ホグワーツの生徒はクリスマス休暇のため、家に帰ってゆく。
降り積もる雪とともに静けさがあたりを包み、ここは学び舎なのだということを忘れそうになる。
外出するためローブを着込んでいると、ダンブルドアが研究室に現れた。
いつもの薬を受け取りに来たらしい。用意してあったそれを渡すと、ダンブルドアは「ありがとう」と微笑みながら続けた。
「セブルス。出かけるのかの?」
「ホグズミードへ……に誘われて」
「に、か。そうかそうか」
ダンブルドアはなぜかうれしそうに笑い、少し間を置いたあと言った。
「のう、セブルス。学生の時分もあっという間に過ぎてしまったじゃろう。月日が流れるのは早い」
老人の他愛もない世間話かと思ったが、ダンブルドアは「後悔がないように、の」とつけ加えた。
まるですべてを見通しているかのような表情が、どこか不気味だった。
「……が春にホグワーツを去るから、ですか」
訊ねると、ダンブルドアは苦笑する。
「聞いておったか……。さよう。友人と過ごせる時間は大切に、のう」
「はなぜここに一年しかいられないのですか?」
当の本人に一度聞いてもはぐらかされたことを、私は校長に訊いた。
「家庭の事情じゃと、聞いておる」
家庭の事情。なんだ、それは。
がホグワーツ卒業後に日本に帰国したことと関係があるのだろうか。
「ともあれ、外は雪じゃがいい天気じゃのう。気をつけて行っておいで」

最近風邪で寝込むことが多かったは、すっかり治ったようでホグズミードを飛び回っていた。おかげでくだらない店にまで付き合わせられたが、ベッドの上で伏せるを見ているよりはいい。
最後に私たちは三本の箒で軽く食事をすることにした。
はバタービールを美味そうに飲み干している。口の上に白い泡をつけて。
不意に、ダンブルドアの言葉が蘇ってきた。こいつがここにいられる時間には限りがあるのだということを思い出し、表現しがたい感情に襲われる。
私は
見ないようにしてきた。
限りある時間を気にかけなかった。
そうだ。
今年からいつも近くにいたこいつは、来年には私の前からいなくなるのだ。
ちくり、と何かに刺されたような痛みが身体のどこかに走る。
ホグズミードにと来るのも、これが最後かもしれない。
「……“家庭の事情”というのは、なんだ」
言葉を選ぶことを忘れ、私は訊ねていた。
「え……?」
「ダンブルドアから聞いた。家庭の事情とやらで日本に帰るんだろう」
は「ああ」と苦笑する。
今さらになって追求することに疑問を持ったかもしれないが、はあっさりと答えた。
「
結婚、するの」
「は?」
予想しなかった返答に、私の思考は一瞬固まった。
「親が決めた相手でね。どうしても断れなくて。自由になるのはこの一年だけだったの」
結婚、だと。
唐突に、の存在が遠のいてゆくような感覚に陥る。
何の感情かわからないモノが腹のあたりを渦巻く。
にどう反応すればいいのか、わからなかった。
結婚するという友人に返すべき言葉は、祝の言葉なのだろう。
しかし、それを口にする余裕がない。
ただ静かに私の返答を待つに、ひとまず私は「そうか」とだけ返した。
は、小さなため息とともに吐き出す。
「私、本当は結婚なんてしたくない」
親が決めた相手。何か事情があるのだろうか。
だが、本人が結婚などしたくないと考えているのなら、……。
そのことにどこか安堵してしまう自分に気づく。
「ねえ……セブルスは、私のこと助けに来てくれる?」
「なんだって?」
「結婚式の式場で、私をさらいに来てくれる?」
瞬間、さまざまな案が私の頭を駆け巡った。こいつの結婚を止める方法を。
そうしたい、と考えてしまっていた。家庭に入るのことが
違う男のものになるのことが、想像できなかった。
「会場の全員に忘却術をかけてやるか」
思いついたなかでももっとも確実な方法を、私は口にした。
は一瞬目を大きくさせてが、そのあと突然吹き出して笑いはじめる。
まさか。
「まさか、嘘、なのか?」
「ごめん、ちょっと好奇心で訊いてみたくて」
「何が好奇心だ。こっちは真剣に考えたんだぞ」
「ごめんごめん、ありがとね。うれしいよ」
ふざけるなと責めたくもあったが、他に聞いておくべきことがある気がして、私は追及をやめた。
「どこから……嘘なんだ?」
「え……?」
「結婚というのは?」
「うそ、だよ」
「本当に?」
「……でもね、ホグワーツに戻るのは一年だけって、親が決めたっていうのは……ほんとのこと。両親と約束してしまったから」
そうか。闇の帝王が完全に消滅したわけではない現在の情勢で、親がイギリスにいることを賛成するわけがないのだろう。
