16. 息をするよりたしかなこと


 目を開けると、爽やかな風が頬を撫でた。
 春の匂いがする。

 病室の窓が、開いていた。
 今日は温かい。そのせいか、いくぶん体調も良い気がした。

 時計を見ると、針は午後一時三十分を指していた。

 看護師さんに付き添ってもらって、外に出てみようか。
 そんなアイデアが頭をちらついたときだった。

 ふわり、と強い風が吹いたかと思うと、視界が黒く染まる。
 漆黒のローブ。見覚えのある背丈。
 はっとして顔を上げると、セブルスが、そこにはいた。

 幻かと、思った。天国なのだと。
 けれども、そのセブルスはやけにリアルな表情で、目を細めて私を見ている。
 現実なのだと悟るのにだいぶ時間がかかった。
 かろうじて、「どうして」とだけ言うことができた。
 セブルスはゆっくりと口を開く。

   ダンブルドアから……事情を聞いた」

 ダンブルドア。そうか、先生が、話したのか。
 状況が一気に現実味を帯びて襲いかかってくる。

 セブルスに本当のことを伝えるかいまだに迷っていたので、結果的にはダンブルドアが伝えてくれて良かった、のかもしれない。
 このまま嘘を突き通すことには申し訳ない気持ちがあったけれど、私の口から直接伝えることはできそうになかったから。
 手紙を書いていたとはいえ、セブルスと面と向かって話しておいたほうが良いのではないか、という考えはずっと頭をちらついていた。

「そっか……。ごめんね、……黙っていて」

 そう告げてから、なんてチープなのだろう、と息が苦しくなる。
 この一年、ずっとセブルスを騙していたのに、謝罪をすれば済むとでも私は考えていたのだろうか。
 それとも、どうせこの世からいなくなってしまうのだから良い、とでも?

 もし、逆の立場だったら、私はどれほど辛い思いをしただろう。
 セブルスが私を   おそらく   友人ではあると認めてくれている今、セブルスが悲しんでくれないわけがないのに。

「ごめんなさい……」

 私はもう一度、言って、頭を垂らした。
 この謝罪は、自分を慰めるだけでしかない。余命宣告されたからといって、何をしても許されるわけじゃない。

 でも。
 だったら、どうすれば良かったのだろう。

 はじめからセブルスに私の病気のことを告げて、同情を誘ったまま、一年を過ごす。
 その選択肢自体は存在した。

 けれど私は、セブルスに情けをかけられたいわけじゃない。
 まっさらな気持ちで、私と接してほしかった。

 病気のことを意識せずに、心から楽しみたかった。

 だから、……。

「いい」

 セブルスは短く言った。
 私は顔を上げる。

「なぜ言わなかった、とは何度も思ったが、結局私は……何も、できなかっただろう」
「そんなことないよ。セブルス、私は本当に楽しかったよ。この一年、ほんとうに……」

 セブルスの声のトーンが胸にずきずきと刺さって、私は勢いよく言った。

「ああ」

 そんなことは知ってる、というふうに言わんばかりの口調で、セブルスは頷いた。
 
「具合は、どうだ」

 どうやらセブルスは、私が病気について黙っていたことを、とやかく言うつもりはないらしい。
 あまりしつこく謝罪すると却ってセブルスを悩ませるだけだと思って、私も会話を続けることにした。

「うん、今日は温かいし、悪くないよ」
「そうか」

 今日は温かい、という自分の台詞に、ふと思い至る。

「ねえ、そうだ。看護師さんに、外に連れて行ってもらおうと思ってたの。代わりにセブルスが、連れ出してくれない?せっかくだから桜を観に行きたいなあ。咲いてるかな」

 話し始めると、止まらなかった。罪悪感を押しのけて、台詞が続いていく。
 そうだ。
 セブルスとの   おそらく最後の時間を、こんな湿った雰囲気のする病室で過ごしたくはない。
 後悔や謝罪の念はあるけれど、でも、せめて、セブルスの前では元気な姿でいたい。

