6. Summer II



 夏の終わりが近づく。
 帰省していた教師が戻り、ホグワーツに少しずつ喧騒が蘇る。
 新学期に向けた準備に慌ただしくなった。

 そんな折、例のごとくが私の自室にやって来た。

「ねえ、セブルス」

 は持参した紅茶を注ぎながら呼びかけてくる。私は新旧の教科書を整理するため、書棚に向かっていた。
 茶など飲んでいる暇はないと言ったのに、は「そういうときこそ落ち着いて休憩をしたほうがいい」などとぬかす。
 を放置しておくと、勝手に話しはじめた。

「この前も少し話したけどさ……夏と言ったらやっぱり海だと思うんだよね」
「断る」

 話が先に行く前に、私はきっぱりと告げた。

「もう、まだ何も言ってないじゃない!」

 の顔は背を向けているので見えないが、眉を吊り上げているか、唇を曲げているかに違いない。

「海などに行ったところで何をすると言うんだ」
「え、それはもちろん、……泳いだりとか、砂浜で遊んだりとか」
「くだらない。ここの湖で泳いだらいいだろう」
「えーっ。泳ぎたいんじゃないよ、海に行きたいの」
「だから、何のために?」
「何も。ただぼんやり眺めているだけでも落ち着くでしょう、海って」
「そんなことのために、わざわざ出向くのか?」
「ダンブルドアも、海はいいって言ってたよ」

 またダンブルドア、か。こいつは私を誘い出そうとするときに都合よく校長の名を出す。
 たしかにホグワーツの一教師である以上、校長の意向には反論しにくい。
 が、それにしても。

「……ダンブルドアはおまえに甘いな。安易に外出許可を出しすぎだ」

 私がため息を吐くと、は微かに笑って、「ダンブルドアは理解がある先生だから」と言う。
 何の理解だ。大方自由だとか子供心だとかその類だろうと想像はつくが。

「それにほら、ミノカサゴの棘とか、青サンゴの化石とか、魔法薬のいい材料も見つかるかも」
「どこまで深く潜るつもりだ。店で買ったほうが遥かに効率的だろう」

 が必死に探したらしい口実を、私があっさりと跳ね除けると、は「むう」と唸り、黙った。
 まったく、海に行きたいなど本当に誘ってくるとは。相変わらず突拍子もないことを考える。

    ただ。
 こいつがホグワーツにいるのは、一年限り。

『来年からは日本を離れられない事情があって、自由になるのは今年だけだったの。だから、今年は、想い出がたくさんあるホグワーツで過ごしたかった』

 だから、何かと私を誘い出そうとするのだろう。
 それならば、……。

「セブルス・スネイプ!」

 いきなり扉が勢いよく開いたかと思うと、叫び声混じりで呼びかけられ、私は振り向いた。
    まさか。
 髪には白髪が混じり、髭も生えているが、この男は間違いなく   

「きさま   こんなところで、よくものうのうと生きていられるな!」

 男は大股で私のもとに近づいてくる。
 そして、私の胸ぐらを掴みかかった。
 一心に私を睨みつけてくる。

「本当にホグワーツの教師になっているとは……きさまなんかが……!」

 私のローブを掴む手が、がくがくと震えていた。

「ダンブルドアはきさまを許しても、俺は絶対に許さない」

 男は   ネイトは、杖を取り出して私に向けた。
 が立ち上がるのが視界の端に見えた。
 その音で、ネイトはを認識し、に視線を移した。
 
「あんた、出て行ってくれないか。これは俺とスネイプの問題だ」

 そう、だ。私も、にはこの場から立ち去ってほしかった。
 を巻き込みたくはない   というのは綺麗ごとで、知られたくない、というのが本音かもしれない。

「あなたは、誰ですか?セブルスに何の用ですか」

 私の希望をよそに、はネイトに訊ねる。ネイトは目を見開いた。私を開放し、杖を持っていた手を下げ、に向き直った。
 やめろ、と双方に言いたいのに、声が出ない。

「“セブルス”?あんたこそ、こいつとどういう関係だ」
「私は……彼の友人です」
「友人?冗談だろ」

 ネイトは吐き捨てる。

「こいつが何をしたのか知っているのか?」

 ネイトは挑発的に、に喰いかかるように訊ねた。
 やめろ、……。

「こいつは、この薄汚い溝鼠は、俺たちの   不死鳥の騎士団のスパイだった。そのせいで、俺の妻は死に、子どもは聖マンゴで一生治療を受けなければならない!」
「……やめろ」

