冬が深まるにつれ、体調を崩してしまうことが増えた。
嫌でも自分の身体の不自由さを認識せざるをえない。
時折、叫び出したくなる。
なぜ私が、と。
それでも私が平静でいられるのは、ホグワーツにいるからだ。
かつての優しい想い出と、愛する人のそばにいられる幸せを噛み締められるから。
でも。
そんな夢のようなひととせは、終わりが近づいている。
春が来たら、私はここを去らなければいけない。
そのときに後悔がないよう、いまできることをやるしかない。
つきまとう闇を振り払うために。

クリスマスイヴ。
多くの生徒たちは帰省するため、ホグワーツにはもの寂しさがやってくる。
私も低学年のころは実家に帰っていたけれど、高学年になってからはホグワーツでクリスマスを過ごしていた。日本に帰るのは時間がかかるし、ここで一緒に過ごしたい人がいたから。
だから、クリスマスなのにしんみりとしたホグワーツの雰囲気はどこか懐かしかった。
冬の透明感ある空気と相まって、この箱庭は神秘性を兼ね備えはじめる。
私はセブルスと雪が舞うホグズミードにやって来た。
久しぶりに、三本の箒のバタービールが飲みたかった。
「はぁ、温まるー」
ジョッキいっぱいのバタービールを口に含むと、身体の芯からじんわりと温かみが広がる。
学生時代の味を堪能していると、向かいのセブルスが冷ややかな声で言った。
「よくもそんなに甘いものが飲めるな。所詮は子ども騙しだろう」
「子ども騙しって。先生だってよく飲んでたじゃない」
「味覚のおかしい教師が多くて困る」
「なによ、大人ぶっちゃって」
「実際に大人だしな」
そんな他愛のないやりとりを続ける。
普段は生徒や魔法使いで溢れるパブも、クリスマスイヴともなると大人しかおらず、落ち着いた雰囲気でゆっくりすることができた。
私たちの会話がふと区切りがついて、心地よい無言の時間が続く。
そのとき、セブルスが唐突に切り出した。
「“家庭の事情”というのは、なんだ」
「え……?」
「ダンブルドアから聞いた。家庭の事情とやらで日本に帰るんだろう」
ああ
。
セブルスにはこの件に関して何も話していなかったし、これからも伝えるつもりはなかったのだけど。不意に意地の悪い気持ちが湧いてきてしまった。
「
結婚、するの」
「は?」
「親が決めた相手でね。どうしても断れなくて。自由になるのはこの一年だけだったの」
セブルスは目を丸くしていた。私の想像以上に驚いてくれたようで、口も大きく開けたまま固まっていた。
このあと、セブルスはどう返してくれるだろう。
そう期待して待つも、驚愕したようすのまま、セブルスは「そうか」とだけ言った。
そのあとの言葉は何もなく。
「おめでとう」などと返されるよりはよかったけれど。
だから私は、
「本当は結婚なんてしたくない」
混乱するセブルスにたいして、追い打ちをかけるように続けた。
「ねえ……セブルスは、私のこと助けに来てくれる?」
「なんだって?」
「結婚式の式場で、私をさらいに来てくれる?」
あまりにも映画のようなシチュエーションが過ぎるかと、自分の発言に苦笑いしてしまいそうになるけれど、セブルスはじっと考え込んだまま、動かなった。
そして。
「会場の全員に忘却術をかけてやるか」
そう言った。
セブルスが真剣に考えてくれたことがうれしくて、つい声に出して笑ってしまった。セブルスは怪訝そうに私を見つめる。
「まさか、嘘、なのか?」
「ごめん、ちょっと好奇心で訊いてみたくて」
「何が好奇心だ。こっちは真剣に考えてやったんだぞ」
「ごめんごめん、ありがとね。うれしいよ」
セブルスが私を助けに来てくれるということがわかっただけで、私は心から満足だった。嘘も方便、とはまさにこのことだ。
「どこから……嘘なんだ?」
セブルスがそう訊いてきたので、私は「え?」と声を上げてしまう。
「結婚というのは?」
ああ、どうやら本当に心配してくれていたらしい。
思った以上にこの話は効果があったようで、素直なセブルスに少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「うそ、だよ」
「本当に?」
「……でもね、ホグワーツに戻るのは一年だけって、親が決めたっていうのは……ほんとのこと。両親と約束してしまったから」
親のことを考えると胸が痛む。ほとんど家出同然で出てきてしまったから。
セブルスはそれ以上質問をすることはく、納得してくれたようだった。
私たちはそこで会話を終わりにし、暗くなる前に三本の箒を後にすることにした。
白銀の世界を、セブルスと私はホグワーツ城に向けて歩いた。
高い建物もない。車も走っていない。人もいない。音もない。
ただただ、純白の景色が続く。
少し前を歩くセブルスの背中。
