三章 背中 18


 私は、兄さんが訓練兵団への道を選んでくれることを期待しながら、手紙の封を開いた。
 そこには多少読みにくくもあったけれど   片腕だから仕方ない   懐かしい兄さんの字があった。





 親愛なる妹 

 俺にはやはり、壁の外を駆け、巨人を倒していく道しか思い描けない。
 しかし、今の俺にはもう叶わなくなってしまった道筋だ。

 俺の選択を許してほしいとは言わない。
 わかってくれとも言わない。

 優しいおまえのことだ、自分を責めるかもしれない。
 もっと俺と話していれば、俺はこうならずに済んだのかと。

 しかし、俺の選択に関して、おまえの責任は一切ない。ほんの少しも、だ。

 これは、俺が腕と仲間を失ったあの日にすべて、決定されていたことなんだと思う。

 おまえや、エルヴィンやミケが、俺を気にかけてくれたことは嬉しかった。
 それを裏切る形になり申し訳ない。

 それに俺はおまえに銃を向けてしまった。兵士長がいなければおまえは死んでいたかもしれない。

 これは俺の責任であり、償いであり、わがままだ。

 ただひとつ、もうひとつ自分勝手を言わせてもらうのなら。
 おまえは幸せに生きて、ほしい。
 できることなら調査兵団を去り、平和な家庭を築いてほしい。

 いや……本当にわがままだな、俺は。
 出来の悪い兄を許してほしい。

 だが俺は、これで、悔いなく仲間のもとにいけると思う。

 だからおまえは悲しまずに、前に進んでくれることを祈る。


 グレン




















 なんなの、これは。
 こんなの。
 こんなものは、まるで。

    遺書のようではないか。

 ぞっとした私は、手紙を握りしめたまま、エルヴィン団長のもとへと走った。

『俺にはやはり、壁の外を駆け、巨人を倒していく道しか思い描けない』

 どういうこと。
 まるで壁の外に行くような書き方だ。

 『俺は、これで、悔いなく仲間のもとにいけると思う』

 どういことなの、兄さん。


 心臓が飛び出しそうなほど鼓動を立てているのは、駆けているからではない、と思う。
 胸が苦しい。頭はぐらぐらと揺さぶられているかのうよう。
 私ははやる気持ちを抑えきれず、やや乱暴に団長室の扉を叩いた。中から話し声がしていたが、構う余裕がなかった。本当はノックという行為ですら歯がゆい。今すぐにこの扉を開けたい気分に駆られる。
 声はぴたりと止み、間髪入れず私は声を発した。

「エルヴィン団長、お話が   

 上官の会話中に、私用で呼び出すなど無礼なことだ。頭の片隅ではそうわかっているけれど、行動は止まらない。エルヴィン団長はさぞ怪訝そうな顔をしていることだろう。普段の私なら絶対にエルヴィン団長が会話をしているところに割り込むことなんてしない。よほどの緊急事態でなければ。

「入ってくれ」

 エルヴィン団長は何かを察してくれたに違いない。そう言ってくれた。
 扉を開けると、そこにはエルヴィン団長、リヴァイ兵長、見慣れぬ平服の男性の姿があった。いや、初対面ではない。彼はたしか、診療所にいた。
 兵長がなぜここにいるのかという疑問は、一瞬でどこかへ追いやられてしまった。  私はますます嫌な予感がして、

「エルヴィン団長、兄さんから手紙が」

 と前置きもなく言い、エルヴィン団長に手紙を差し出した。
 エルヴィン団長は素早く目を走らせる。そして一読した後、私に視線を戻した。

「グレンが、診療所からいなくなったらしい」

 私は全身が凍りついたように動けなかった。

「昨日の朝にはもぬけの殻だったそうだ。グレンは、何度か家に帰っていたらしい。その際は診療所の人間も同席していて、行動には問題がなかった。近頃は診療所の敷地内を散歩することも多かったが、きちんと戻って来ていた。だから、多少の油断があった」

 エルヴィン団長はちらりと男性に視線を送る。やはり彼は診療所の職員だ。

「だが、夕方になってもグレンが診療所に戻らないので、付近やグレンの自宅を捜索したそうだ。自宅はきれいに片付けられていた。そして、商会の人間がグレンらしき人物を見たというので詳細を訊ねると、グレンらしき男はブレードと立体起動装置、それから馬が欲しいと言ったということだ   そういうことで合っているか?」

