はハロウィン以来、何度か熱を出しては寝込むことがあった。
「寒いのが苦手だからしょうがないの」「冬は自律神経が乱れやすいのよ」などと虚勢を張るように言っていたが、実際に今年の冬の到来は早く厳しく、ホグワーツにも早々に雪が積もった。
弱っていると、冷たい空気。
引き起こされるように、私はが涙を見せた記憶をもうひとつ、思い出した。

あれはたしか、O.W.Lsが終わった後だから、六年の冬だっただろうか。
雪が降り積もった日で、ホグズミード週末だったと思う。
図書館から寮に戻ろうと、玄関ホールを横切っていたときだった。
が異様な雰囲気をまとい、早足でホールに入ってくる姿が見えた。
ローブには雪がつき、髪はぼさぼさで、走ってきたのか頬と鼻が赤かった。
「どうした?」
私が呼びかけると、は立ち止まり、はっと罰が悪いような表情をした。が、「なんでもない」、とすぐに目をそらされる。
何かがあったことは明らかだった。
がこんな顔をするのは珍しい。
友人と喧嘩をしたときや、試験で悪い点を取ったときなどは、「あーあ」と派手に落ち込みつつも、案外からっとしているやつなのに。
が何も言わず私の前から立ち去ろうとするので、「何かあったのか」と遮ると、は悔しそうに下唇を噛んだ。
表情を覗き込むと、目に涙が溜まっている
ような気がした。
「なんでもない……!」
の肩を掴んでいた私の手は払いのけられ、「おい」と呼びかける声は届かず、階段を駆け上がって行ってしまった。

のあの表情を、私は知っている。
以前ポッターどもに私の教科書を燃やされたとき。
あのときのと、同じだ。
まさか、ポッターとブラックに何かをされたか?
いくらあいつらが外道だとしても、女子生徒に手を出すほど落ちぶれてはいないはずだ。
は友人とホグズミードに行くと言っていたから、やはり友人と喧嘩でもしたというのか。
それならば放っておこうか。
などと考えていると、ポッターとブラックがホールにやって来た。
やつらもホグズミードに行っていたようだった。
ポッターが「はぁ」と盛大なため息を吐きながら歩いている。こいつも普段とはようすが異なっているように見えた。
私はそっとふたりに近づく。
ちょうど雪が強くなってきたのだろう、ホールはホグズミードから帰校する生徒が多く、やつらも会話に意識をとられていたせいか、私の存在は気づかれなかった。
「あー、ファーストキスだったらどうしようー。近所のお姉さんに、女の子のファーストキスは大事にしなさいって言われてたのになあ」
「気にしすぎだろ。事故なんだし」
「そうなんだけどさぁ。でもね、女の子にとっては大切なものなんだよきっと。好きでもない男子からキスされた子が石になっちゃった、っていう話、聞いたことあるし」
「はぁ?馬鹿馬鹿しい」
「ああ、さんが石になっちゃったらどうしよう」
「だいたいおまえだって被害者なんじゃないのか」
「そうだけどさ、……」
ポッターとブラックの会話に、唐突にの名が出て戦慄が走る。
こいつらの今までの話を結びつけたくはなかったが、つまり。
「おまえたち、に何をした」
後ろからいきなり呪いをかけてやってもよかったが、事の顛末を聞く必要があると思った。
ポッターは私の顔を見るなり「まずい」といった表情になり、ブラックは面倒くさそうに口端を下げた。
「文句があるなら僕に言えばいいだろう?がおまえたちに何かをしたっていうのか?」
「あー、いや、べつに彼女には何も……するつもりはなくて」
ポッターは頭をかきながら、困ったように言葉を濁す。
「が泣いていたのはおまえのせいなんだな、ポッター」
「え、……そっか、泣いてたか……」
「あいつに何をした」
「勘違いするなよ、スニベルス。プロングズが悪いわけじゃない。事故だったんだ」
ポッターに近づこうとする私を、ブラックが間に入って遮ってくる。
「事故?意図的に起こしたんじゃないのか、“事故”を」
「意図的にやったんじゃない。それは信じてほしい」
