思い浮かべてしまったのか   
 たったひとりの家族だろうと言ったおばさんの言葉が蘇る。
 私はもっと兄さんに会うべきなのだ。今回、便りがないということも私が頻繁に兄さんとやり取りしていればすぐ気づけたはず。
 何かに遠慮してしまうのは止めにすべきなのだと、兄さんの意志をはっきり聞くべきなのだと、思った。
 そのための機会なのだ。