 診療所の男性は、申し訳なさそうに「はい」と頷く。
 つまり。
 手紙の内容と合わせると。

「兄さんは……壁外に……行った……?」
   そうなのだろう」

 なぜ。
 どうして。
 片腕で、それもひとりで壁外に行くなんて。

「あいつは……兵士でなければ、生きていけないと考えていたのかもしれない。最期は巨人と戦って死にたいと」

 エルヴィン団長がはっきり「死」と言ったので、私の頭は真っ白になった。

 ああ。
 どうして私は気づけなかったんだ。

 兄さんなら、その道を選ぶだろうということに。

「一週間後に壁外遠征がある。その際は索敵陣形を組む。人影がないか注意するよう各班に伝達しておこう」

 エルヴィン団長の声がどこか遠くで鳴り響いている。

、大丈夫か」

 エルヴィン団長に名前を呼ばれ、私は少しだけ意識を取り戻す。

「はい、……」

 かろうじてそう返事をして、部屋を出た。
 何も、考えられなかった。


 息が苦しい。
 兄さんが   兄さんが、壁外に出た。
 巨人と戦うつもりで。
 死に場所を   探すつもりで。

 私は。
 私は、……。

 このまま兄さんを放っておくのか。

 エルヴィン団長は次の壁外遠征で気にかけてくれるという。
 最大限の譲歩だろう。
 当然ながら今すぐ調査兵団を動かすことなんてできない。たった一人の人間のために。
 壁外遠征の予定を容易に覆すことは各方面に多大な影響が出る。
 そんなことはわかっている。嫌というほどわかる。私だってその準備に何度も携わってきているのだから。

 でも。
 このまま何もせずに一週間を待つことなんて。



 私は厩舎に向かっていた。
 馬に乗って兄さんを追いかける。
 その選択肢を、どうしても消せなかった。
 でも、……。

「おい」

 何もできず、ただただ愛馬を撫でていると、後ろから呼びかけられた。
 振り返ると、厩舎の入り口にリヴァイ兵長が立っていた。

「何をするつもりだ?」

 私は、答えられなかった。
 何をしたいのか、どうすればいいのかわからない。
 本気で兄さんを追うつもりなら、立体機動装置とブレードも装備していくべきだ。
 武器も立体機動も持たず、中途半端な状態のまま、私はいったい何をしているのか。

「……わかりません」

 私は正直にそう言った。言葉にできずに胸の中に沈んでゆく思いを、誰かに聞いてほしかった。

「兄さんの後を追いたい……連れ戻したい……そう心から願っているのに……できないんです。もう無駄かもしれないって、冷静なもうひとりの自分がそう言っていて。私ひとりが兄さんの後を追ったところで何もできない……巨人の餌になるだけだ、無駄死にだって」

 薄情な妹だ。
 こんなときにも冷静な自分が顔を出せるなんて、私は心底冷たい人間なのかもしれない。
 だから仲間の死に直面し続けてなお、調査兵団ここにいられるのだ。

「……おまえの判断は正しい」

 リヴァイ兵長は言った。

「ここでおまえが壁の外に飛び出したところで、誰も喜ばない。おまえの兄も含めてな」

 兵長は私のもとに歩み寄り、一枚の紙を私に突きつけた。
 兄さんからの、手紙だった。

「俺が助けてやった命なんだ、無駄にするんじゃねぇ」

 兵長はそう言い残し、踵を返した。

 私はその場で愛馬を撫でながら、何度も何度も何度も兄さんの手紙を読んだ。
 生きものの温もりを肌で感じていると、少しだけ気持ちが落ち着く気がする。
 読んでいると兄さんがそこにいるようで、角ばって読みにくい字も愛しく感じる。
 泣きながら、私は、兄さんの決意を受け入れようとした。
 兄さんが選んだ道なのだ、否定してはいけないと。
 ただ、それでも、生きていてほしかった。

 たったひとりの家族だった。
 私の憧れであり目標であり、大好きな兄だった。

 兄さんは生きているかもしれない。
 まだ遺体を見たわけじゃない。
 でも、そんな甘い幻想はこの無慈悲な世界では無意味だと、私は痛いほどに知っている。

 兄さんはもういない。
 悔いなく生き、そして死んだのだ。

    おまえは幸せに生きて、ほしい。
    だからおまえは悲しまずに、前に進んでくれることを祈る。

 まったく。
 本当にわがままな兄だ。