ポッターが首を横に振る。
「いまさらおまえのことなんて信じられるか」
「本当だよ。たしかに多少、良心の呵責を感じなくもない話をしたけど……べつに悪意があったわけじゃない。それで……ちょっと滑ってしまって……その」
だいたいの事が見えてきた。
ポッターはに何か話を持ちかけ、その最中に
大方ポッターはが嫌がるような話をしたのだろうが
雪で滑って、……。
そんなシーンがありありと想像できてしまいそうで、私は頭を振った。
頭に血が上るような思いだった。
は、明るく、気が強い面があるのと同時に、些細なことで傷つくような脆い面もある。
出逢ったころから頼りにされていたせいか、私は保護者のような気分になっていたのだろう。
だから、を傷つけられたことが許せなかった。
気がつくと、右腕を振り上げ思い切りポッターの横面を殴っていた。
ポッターの眼鏡が地面に落ち、パリンと音を立てる。
ポッターは仰け反って、驚いたように私を見つめた。
「おまえは二度とに近づくな」
「てめえスニベルス!」
「パッドフット、いいよ」
仕返しに殴りかかって来ようとするブラックを、ポッターが手で制する。
ブラックは思い切り不満そうに眉を寄せたが、ポッターはさほど動揺せずに、落ちた眼鏡を拾い上げた。
ガラスが割れているが、砕けたガラスは直せても、が傷ついたという事実は消えない。
「ここはさんに免じて、甘んじて受けよう」
どこか余裕があるポッターが気に喰わず、もう一発殴ってやろうかと思った。しかし、ポッターが言葉を続ける。
「
騎士気取りもいいけどね、“セブルス”。自分は彼女を傷つけていないと思ったら、間違いだぞ」
「は?何を言って、」
「呪いよりも効くねー、男の拳っていうのは」
ポッターは割れた眼鏡をかけたまま、ブラックとともに寮へと戻っていった。
杖や呪文ではなく、つい手が出てしまった。
間接的に魔法であいつを叩きのめすのではなく、自分の手で、という気持ちがあったのかもしれない。実際、多少すっきりした手応えはあった。
しかし、何か釈然としない。
ポッターはどうせ反省はしていないのだろうし、何より最後にあいつが言った言葉が気になる。
私はを傷つけているというのか。
たしかに、あいつが「勉強を教えてほしい」だの「ホグズミードに行ってみよう」だの言うことを跳ね除けたことは、何度もある。
それでが傷ついていたというのか。
いや、ポッターのやつが捨て台詞を吐いた可能性のほうが高いだろう。
プライドの高いあいつの鼻をへし折ってやったのだ。
が。
馬鹿は何度も同じ過ちを犯すのか、翌日もポッターがと話しているところを見つけた。
二度と近づくな、と言ったのに。
さすがに昨日の今日で、怒りを感じるよりもよりも呆れた。
ドアの空き教室に入り、私はとポッターの間に割り入る。
「何をしている」
ポッターを睨みつけると、やつは罰が悪そうに苦笑して、「あー、さん、それじゃあ、本当にごめんよ」と去って行く。
まったく、これではの周りにポッター避け対策をしなければならないではないか。
を見るとあまり明るい表情をしていなかったので、「大丈夫か?」と問いかける。すると、「あ、うん」という煮え切らない返事が返ってきた。
まだ不安なのかもしれない。
安心させるために、私は言った。
「
はもう、あいつには近づくな」
「え……?」
「あいつにも、には近づかないように言っておいた」
「セブルス、……」
なぜかを直視することができず、外した視線の端から、気乗りしないような声が聞こえる。
私は、ポッターの言葉が気になっていた。
『好きでもない男子からキスされた子が石になっちゃった、っていう話』
馬鹿馬鹿しいと私も思ったし、はそれほどやわではないはずだが、妙に思い込むところがあるから確証はない。
「その……なんだ……気にすることはない。その……キス、くらいで。相手が相手だから、気になるだろうが……」
言葉にしにくいことではあったが、が石になっては厄介だと思い、励ましてやるつもりだった。