 ようやく絞り出した声は、ネイトの大声にかき消されてしまった。
 それ以上言うなと伝えたいのに、私の身体は動かない。
    いや。私は、聞くべきなのだろうか。ネイトの怒りを。
 何より、ネイトの言葉は真実だ。
 かつて闇の陣営にいたとき、私は間者として不死鳥の騎士団を探っていた。私の進言で襲われた不死鳥の騎士団のメンバーも、いる。
 私は。

「俺の妻だけじゃない!ジェームズとリリー夫妻を死に追いやったのもこいつだ!」

 何もかもに目をそむけたくて、私は瞼を閉ざした。
 思い出したくはなかった。
 あのときの絶望感を。虚無感を。罪の意識を。後悔の念を。
 
「こんな悪魔のような男を、それでもおまえは友だと呼ぶのか!?」

 ああ、これでまたも去ってゆくのだろう。
 戻ってきたを遠ざけていたのは、こいつが憎いからというよりも   私のしたことを知れば、も離れてゆくだろうと思ったからかもしれない。
 光を手に入れるために闇の道を勇んで進んだ私は、結局光にも闇にも馴染めなかった。

 そう、悪魔ですらない。
 私は、いったい何だ。

「知って   います」

 がゆっくりと口を開く。

「話は、聞いています。それでも私は、セブルスを大切な友人だと思っています」

 なん、だって?
 知っている?私がしたことを?

 いや、   そうか、おそらくダンブルドアが話したのだろう。
 あのお節介な老人が、余計なことを。

「な……んだと……?」

 私以上に、ネイトが驚愕しているようだった。

「スネイプは……こ、こいつは!こいつの本性は!薄汚く、悲惨で、闇に堕ちている!いつ裏切るかわからない、そんなやつを、」

 ネイトはに掴みかからんばかりの勢いで怒号を上げた。
 しかし、は落ち着いていた。

「あなたも、相当に辛い思いをされた   されているのだと、思います。心からお悔やみを申し上げます」

 ネイトは理解できない、という表情をして、手を震わせながら杖を振り上げた。に、向けて。
 そして、くつくつと肩を震わせて笑いはじめる。

「そうか、そうだ、わかった!それなら、スネイプを俺と同じ目に遭わせてやればいい」

 ぞくり、と背筋が震えた。

「やめろ、こいつは関係ない」
「いや、スネイプ。きさまの“友”だというなら   それ以上の間柄だというなら、大いに関係あるさ。きさまに、俺と同じ思いをさせてやる」

 馬鹿な。
 私はネイトに手を伸ばすが、ネイトはすると身をかわした。 

「やめろ!」

 ネイトの口が「アバダケダブラ」と動くようすが見えた。
 その閃光がに当たり、が動かなくなる   
 全身に鳥肌が立った。
 私も杖を取り出す。
 ネイトを傷つけるつもりで攻撃しなければ、が死ぬ   

「そこまでじゃ」

 私の悪夢は一瞬で覚める。
 気がつくとネイトの杖が吹き飛んでいた。 
 ダンブルドアが、開かれたドアの前に立っていた。
 身体中が脱力して、私は杖を持つ力がなくなったようで、押し込むように杖をローブにしまった。

「ネイト。きみが回復してわしに会いに来てくれたことはうれしかったが……やはり本当の目的はセブルスじゃったか」

 ネイトは死喰い人の攻撃で重傷を負っていたはずだった。回復して、私のもとに来たのか。
 
「あなたもやつの味方ですか、ダンブルドア。なぜです!」

 近づいたダンブルドアのローブにしがみつき、ネイトが叫ぶ。

「スネイプのせいで……多くの人間が死んだ……こいつのせいで、……こいつが、我々を嗅ぎ回っていたせいで……」
「それはまごうことなき事実じゃ。しかし、セブルスは、自らの罪を認め、傷つき、償おうとしておる。わしは本当のセブルスを信じておる」

 信じている、か。
 重い言葉だ   

「ネイト。きみの傷みは計り知れぬ。しかし、セブルスやを討つことで、きみやきみの大事な人たちが救われるじゃろうか?そのことをよく、考えてほしい」

 ダンブルドアは、まるで泣き叫ぶ子どもに対するように優しく言った。
 ネイトは絶叫するように喚きながら、その場に崩れ落ちた。


 ダンブルドアがネイトを連れて部屋を出てゆく。
 ネイトはそのときに、私に向けて言った。

「おまえのことは絶対に許さない」

 許さない。その言葉を、いったい何人に言われただろう。

 部屋の静寂が私を切りつける。
 まだネイトがここにいて、罵詈雑言を浴びせられていたほうがましだったかもしれない。
 しかし、が震えるようにふう、と息を吐いたことで、私に音が戻ってくる。
 危うくが殺されるところだったかもしれない。