そうだ。こいつは安全な場所に、日本に帰ったほうがいいんだ。
が帰国する理由に納得ができた、はずが、
なんだ、この落ち着かない感情は。
私たちはそこで会話を打ち切り、ホグワーツへと戻ることにした。
雪が降り積もった道は、ただただ白かった。
遠くの景色はうっすらと霧がかっていて見えない。
何もない。
まるで世界から外れた場所にいるかのようだった。
「セブルス」
の声に振り返ると、顔に冷たい衝撃を感じた。
雪がはらりと下に落ちていくのを見て、雪玉を投げつけられたのだと悟った。
「ごめん、ごめん。まさかクリーンヒットしちゃうとは」
はカラカラと笑っている。
「本当に子どもか、おまえは」
「子どもだろうと大人だろうと楽しいものは楽しいじゃない。雪合戦、やる?」
「やるか」
こういう輩はまともに取り合ってはだめだ。力の差を見せつけてやらないと。
私は杖を取り出し、の頭上に向けて「ディセンド」と唱える。
枝に積もっていた雪がどさりとの上に落ちた。
「わっ!」
は声を上げて尻もちをつく。抗議めいた目で私を見上げた。
「魔法を使うなんて、大人げない!」
「大人も子どもも関係ないんだろう?」
は口を曲げて、私に向かって手を差し出してくる。
「……腰を打っちゃって立てない」
やれやれ。手のかかるやつだ。
を立ち上がらせようとその手を取ると、思い切り引っ張られた。
足で踏ん張ろうかと思ったのだが、雪のせいで滑り、体勢が崩れる。
「馬鹿、」
まったくどこまで子どもなんだ。
その言葉は続かず、私はの上に倒れ込んでしまう。
ふわりと、のにおいがした。
同じ冬の日の出来事がフラッシュバックされる。
すぐ近くにあるの顔
そして、温かさ。
思考を遮るために、私は、「何をやっているんだおまえは」と吐き出す。
なんとかの上に体重を載せないように手で踏ん張ろうとしたが、雪が深く手がめり込んでしまた。
先ほどの回想がまた脳裏をちらつく。
が、近い。
あのとき、私は
。
「私たちだけ
みたいだね」
の言葉に我に返る。
「この世界に、私たちしかいないみたい」
雪に包まれた無の世界。
そこには手を煩わせる生徒も、面倒を持ちかけてくる教師もいない。怒りも悲しみも、ない
そんな世界があったのなら。
そんな場所にといられたのなら、どんなに楽だろうか。
「
本当にそうだったらいい」
今度こそうまく体重をかけながら身体を起こす。ただ立ち上がる気にはなれずに、そのままの隣に腰掛けた。
はどこか思いつめたような表情をしながら、私の隣に身体を起こす。
「それでいいの?」
を見ると、じっと何かを耐えるような、苦しそうな瞳をしていた。
「セブルスは、本当にそれでいいの」
いいも何も、おまえが言い出したことだろう。
その言葉は、続けられなかった。
「いまでも愛しているんでしょう、リリーさんのことを」
これまで腫れものに触るように、もダンブルドアも彼女の名を避けてきた。
それでよかった。そうしていてほしかった。
私に何の言葉を投げかけても、助言をされても、それらはすべて無意味なのだから。
「自分のことが許せなくて、歯がゆくて、悲しくて、……セブルスはいまも苦しんでいるんでしょう」
やめろと言ったつもりが、声にはならなかった。
「でも、リリーさんはきっと望んでない。そうやってセブルスが自分を責め続けることを」
「だが私のせいでリリーが死んだ」
もういいんだ。それは変えようのない事実。
だから、私の心を波立たせないでくれ。
「誰のせいでもないよ……」
は首を横に振る。
慰めの言葉をかけてくるのだろう、私はを遮ろうとした。
だが、のほうが言葉を発するのが早かった。
「しっかりして、セブルス。リリーさんのことが、大好きだったのなら、わかるはず。大事な幼なじみが……こんなふうに自分を責めて虚ろな毎日を送ってたら……哀しいと思うでしょう。この世からいなくなってしまったとしても、セブルスが覚えているかぎり、リリーさんは生きてる。だから、」
「リリーはもういない。声も聞こえない。顔も見えない。言葉も届かない……」
自分で口にして、その事実の重さが嫌でも突きつけられた。
リリーのあの花のような微笑みはどこにもない。
リリーの透き通った声も聞こえない。
リリーへの言葉は何も伝えられない。
リリーはもう、死んだのだ。
息が、できなくなる。
「どうして、そう思うの」
は声を荒げる。
「死んじゃったら何もかも終わりだなんて、考えないで。セブルスがしっかり、覚えていてあげて。そしたらきっと、リリーさんもうれしいと思うから……」
リリーが、うれしい?