「セブルスには、わからないよ……私の、気持ちなんて」
しかしは、なぜか落ち込んだように声のトーンを落として言う。
なんだ、本当に石になりかねない覇気ではないか。
「……僕にできることは、あるか。あいつに呪いをかけてやろうか」
私が気に入らないのなら、ポッターは私に仕掛けてくればいい話だ。にもかかわらず、あいつはを巻き込んだ。
そのことが無性に許せなかった。
それまでうつむいていたは、私を正面から見て、言った。
「それじゃあ、キス、してくれる?」
なん、だって。
聞き間違いかと思った。
いったいどういうつもりなんだ。
そのキスとやらで落ち込んでいたのではないのか。
私が面食らっていると、は「なんてね」と苦笑する。
なんだ、冗談か。
ぼんやりとの顔を見ていると、唇が切れていることに気がつく。
ポッターと“衝突”したときに傷ついたのか。
もしくは、強く擦ったのか。
私は、ここのところ激化したポッターとの対峙に備え、傷薬を調合していた。それをいつも持ち歩いていたことを思い出す。
ローブから丸い容器を取り出し、蓋を開け、につけてやることにした。
少量を指に取り、反対の手でが動かないように押さえつける。
は驚いたのか肩を震わせた。
安心させるために、「傷薬だ」と教えてやる。
びくびくとしながらも動かないの唇に、薬を塗ってやる。
これは、噛まれたような傷ではない。擦ったものだろう。
が自分自身で傷つけたのか。
胸中に表現しがたい感情が湧き上がってくる。
ポッターへの憎しみもあるが、それ以上に、奇妙な心地だった。
腹の奥がぞくぞくと震えるような、……。
私は人間の唇が柔らかいということを、はじめて知った。
のそれをなぞっていると、形容しがたい感情が全身を支配してくるようだった。
それはだんだんとこみ上げてきて
私は、に口づけていた。
苦い、薬の味だ。
これは口につけるものではなかったか。
だが、その苦味はしだいになくなっていった。
不思議な、味がする。
これは、なんだ。
確かめる前に、息が切れそうになって唇を離す。
は顔を真っ赤にし、目を丸くさせていた。
その表情を見て、私は自分がやらかしたことに気づく。
いや、だが、そもそも。
「お、おまえが……しろって言ったんだからな」
は口をぱくぱくさせているが、何も言葉が出てこないようすだった。
私は『好きでもない男から口づけをされるということ』、について考えて戸惑ったが、いや、そもそもがしろと言ったのだ、私には非はない。
はあいかわらず黙っているので、自分が間違ったことをしてしまったような気がして、私は「おい、なんとか言え」と言った。
ははっとしたように目を見開き、やっと言葉を紡ぐ。
「そ、その……突然でびっくりしちゃって」
「何が突然、だ。おまえがしろって言ったんだろう!」
「あ、えと、それはその……冗談のつもりで」
「冗談!?」
「じょ、冗談だけど、そうじゃない、けど……」
いつもの調子に戻りつつあるに、呆れたような気持ちになる。
これまでの私の苦労はいったいなんだったのか。
疲れた。
「もうおまえのことなんて知らん」
を直視することができず、私は背中を向けて立ち去ることにした。
の反応は、見なかった。
その日、私は眠りにつくことができなかった。
指先、そして唇に残るの感触。
いつまでも離れなかった。
なぜ、あんなことをしてしまったのか。
そう何度も思い返すが、答えが見つからない。
おそらく、ポッターへの怒りや、弱ったへの保護者のような感情からだと推測しているのだが。
とはしばらく気まずい仲が続いたが、そのうちいつもの間柄に戻っていた。
思い出してしまえばとの関係が変わってしまいそうで
記憶の片隅へと、追いやった。
2018.9.5
ヒロイン視点:
8 ---
9 ---
10
セブルス視点:
8 --- 9 ---
10
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