三章 背中 13


 エルミハ区に着くと、兵長と私はまっすぐ商会に向かった。
 商会所はエルヴィン団長に付いて何度か訪れているけれど、そのたびに独特の雰囲気だなと思う。
 商人たちはまるで私たちを値踏みするような目つきで見てくる。
 私は彼らのことが好きではなかった。
 私腹を肥やすことしか考えていないから、だ。議員と結託して壁外調査の資金を横流ししていた商会もある。
 今回も、納期は過ぎているのに、馬や立体機動装置、ブレードなどの物資が届いていない。
 そのことを商人のひとりに告げると。

「ああ、遅れていてすみませんね。馬車がみんな出払ってまして」

 こちらを小馬鹿にしたような笑い方に、私はなんとか不快感を抑えて冷静に返す。

「期日は十日前だったはずですが」
「あいにく憲兵団からブレードの大量発注がきちまいましてね。急ぎだったもんで、そちらに回したんですわ」

 さも当然だと言わんばかりの物言いだった。
 未だ目覚ましい成果を上げられていない調査兵団は、軽く見られることが多い。いや、商会の場合は、おそらく憲兵団から資金を多くもらっているから、そちらを優先させているのだろう。

「憲兵のやつらがブレードを何に使う?」

 沈黙していたリヴァイ兵長が口を開く。

「そりゃあもう兵士長の旦那、犯罪者を取り締まり、我らが王を守るためですよ」

 商人は、まるで教師が子どもに言い聞かせるような口調だった。兵長のまとう気配が一度低くなった、気がする。

「つまり、内地には壁外にいる巨人以上に犯罪者が多い、ってことか?」

 リヴァイ兵長の空気を察して、商人は笑顔を強張らせる。

「さ……さあ……どうなんでしょう。ともかく我々は、憲兵団に従っただけですから。あと二十日後には全部用意しますよ」
「二十日?舐めてんのか、てめぇは」

 兵長の声は静かなのに、底冷えするような冷たさがあった。

「十日も期限を遅らせやがってるくせに、さらに二十日延ばせとは、ずいぶん都合が良すぎる話だと思わねえのか」
「や……ですがね」
「約束は守れと教わらなかったのか?それなら俺が躾けてやってもいいが」

 兵長は武器も何も持っていないのに、威圧感で商人が震え上がっている。

「ひいっ……はい、仰る通りです……あと二週間で用意します」
「遅い。もうじき壁外遠征がある。一週間だ」
「ですが、今はブレードの在庫が、」
「何とかしろ」
「はいっ!」

 彼らにどう物資を提供させようか、資料を叩きつけるためにいろいろと準備してきていたのだけど、それらは何ひとつ必要なかった。交渉は五分もかからずに終わった。

 商会を出て、私は少し不機嫌そうな兵長の背中に言った。

「兵長が同行してくれて話が早かったです。エルヴィン団長でもこんなに円滑には進まなかったかも」
「ああいう太った豚どもは、口で説明したところで納得しない場合が多い。こっちが舐められないようにしねぇとな」

 あの商人は兵長の放つ雰囲気をすぐに察していた。おそらくあのまま彼がごねていたら、兵長は胸ぐらを掴むくらいしていたかもしれない。商人というのは人の顔色を伺うことには長けているのだろう。
 交渉事に兵長が入るのはどうなのだろうと思っていたこともあったが、結果的に一番の適任だったな、と思う。
 兵長は口は悪けれど頭は良いひとだから、もっと信頼すべきだった。

 主な目的が終わり、すぐに兄さんの様子を見に行きたいような気もしたが、どこか足が向かなかった。
 急なことだったから、今回の訪問は事前に連絡をしていない。
 なぜ今まで顔を見せに来なかったのかと、訊ねられるのが気詰まりなのかもしれない。