「いや……だが」
「大丈夫、大丈夫。とっても良い看護師さんがいるの。内緒で、お願いするから」

 言い終わるやいなや、私はナースコールを押して看護師さんを呼ぶ。
 担当の女性が来てくれた。年齢は四十代くらいだと思う。
 明るくて、優しくて、てきぱきしていて、素敵な人だった。

 少し出かけてきても良いかと訊ねると、彼女はセブルスの顔をちらりと見て、私の顔をじいっと眺めた。

「そうね……今日は顔色も良いみたいだし、三時までに戻るなら」
「ありがとうございます」

 看護師さんも、まさか花見をしに行くとは思っていないだろう。

「はしゃぎすぎないこと」

 看護師さんはにこりと笑って、言った。

 渋るセブルスを説得して、私たちは公園へとたどり着いた。昨年も桜を見に来た場所だ。
 去年は満開だった桜が、今年はまだ蕾がちらほら目立つ。五分咲きといったところだろうか。

 セブルスが、車椅子を押してくれる。
 私たちは公園全体を見渡せる小高い丘へやってきた。

 セブルスの気配を背中に感じながら、私は、セブルスへの言葉を頭の中で必死に組み立てた。

 おそらく、私に残された最後の時間。
 セブルスと過ごすための。

 幸い、今日はいつもより体調が良い。
 神さまがくれた、ラストチャンス。
 元気だったころの私に戻れる、最後の機会。
 
 一年間セブルスに嘘を吐いていた私が、この期に及んでセブルスに甘えている。
 「死」を理由にして。

 謝罪も感謝も、伝えきれない。
 どうすればいい。
 私は、最愛の人を前にして、最後に、何を言えばいいのだろう。

    ああ、私は、死ぬんだ。

 もう苦しまなくて良いんだという開放感と、数日後には自分はこの世から消えてなくなるという実感のなさと、恐怖感と、セブルスが目の前にいるという幸福感とで、思考がぐちゃぐちゃになっている。

 何気なくセブルスと会話を交わしながら、それでいてここにはいないような、不思議な感覚になっていた。

 車椅子から降りて草むらに腰掛け、大地の感触を踏みしめると、少しばかり自分という存在を感じられるようになる。
 そこは緩やかな丘になっていて、公園の桜が見渡せた。
 沈黙が怖くて、私は口を開いた。

「またセブルスとここに来られるとは、思わなかった」

 満開ではないにせよ、薄っすらと景色を桃色に染めている桜は、充分に美しかった。
 今が一番良い、のかもしれない。満開だとあとは散るだけ。でも、五分咲きならこれから峠を迎える楽しみが残っている。

 セブルスは、何も言わなかった。

 やはり怒っているのか、不愉快に感じているのか。
 セブルスにそれとなく視線を向けると、困ったような表情をしていた。
 セブルスも何と声をかければ良いのかわからないのだろう。これから死にゆく人間の前で。
 私だって、まるで実感がないのだ。私だって、セブルスに何を言えば良いのかわからない。

 けれど、時間がない。ここでゆっくりできるのは、あと三十分が限度だ。

 せめて、今の私がセブルスにできることは、残されたセブルスにもどかしい思いをさせないようにすることだ。手紙を残したとはいえ、直接、きちんと伝えるんだ。

「セブルス」

 私が呼びかけると、セブルスはやや俯いていた顔を上げた。
 ああ、私の大好きな深い色の瞳   

「セブルス……今日は、ありがとう。来てくれて、ありがとう。ここに連れて出してくれてありがとう。それから、今までのことも、」
「よせ」

 セブルスは何かを振り払うように、私を遮る。
 セブルスの言葉を待っていたけれど、彼は何も言わなかった。

 セブルスの表情を覗き見ると、ややうつむき加減で重苦しい顔つきをしていた。

 私は、やはりこの一年セブルスに病気のことを伏せておいて良かった、と思った。
 ずっとこんな表情をしたセブルスの傍に、いたくはなかった。

 重い顔をしているセブルスを前に、なぜだか私の恐怖は少しずつ和らいでいった。
 泣いている赤ちゃんを前に泣きわめいてみせると、赤ちゃんはきょとんとして泣き止むのだという。
 それと似ているのかもな、なんていう考えが脳裏に浮かぶ。