 私は、唐突に、何もかもから逃げ出したくなった。
 人生の苦楽が詰まるこの箱庭からも、暗闇しかないこの世界からも。
 “無”でいられる場所に行きたい。

 そうだ。が、言っていたではないか。

   先ほどの話」

 考える間もなく口にすると、がはっとしたように顔を上げた。 
 「行こう」、と言うと、は「え?」と返す。
 私は答えた。
 海だ、と。


 もはやどのように来たのかは覚えていない。意識したとき、私の足は柔らかな砂を踏みしめていた。
 さあ、さあ、とどこか心地のよい波音が空間を支配している。
 灰色の空の色を映した水面は、どこまでもどこまでも続いていた。
 まるで私を歓迎するかのごとく、海は大きな手を広げているように見える。
 母なる海、とはよく言うもので、たしかにここならすべてを拒まないような気がした。

「セブルス!」

 の声とともに、ローブがぐいと引っ張られる。
 気がつくと私の足は海面に踏み出していた。
 一瞬、私を引き止めたのことを心から恨んだ。
 このまま進めればよかったのに、と。
 しかしその思いは急速にどす黒いもの包まれて消えてゆく。
 いつも私の中を覆っている、薄暗い闇。それが今は、深淵の暗黒のようだった。

    もう、疲れた。
 私は、なぜ生き永らえているのだ。

『スネイプのせいで……多くの人間が死んだ……こいつのせいで、……こいつが、我々を嗅ぎ回っていたせいで……』

 ネイトの言葉が嫌でも蘇ってくる。

 そうだ。私のせいで、死んだ。
 憎かった相手も。かつて同じ学び舎で声をかけあった者たちも。

    リリーも。

 刃物で心臓をえぐられたような痛みに、目を瞑る。
 この虚無的な傷みをやり過ごすには、無でいるしかないと、学んでいた。

 どれくらいそうしていただろう、目を開けるとの姿がなかった。振り返ると、が離れたところに座っていて、どこか遠い場所をぼんやりと眺めていた。

 私はその隣まで歩いてゆき、どさりと腰掛ける。

 がいなければ、私はここで楽になれていたかもしれない。
 しかし、がいることで、懺悔の言葉も吐き捨てられるのかもしれない。

「私は、」

 頭で思考する前に、口が動いていた。

   許されたいわけじゃ、ない」

 私を許さないと言ったネイト。
 ネイトからすれば、私がのうのうとホグワーツで教職に就いていることは納得がいかないのだろう。
 私は贖罪のためにそうしているわけではない。
 ただ、無意味に、生を受けているだけだ。
 それならばいっそ。

「それじゃあ……私と一緒に、死ぬ?」

 の声は小さいにもかかわらず、波音に消されずに耳についた。
 何を言い出すのだと、まじまじとを見てしまった。冗談のつもりだと思った。
 だが、の表情も瞳も柔らかく、口先だけで言っているようには見えなかった。
 死へ向かうのが独りではない、その事実があるだけで、一足先に踏み出せてしまいそうになる自分が愚かしい。
 しかし   これ以上、この虚無感を抱えて生きるのは、疲れていた。

「それも……悪くない、かもしれない」

 私は息とともに、吐き出していた。
 はどう答えるだろう。まさか本当に私と心中するつもりではないだろうが。

 不意に、左手にぬくもりを感じた。

 の右手が、私に重ねられていた。
 温かなその手に、いかに自分が冷えていたのかを悟る。

 こうして人と触れ合うなど、いったいいつ以来だろうか。

「セブルスは、温かい。まだしっかり、ちゃんと、生きてる」

 と重ねられた部分だけ、熱を持ってくる。

「生きている間にしかできないことが、ある。セブルスにしかできないことがある。セブルスのことを必要としている人もいる。だから、……」

 の声は、尻すぼみに震えてゆく。
 の顔を横目で見ると、ぼろぼろと涙をこぼしていた。

 こいつが泣くなんて。

 本来、泣く女ほど厄介なものはないと思っている。
 だが   普段は気丈なの涙は、尊いと思った。

「どうしておまえが泣く」

 なだめることもせず、私は問いかけた。むしろこのまま、こいつの涙を見ていたいと思った。

「セブルスが、泣かないから」

 喉を震わせ、が答える。涙を拭おうと、私の手を離そうとした。
 が、私はそれを上から掴むように、の右手を覆った。

 人の体温と、涙。

 どちらも温かい。背筋がじんと震えた。

 私たちは日が暮れるまで、ひと言も交わさずに、そのままでいた。
 その時間が今の私にとって一番、ありがたいものだったかもしれない。

 

2018.5.23

ヒロイン視点: 5 --- 6 --- 7
セブルス視点: 5 --- 6 --- 7

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