立ち止まって、私は呼びかける。
「セブルス」
セブルスが振り返ろうとした拍子に、私はふわりと丸めた雪玉を投げつけた。
予想外にストライク投球をしてしまい、それはセブルスの顔面に直撃する。
軽く投げたし痛くはない、はずだが、雪がはらりと落ちたセブルスの顔はかなりの仏頂面だった。
「ごめん、ごめん。まさかクリーンヒットしちゃうとは」
自分の腕前が可笑しく、笑いながら言うと、セブルスはますます眉を吊り上げた。
「本当に子どもか、おまえは」
「子どもだろうと大人だろうと楽しいものは楽しいじゃない。雪合戦、やる?」
「やるか」
セブルスはそう鼻であしらって、なぜか杖を取り出した。そして小さく口の中で呪文を唱えて
。
頭上でみしり、という音がしたかと思うと、上から雪が降ってきた。その量はたいしたことはなかったのだけど、突然のことに驚いて私は足を滑らせてしまった。
尻もちをつくと、視界の先にはにやりと笑ったセブルスの顔。
私の頭上には木があって、その枝に降り積もった雪が落ちてきたらしい。
「魔法を使うなんて、大人げない!」
「大人も子どもも関係ないんだろう?」
不敵に笑うセブルス。
やってくれるじゃない。
「……腰を打っちゃって立てない」
私は困ったように言って、セブルスに手を差し出した。
やれやれといった表情で、セブルスは私を引っ張り上げてくれようと手を伸ばす。
けれども私は、その手を自分のほうに向かって力いっぱい引いた。
セブルスも倒れればいい、と思ったのだけど、足元は雪が降り積もっていて不安定なせいか、セブルスは思った以上に大きくバランスを崩した。
「馬鹿、」
セブルスは、私の上に覆いかぶさるように倒れ込んできて、私もそのまま雪が敷き詰められた地面に仰向けに倒れてしまった。
視界には真っ白い空が見える。
そして、私の顔のすぐ横にセブルスの頭がある。
ああ、このシーン、昔もあったなあ。
そのときは相手が違ったのだけど
。
「何をやっているんだおまえは」
セブルスは文句を言いながら身体を起こそうとするけれど、想像以上に雪が深かったようで、うまく手で身体を支えられないらしい。滑ったセブルスの顔が、私のすぐ近くにあった。
漆黒のセブルスの瞳。
魅入られてしまったように、動けなかった。
セブルスもじっと私の顔を覗き込むように見つめてくる。
何も、なかった。
音も、風も、人の声も、何もかも。
時間の流れもなくなってしまえばいいと、思った。
「私たちだけ
みたいだね」
私はいまの思いを口に出していた。
「この世界に、私たちしかいないみたい」
雪は音を吸収してしまうという。
私たち以外のものすべてを、吸い込んでしまえばいいのに。
「
本当にそうだったらいい」
驚いたことに、セブルスもそう言った。
聞き間違いかと思ったけれど、無音の世界で雑音が交じるはずもない。
いったいどういう意味で言ったのだろう。
セブルスは起き上がって、その場に座り込んだ。私も上半身を起こし、隣に並んだ。
「それでいいの?」
「ん……?」
「セブルスは、本当にそれでいいの」
胸が、苦しい。セブルスも同じ思いを抱いてくれていることがうれしいはずなのに、哀しい。
セブルスへの想いも。時間の流れも。運命なんてものも。何もかも、思い通りにならない。
「いまでも愛しているんでしょう、リリーさんのことを」
私は思考が麻痺しかかっていて、絶対に訊くまいと思っていたことを口に出してしまった。
セブルスは目を細める。
こうなっては進むしかなかった。セブルスと過ごせる時間が少ないことが、私の背中を大きく後押ししていた。
「自分のことが許せなくて、歯がゆくて、悲しくて、……セブルスはいまも苦しんでいるんでしょう」
セブルスは何も答えない。
ただ真っ白な雪をぼんやりと眺めていた。
セブルスの瞳と真逆のその色は、太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。
「でも、リリーさんはきっと望んでない。そうやってセブルスが自分を責め続けることを」
「だが私のせいでリリーが死んだ」
これまで何遍も何遍も自分のなかで繰り返してきた言葉なのだろう、セブルスの口調には抑揚がまるでなかった。
「誰のせいでもないよ……」
私はダンブルドアに聞いて大方のことを知っていた。
予言のことも。秘密の守り人のことも。
たとえセブルスが予言のことを闇の帝王に告げていなかったとしても、いずれ闇の王はポッター夫妻にたどり着いたことだろう。
平和な日本で暮らしていた私には想像すらできない、暗い闘いがイギリスではおこなわれていたのだ。
もし私が逃げずにセブルスと向き合っていたら、どうなっていただろう。
引っ叩いてでもセブルスを止めていたら
。
そんな“もし”、はきりがない。