 だから私は、以前エルヴィン団長に教えてもらった店を通りがかったとき、あまり考えずに口を開いていた。

「あ、兵長、ここのパンとスープが美味しいんですよ」

 兵長は異論を唱えなかったので、遅めの昼食を摂ることになった。
 私たちは調査兵団の兵服を着ていて、リヴァイ兵長は有名なひとでもあるから、店には入らず外で食事をした。
 高台にある、もう使われなくなったらしい井戸の縁に腰掛けて、のんびりと街を見下ろしながら野菜の入ったパンを噛じる。

 平和だな、と思った。
 壁にさえ目を向けなければ、いたって普通の街だ。ここが巨人から逃れられるための壁に押し込まれた場所には見えない。
 人びとの喧騒や、笑い合う声や、馬車の音が聞こえてくるだけ。

 ずっとこうだったらいいのに。

 隣には、カップを覆うような特徴的な持ち方をしながら、器用にスープを飲む兵長の姿。
 人類最強の兵士と言われるリヴァイ兵長と、こんなふうに穏やかに過ごせる時間は、とても尊い気がした。

「この前村に帰ったので、茶葉をもらってきたんです。戻ったら兵長にもおすそ分けしますね」

 この和やかで心地の良い空気を壊さないように、私はそっと口を開いた。

「ああ。最近紅茶が手に入りにくくなったからな。助かる」
「昔お世話になったおばさんが、言ってました。兵長がナハルの紅茶を飲んでくれたらいい宣伝になるって」

 兵長が本気にしないように、冗談めかして言った。

「いっそナハルと直接手を結ぶか。さっきのクソみてぇな商会連中よりもまともに補給してもらえそうだ」
「いいですね、それ」

 兵長を村に連れて行ったら、またおばさんが妙な誤解をするに違いない。
 それでも、いつか叶えばいいなと思った。
 兵士を輩出してきた私の村は、兵団の実験とは無縁になった今も、未だに強い兵士への憧れが存在する。私が帰省したときに、子どもたちやおじいちゃん連中にエルヴィン団長やミケさん、リヴァイ兵長の話をすると、とても喜んだ。
 きっとリヴァイ兵長が来てくれたら、みんな興奮するだろうな。

 いつか、頼んでみようか。
 紅茶のためなら断らずに引き受けてくれる気もする。


 どこかそわそわと落ち着かなかった気分が、お腹も膨れたことで落ち着いたようだった。
 私たちは兄さんの住む家に向かうことになった。

 エルミハ区の東の集合住宅、最上階。陽がわずかに傾きつつあるのか、空の青色に薄く赤が混じりはじめていた。
 あまり長居はできないかもしれない。兄さんに怒られるだろうか。
 昼食を摂っていた時間は三十分程度だったけれど、真っ直ぐに向かうべきだったか。
 いや   それは後悔していない。
 落ち着いたらエルヴィン団長やミケさんとまた来ればいい。

 そんなことを考えながら、私は兵長を先導して階段を上がった。

 部屋の前で、ノックをする。
 返事がない。
 聞こえていないのかもしれないと、もう一度強く叩いて、扉に向かって言った。

「兄さん……あの、久しぶり。いる?」

 がさり、と物音が聞こえた気がした。けれども返答はない。
 後ろにいた兵長が私の隣に来て、ドアノブに手をかける。
 扉は、あっさりと開いた。
 兵長と私は顔を見合わせる。
 そして兵長は何も言わず、扉をゆっくりと押し開け、中の様子を探った。

 私は息を呑んだ。
 床には食器が割られた破片、書物、服、など物が散らばっていた。
 私の思考は止まってしまった。

 一体、何が。

 私の時間を動かしたのはリヴァイ兵長で、兵長はそっと部屋の中に足を踏み入れていく。慌てて私も後を追った。

 溜まった洗いもの。投げ捨てられたような洋服。その中を歩んでいき、居間への扉を開けると   そこには、窓の下、壁に寄りかかるようにだらりと背を預け、座り込む兄さんの姿があった。

 

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