 自分より今の状況を嘆いている人が目の前にいると、不思議と人は冷静でいられるのかもしれない。

 
「セブルス。最期に、話せて良かった」

 私が声をかけると、セブルスは目を丸くして私を見た。

「最期だなんて……言うな……縁起でもない」

 セブルスの声音は尻すぼみになっていく。
 ああ。悲しんでくれているのか。
 ありがとう、セブルス。ごめんね。

「ううん。いいの、大丈夫。……正直に言うと、すごく怖いけど、でも、これ以上ない最期だと、思う。大好きな人と一緒にいられるから」

 私の心はクリアになっていた。
 ひとりで死を迎えていたら、こんなふうに清々しさはなかったかもしれない。
 恐怖と苦しみと寂しさと、いろいろな感情でぐちゃぐちゃだけれど、でも、この瞬間は、本音を伝えて、笑っていたかった。
 
「セブルス。ちゃんと、見守ってるからね。ほら、魔法界だと、お化けになっても傍に行けるじゃない?セブルスが不甲斐なかったら、化けて出るからね」

 セブルスの表情が少しだけ柔らかくなる。
 私も和やかな気分になり、次の言葉を探していると、セブルスが先に口を開いた。

   かった」
「え……?」
「おまえが来たこの一年……悪くなかった……と思う……」

 セブルスは私から目線を外し、地を見つめている。

「花見だの、海だの、面倒な場所に付き合わされて、雪原の中で雪玉をぶつけられて、散々な目にあったが、……悪く、なかった」

 セブルスと過ごした四季折々の色が浮かび、胸が苦しくなる。

「うん……うん」
「夜遅くに茶に付き合わされたこともあった」
「うん、……」
「季節外れの吹雪の中ホグズミードに行ったこともあった」
「うん」

 春の温かさ。夏の眩しさ。秋のものさみしさ。冬の透明感。
 すべて、ありありと思い返すことができる。
 隣りにいたセブルスの表情と、空気と、うれしさやどきどきした気持ちの混じった、感情とともに。

 死ぬまでに思い出をたくさん集められるかが、生きているときにすべきことなのかもしれない。
 ふと、私はそう思った。

「逝くな、

 セブルスは言った。
 その声がどうしようもなく優しいものだったせいで、こらえていたものが一気に吹き出してしまった。目から熱いものが流れ落ちてゆく。
 その台詞はずるいよ、セブルス。
 私だって、死にたくない。死にたくない、死にたくない。
 セブルスの傍にいたい。セブルスと生きたい。
 胸が、苦しい。

 でも。
 でも、少しだけ、
 セブルスも、悲しんでくれているということが、ほんの少しだけ、私を慰めた。

 もし、もし、逆の立場なら。
 セブルスが死んでしまい、私が残されるなら、私は耐えられない。
 それなら、私がいなくなったほうが、ましだ。

 ごめんね、セブルス。
 先ゆく私を、いつか、許してほしい。

「日本では、輪廻転生っていう考え方が、あってね」

 涙声で、ひどいありさまだったけれど、私は、続けた。

「死んでしまっても、生まれ変われるの」

 もしかすると、イギリスや魔法界にも、同じような観念はあるだろうか。

「もし生まれ変われたら、今度は   先に私を見つけて、セブルス」

 神さま。たったひとつだけ、どうか、叶えてください。
 お願いです。
 生まれ変わっても、また、セブルスと出逢えますように。
 気がつくと、私はセブルスの肩に頭を載せていた。
 セブルスが抱き留めてくれている。
 温かかった。

 ああ。
 最愛の人の胸で死ねる私は幸せだ。

 その瞬間、死の恐怖よりも愛する人の傍にいられる幸せが勝った。

 はらり、と風に乗って、ピンク色の花びらが舞い落ちてくるのと同時に、私は目を閉じた。
 その刹那、セブルスと笑いあう未来が見えたような気がした。

 

2021.1.8
title frome ハルさん(待ち合わせは、いつものポスト/ハリポタ企画サイト)
ヒロイン視点: 15 --- 16 --- 17
セブルス視点: 15 --- 16 --- 17

Top