7. Past III


 が私の前ではっきりと涙を見せた記憶が、一度だけあった。

 ホグワーツの高学年のころだった、と思う。
 あれはたしか、図書室で試験の勉強をしていたときのことだ。
 魔法薬学が苦手なあいつは、私のところへ教えを請いに来た。
 そこに、やつらが現れたのだ。

「やあ、さんにスネイプくん、仲良くお勉強かい?」

 眼鏡をわざとらしく動かし、鼻につく笑みを見せるポッター。その隣にはいつものごとく、腰巾着のようにブラックが並んでいた。
 やつらにかまってやる気分ではなかった私は、無視を決め込むことにした。は何か言い返したいようすだったが、私に倣ったのか黙っていた。

「あ、返事がないっていうことはその通りなのか。“仲良く”お勉強、って」

 マダム・ピンスはこういうときに限っていないのだな、と私は内心で舌を打つ。
 このころ、ポッターはと私が一緒にいるところを目ざとく見つけては、割って入って来ることが多かった。
 が隣にいては、派手な呪いをやつらにかけてやるわけにはいかないので、だいたいは二、三言言い返す程度に留めていた。やつらはそこにつけこんでいたのかもしれない。
 も私も沈黙しているのがつまらないのか、ポッターは眉をひそめる。
 しかし、

「おいプロングズ、見てみろよ、これ」

 ブラックがそう言いながら、一冊の書物を取り上げる。
 私の教科書だった。

「こんなに書き込みしやがって」
「どれどれ」

 ブラックから私の教科書を取り上げたポッターは、しげしげと眺めながらページをめくる。
 返せ、と手を伸ばすも、ひらりと避けられてしまった。

「これ、……」

 ポッターの目つきが少しずつ鋭いものに変わる。

「習ってない魔法薬の精製法から、闇の呪文まで書いてある」

 ポッターが顔を上げる瞬間を見計らい、私は教科書を取り返す。
 やつらに見せてやるつもりなどなかったのに。

「そんなもの書いてどうするんだよ」

 ブラックが低い声音で言う。

「おまえらの知ったことか」

 鼻で嘲笑すると、ポッターが目を細めた。

「何度も言うけど、闇の魔術なんて身につけるのはよせ」

 ポッターが珍しく声のトーンを落としていた。

「そんなこと、どうしておまえに言われなければいけないんだ」
「いつか自分自身の身を滅ぼすぞ」
「何を、偉そうに」

 そうだ。私はこいつの、上からものを言うところが大嫌いだった。

「おまえの頭では理解できないから、ひがんでいるんだろう」
「ひがむ?僕が?闇の魔術のことで、きみを?」

 冗談だろ、とポッターは吐き捨てる。

「闇の魔術なんて   そんなもの、存在すべきじゃない」

 ポッターは杖を取り出した。
 図書館ここでまさか、という思いが邪魔をして、私は反応が遅れた。

「インセンディオ」

 ポッターが低く言うと、杖から赤い光が放たれ、私の持っていた教科書に火がついた。
 あっ、とが高い声を上げる。
 私は熱さのあまり本を手放してしまった。床に落ちた私の教科書は、炎を揺らめかせながら燃えてゆく。
 なぜか急激に無力感を抱いた私は、動けなかった。

「アグアメンティ!」

 の声にはっとする。
 の杖から水が放たれ、一瞬で火が消え去った。
 しかしすでに遅く、私の教科書は真っ黒に焦げついていた。
 沈黙が、落ちる。
 むかむかと腹の奥から怒りのようなものが湧き上がってきて、私は拳を握った。

「な   
「どうして、こんなことを」

 私の言葉はによって遮られる。
 隣に顔を向けると、は目を吊り上げてポッターを睨みつけていた。

「人の教科書を燃やすなんて!」

 怒り声を荒げたことのないが、ポッターに掴みかからん勢いだった。

「だって“それ”には、不必要なことが書いてあったんだ」

 ポッターが先ほどの低いトーンは残しつつも、うろたえた色も見せながら答えた。

「不必要なこと?それってなに?何が必要で何が不必要かなんて、他人には関係ないじゃない!」
「きみだって知ってるだろう、闇の魔術の危険さは。スネイプが闇の魔術に心酔したらどうする?それともきみも、」
「いまは、そんなことを話してるんじゃない」

 の目には、明らかに涙がいっぱいに溜まっていた。
 しかしそれは、ぎりぎりのところで流れ落ちないように、は必死にまばたきを抑えていた。

「あなたみたいに頭がいい人にはわからないでしょうけどね、教科書っていっぱい書き込みをするものなの。授業で習ったことも、そうでないことも。ただの教科書じゃなくて、自分の“本”なんだよ。それを平気で燃やすなんて、信じられない」

 は静かに、けれども確実に憤慨していた。
 私の怒りはその熱によって急速に勢いを失くしてゆくのを感じた。

 ただならぬ気配を察したのか、近くにいた生徒がちらちらと視線を寄越してくる。ポッターも居心地が悪くなったのか、その場を去るように足を引いた。

 ポッターとブラックが去ってから、は屈んで、ほとんどススになってしまった私の教科書に手を触れた。
 その上にぽつり、と涙が落ちる。

「……どうして、おまえが泣くんだ」

 居心地が悪い私は、から顔をそらせる。

「だっ、て……これ、セブルスががんばって書き込んでたの、見てたから」
「べつに……がんばってなんて……」
「私が、質問したことで、セブルスが新しい魔法薬の、調合をひらめいたり、して、……私にも、ちょっと思い出があった教科書だったから……セブルスの右上あがりのクセ字、好きだった、のに」

 涙を拭いなら、は言葉を続ける。
 何をくだらないことを。
 そんな考えが頭をよぎったが、それはすぐに消えた。
 くだらない、のだが。
 なぜか不快な気分にはならない。
 ポッターとブラックへの腹立たしさも、いつの間にか消え失せていた。
 のやつは、他人事なのに、怒り、悲しんでいる。
 お人好しなどという柄ではないはずだ。
 なぜ、……。

「おまえには関係ない、だろう……燃やされたのは僕の教科書だ」

 は赤い目を瞬かせ、私を見た。
 いま指摘されてはじめて気づいたというような反応だった。
 そして、もごもごと口ごもりながら、言う。

「だって……セブルスは……友だち、だから   大切、な」

 語尾にいくにつれよく聞こえなくなっていったが、次の言葉ははっきりとした口調で言った。

「友だちに酷いことされたら、怒るでしょ」
 
 そう、なのか。
 私には“友だち”などという存在が、よくわからない。
 むしろ、所詮は馴れ合うためだけのものだと思っていた。
 その考えはいまでも変わりがないのだが   のことは例外かもしれないと思った記憶がある。

 だが、私から離れていったは所詮、口だけだったのだと。
 そう思った。

 しかし、は何も変わっていなかったのかもしれない。
 は今でも、自分のことではなく他人の   友である私のために泣くのだ。



 黒い塊になっただけの私の教科書を、は大事そうな手つきで拾い上げる。
 なぜだかその仕草は、私の深い部分の琴線に触れたような気がした。

「また、……新しいものを、作ればいい。そこに書き込んだことはだいたい覚えているからな」

 私が焦げ落ちた教科書に目を向けながら言うと、は静かに笑って、「そうだね」と言った。

 

2018.7.9

ヒロイン視点: 6 --- 7 --- 8
セブルス視点: 6 --- 7 --- 8

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