が私の前ではっきりと涙を見せた記憶が、一度だけあった。
ホグワーツの高学年のころだった、と思う。
あれはたしか、図書室で試験の勉強をしていたときのことだ。
魔法薬学が苦手なあいつは、私のところへ教えを請いに来た。
そこに、やつらが現れたのだ。
「やあ、さんにスネイプくん、仲良くお勉強かい?」
眼鏡をわざとらしく動かし、鼻につく笑みを見せるポッター。その隣にはいつものごとく、腰巾着のようにブラックが並んでいた。
やつらにかまってやる気分ではなかった私は、無視を決め込むことにした。は何か言い返したいようすだったが、私に倣ったのか黙っていた。
「あ、返事がないっていうことはその通りなのか。“仲良く”お勉強、って」
マダム・ピンスはこういうときに限っていないのだな、と私は内心で舌を打つ。
このころ、ポッターはと私が一緒にいるところを目ざとく見つけては、割って入って来ることが多かった。
が隣にいては、派手な呪いをやつらにかけてやるわけにはいかないので、だいたいは二、三言言い返す程度に留めていた。やつらはそこにつけこんでいたのかもしれない。
も私も沈黙しているのがつまらないのか、ポッターは眉をひそめる。
しかし、
「おいプロングズ、見てみろよ、これ」
ブラックがそう言いながら、一冊の書物を取り上げる。
私の教科書だった。
「こんなに書き込みしやがって」
「どれどれ」
ブラックから私の教科書を取り上げたポッターは、しげしげと眺めながらページをめくる。
返せ、と手を伸ばすも、ひらりと避けられてしまった。
「これ、……」
ポッターの目つきが少しずつ鋭いものに変わる。
「習ってない魔法薬の精製法から、闇の呪文まで書いてある」
ポッターが顔を上げる瞬間を見計らい、私は教科書を取り返す。
やつらに見せてやるつもりなどなかったのに。
「そんなもの書いてどうするんだよ」
ブラックが低い声音で言う。
「おまえらの知ったことか」
鼻で嘲笑すると、ポッターが目を細めた。
「何度も言うけど、闇の魔術なんて身につけるのはよせ」
ポッターが珍しく声のトーンを落としていた。
「そんなこと、どうしておまえに言われなければいけないんだ」
「いつか自分自身の身を滅ぼすぞ」
「何を、偉そうに」
そうだ。私はこいつの、上からものを言うところが大嫌いだった。
「おまえの頭では理解できないから、ひがんでいるんだろう」
「ひがむ?僕が?闇の魔術のことで、きみを?」
冗談だろ、とポッターは吐き捨てる。
「闇の魔術なんて
そんなもの、存在すべきじゃない」
ポッターは杖を取り出した。
図書館でまさか、という思いが邪魔をして、私は反応が遅れた。
「インセンディオ」
ポッターが低く言うと、杖から赤い光が放たれ、私の持っていた教科書に火がついた。
あっ、とが高い声を上げる。
私は熱さのあまり本を手放してしまった。床に落ちた私の教科書は、炎を揺らめかせながら燃えてゆく。
なぜか急激に無力感を抱いた私は、動けなかった。
「アグアメンティ!」
の声にはっとする。
の杖から水が放たれ、一瞬で火が消え去った。
しかしすでに遅く、私の教科書は真っ黒に焦げついていた。
沈黙が、落ちる。
むかむかと腹の奥から怒りのようなものが湧き上がってきて、私は拳を握った。
「な
」
「どうして、こんなことを」
私の言葉はによって遮られる。
隣に顔を向けると、は目を吊り上げてポッターを睨みつけていた。
「人の教科書を燃やすなんて!」
怒り声を荒げたことのないが、ポッターに掴みかからん勢いだった。
「だって“それ”には、不必要なことが書いてあったんだ」
ポッターが先ほどの低いトーンは残しつつも、うろたえた色も見せながら答えた。
「不必要なこと?それってなに?何が必要で何が不必要かなんて、他人には関係ないじゃない!」
「きみだって知ってるだろう、闇の魔術の危険さは。スネイプが闇の魔術に心酔したらどうする?それともきみも、」
「いまは、そんなことを話してるんじゃない」
の目には、明らかに涙がいっぱいに溜まっていた。
しかしそれは、ぎりぎりのところで流れ落ちないように、は必死にまばたきを抑えていた。
「あなたみたいに頭がいい人にはわからないでしょうけどね、教科書っていっぱい書き込みをするものなの。授業で習ったことも、そうでないことも。ただの教科書じゃなくて、自分の“本”なんだよ。それを平気で燃やすなんて、信じられない」
は静かに、けれども確実に憤慨していた。
私の怒りはその熱によって急速に勢いを失くしてゆくのを感じた。
ただならぬ気配を察したのか、近くにいた生徒がちらちらと視線を寄越してくる。ポッターも居心地が悪くなったのか、その場を去るように足を引いた。
ポッターとブラックが去ってから、は屈んで、ほとんどススになってしまった私の教科書に手を触れた。
その上にぽつり、と涙が落ちる。
「……どうして、おまえが泣くんだ」
居心地が悪い私は、から顔をそらせる。
「だっ、て……これ、セブルスががんばって書き込んでたの、見てたから」
「べつに……がんばってなんて……」
「私が、質問したことで、セブルスが新しい魔法薬の、調合をひらめいたり、して、……私にも、ちょっと思い出があった教科書だったから……セブルスの右上あがりのクセ字、好きだった、のに」
涙を拭いなら、は言葉を続ける。
何をくだらないことを。
そんな考えが頭をよぎったが、それはすぐに消えた。
くだらない、のだが。
なぜか不快な気分にはならない。
ポッターとブラックへの腹立たしさも、いつの間にか消え失せていた。
のやつは、他人事なのに、怒り、悲しんでいる。
お人好しなどという柄ではないはずだ。
なぜ、……。
「おまえには関係ない、だろう……燃やされたのは僕の教科書だ」
は赤い目を瞬かせ、私を見た。
いま指摘されてはじめて気づいたというような反応だった。
そして、もごもごと口ごもりながら、言う。
「だって……セブルスは……友だち、だから
大切、な」
語尾にいくにつれよく聞こえなくなっていったが、次の言葉ははっきりとした口調で言った。
「友だちに酷いことされたら、怒るでしょ」
そう、なのか。
私には“友だち”などという存在が、よくわからない。
むしろ、所詮は馴れ合うためだけのものだと思っていた。
その考えはいまでも変わりがないのだが
のことは例外かもしれないと思った記憶がある。
だが、私から離れていったは所詮、口だけだったのだと。
そう思った。
しかし、は何も変わっていなかったのかもしれない。
は今でも、自分のことではなく他人の
友である私のために泣くのだ。
黒い塊になっただけの私の教科書を、は大事そうな手つきで拾い上げる。
なぜだかその仕草は、私の深い部分の琴線に触れたような気がした。
「また、……新しいものを、作ればいい。そこに書き込んだことはだいたい覚えているからな」
私が焦げ落ちた教科書に目を向けながら言うと、は静かに笑って、「そうだね」と言った。
2018.7.9
ヒロイン視点:
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セブルス視点:
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