そんな発想に思い至ることなど一度もなかったので、私は驚いた。
しかし、強い口調で言いながら、当のは泣いていた。
どうして。
「……また、おまえが泣く」
はどこかはっとしたようすで、両目を手の甲で拭いはじめる。
しかし涙はとめどなくの瞳からこぼれ落ちてきて、の手はただ余計に目を赤くするためにこすっているようなものだった。
やがて拭うことを諦めて、は肘を抱えてうずくまった。
「ごめん、ごめんね……セブルス……ごめんね」
くぐもったの声が聞こえる。
身体が微かに震えていた。
どうしておまえが泣くんだ。
「……泣くな」
私がそう言っても、「ごめん」という言葉しか返ってこない。
夏にどうして泣くのかとに訊いたとき、は私が泣かないからだと言った。
たしかに
こいつの涙を見ていると、同時に何かが洗い流されてゆくような気分もある。
私の中にくすぶってけっして離れない、底のない暗い感情がわずかに薄れてゆくような気がする。
ただ、いまのの涙は悲壮感に満たされていて、見ているこちらが重苦しい気分になってくる。
不意に、私は思い出してしまった。あの日だ、先ほどのフラッシュバックと同じ日。
『自分は彼女を傷つけていないと思ったら、間違いだぞ』
ポッターが私に言った台詞を。
「私の……せいなのか」
ぽつりと私が言うと、は頭を垂らしたまま「え……?」と小さな声を上げる。
「私が、を傷つけてるのか」
リリーを死なせ、さらにはまでを傷つけているのだとしたら、私が生きている意味はなんだというのか。
しかし、は「ちがう」と何度も言って、ごしごしと顔を拭い頭を上げた。
目も鼻の頭も真っ赤に染まっていた。
「ごめんね……勝手に、悲しくなっちゃっただけ」
は、微笑んだ。目に涙を溜めたまま。
「私は、セブルスのおかげですごく楽しい学生生活を過ごせたし、この一年だって、すごく充実してた。セブルスは、こんなにも人を幸せにできるんだよ。だから……自分を、責めないで」
背中にそっと温かな感触が伝わってくる。が私の背をさすっていた。
不思議と、心が鎮まってゆくようだった。
「私は……セブルスが、自分を責め続けているから……哀しいんだよ……」
「
どうして」
「え?」
「どうして、他人の私に、それほど親身になれるんだ。おまえには関係のない話だろう」
がそれほど辛そうな顔をする必要などないのだ。この苦しみは、おまえのものではないはずだ。
そう意図したつもりが、は深く傷ついたような表情をした。私の背から手を離す。
「それは……」
そして、震える声で、言う。けれどもはっきりと通る声で。
「私は……セブルスのことが、大好きだから。大好きな人が悲しんでいたら、辛いでしょう」
はどこか苦しいような笑い方をした。
好きだというの言葉が、その小さな声が私の胸を深く打った。
古くからの友人として、こいつが私に悪い感情を抱いてはいないと思っていたが
はっきりと好意を示されたのは、はじめてだった。
今の言葉は、ただの好意の延長のようには、響かなかった。
それは。
それ、は……。
何も言葉が出てこない私に、は少し間を置いたあと、そっとつぶやいた。
「最後にもうひとつ想い出。いい、よね」
私にたいして向けられたものだったのかは、わからない。
私が反応を返す前に、の顔が近づいてきて
唇に、温かく柔らかいものが押しつけられる。
何かを感じる前に、はすぐに私から身体を離し、立ち上がった。
「帰ろうか、ホグワーツに」
2018.10.15
ヒロイン視点:
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セブルス視点:
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