もう起こってしまったことは変えることはできない。
勇気のない過去の自分のことは、もう何千回も悔いた。
でも、“いま”は変えられる。
「しっかりして、セブルス。リリーさんのことが、大好きだったのなら、わかるはず。大事な幼なじみが……こんなふうに自分を責めて虚ろな毎日を送ってたら……哀しいと思うでしょう。この世からいなくなってしまったとしても、セブルスが覚えているかぎり、リリーさんは生きてる。だから、」
「リリーはもういない。声も聞こえない。顔も見えない。言葉も届かない……」
「どうして、そう思うの。死んじゃったら何もかも終わりだなんて、考えないで。セブルスがしっかり、覚えていてあげて。そしたらきっと、リリーさんもうれしいと思うから」
「……また、おまえが泣く」
セブルスに言われて、私ははじめて自分がぼろぼろと涙を零していることに気づく。
最近どうも涙もろくてだめだ。
ここで私が泣くべきではないのに、どうしても止まらない。
セブルスの気持ちを思うと苦しい。
最愛のひとを失った悲しみを、どうしたって私は消せない。
そして私は、そのセブルスにさらに追い打ちをかけようとしている。
「ごめん、ごめんね……セブルス……ごめんね」
私には何もできない。
私の想いは届かない。
私はまたセブルスを傷つけようとしているかもしれない。
私はここに来ないほうがよかったんじゃないか。
そんな感情がぐちゃぐちゃにもつれて、私の胸をかき乱す。
苦しくて、私は立てた膝に顔を埋めて泣いた。
「……泣くな」
セブルスが静かに言うのが聞こえる。
さすがに鬱陶しいと考えているかもしれない。
セブルスに元気を出してもらいたかったのに、却って私のほうが慰められる立場になってしまった。
何をやっているんだ。
なんとか涙を止めて、顔を上げて、笑うんだ。
落ち着かせようと息を整えていると、セブルスがぽつんと言った。
「私の……せいなのか」
「え……?」
「私が、を傷つけてるのか」
どうして。
どうして、そんなふうに言うの。
私は「ちがう」と強く否定して、手で涙を拭って顔を上げた。
さぞ醜い顔をしているのだろうけれど、ちゃんと伝えなければいけない。
「ごめんね……勝手に、悲しくなっちゃっただけ」
私は、笑おうとした。
うまく笑えているだろうか。
「私は、セブルスのおかげですごく楽しい学生生活を過ごせたし、この一年だって、すごく充実してた。セブルスは、こんなにも人を幸せにできるんだよ。だから……自分を、責めないで」
私は心の奥底から、そう言った。
少しでも私の感謝がセブルスに伝わりますように。私は、セブルスの背中をゆっくりさすった。大丈夫、セブルスは自分を責める必要なんてないんだよ、と。
セブルスを落ち着けるはずが、さざ波だった自分の心がなだめられてゆくようだった。
「私は……セブルスが、自分を責め続けているから……哀しいんだよ」
私がそう言うと、セブルスはかすれた声で「どうして」と訊いた。
「え?」
「どうして、他人の私に、それほど親身になれるんだ。おまえには関係のない話だろう」
おまえには関係ない。
突き放されているようで、胸が痛かった。私はセブルスの身体から手を離していた。
関係ない、か。
一生、打ち明けまいと思っていたけれど、セブルスと過ごせる時間が残り少なくなってきたいま、私の心は伝えたがっていた。
言っても詮ないことなのに、それでもセブルスのなかに何かを残したいというわがままで、私は口を開いていた。
「私は……セブルスのことが、大好きだから」
自分の言葉に胸が潰れるような気持ちがするなんて、はじめて知った。
「大好きな人が悲しんでいたら、辛いでしょう」
この“好き”をセブルスがどう捉えるかは、わからない。友だちとしてだって、いい。それでもセブルスのことが好きだと、はっきり口にできてよかった、と思えた。
これが正解かどうかはわからない。むしろ、たぶん、良くないことかもしれない。
でも、ちょっとくらいわがままになったって、バチは当たらないはずだ。
「さいごにもうひとつ想い出。いい、よね」
どうせ春にはここを去らなくてはいけない。だから、そのまえに、もうひとつだけ自分勝手になっても、いいよね。
私はセブルスに顔を近づけ、そっとキスを落とした。
本当はずっと触れていたかった。
でも、そうしてしまったら二度とセブルスからは離れられなくなってしまいそうで。
すぐにセブルスからは顔を離し、私は立ち上がった。
「帰ろうか、ホグワーツに」
ヒロイン視点:
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セブルス視点:
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