16. Spring V


 逆転時計を使うことで、過去が変えられるわけではない。
 いつか耳にしたところによると、結局のところ「逆転時計を使った」ということを含めて現在の因果なのだという。
 だが、私にはそんな理屈はもう、どうでも良かった。

 ただ、に会わなければいけないという思いだけが、私を突き動かしていた。

 死者を前にした無力感。
 伝えきれなかった言葉、果たせなかった約束。そういったものが後から後から湧いて出てきて、泡沫に消えてゆく。
 
 私は、の病室へとやって来た。病室の奥、カーテンを開ければあいつがいる。

 何を伝えればいいのか。
 どんな顔をすればいいのか。
 わからない。
 わからないが、私には時間がないのだ。

 私はすべての迷いを振り切り、カーテンをくぐり抜けた。

 は窓の外を見ていたが、不意に私に気がついた。

「どう……して……」

 は心底驚いたようで、目を丸くさせていた。
 私の想像の中のよりもだいぶ痩せ細っていた。この数日でではないだろう。毎日顔を合わせていたから、気づかなかったのだ。の変化に。

「ダンブルドアから……事情を聞いた」

 逆転時計のことは伝える必要はない。ただ、“当時の私”がやって来た体にすればいい。
 は「そっか」とどこか儚く微笑し、顔を伏せて「ごめんね」と言った。黙っていてごめん、と。

 私は何と返答すべきか迷った。
 が初めから病気のことを私に告げなかったのは、歓迎すべきことではない。
 ただ、再開した当初から伝えられていたとしても、私は何ができただろう。
 治る道を探せたかもしれない、とは何度か考えた。
 しかし、私はマグルのことなど何もわからない。
 
 が私に何も告げなかったことを、責める気持ちはない。

「ごめんなさい……」

 しかし、は顔を上げてそう言い、心からすまなそうに頭を下げた。
 私は正直に自分の気持ちを言った。
 
「いい。なぜ言わなかった、とは何度も思ったが、結局私は……何も、できなかっただろう」
「そんなことないよ。セブルス、私は本当に楽しかったよ。この一年、ほんとうに……」
「ああ」

 は手紙に何度もそう書いていた。
    私も、楽しかった、のだと思う。
 もう一度、一年前に戻れるのなら、どんなに良いだろう。
 いや   がこの先もホグワーツにいれば   

 虚しい空想を振り切るように、私はに言った。

「具合は、どうだ」
「うん、今日は温かいし、悪くないよ」
「そうか」

 話をしているうちに、少しずついつものに戻ってくる。
 「そうだ」と明るい声を上げた。

「看護師さんに、外に連れて行ってもらおうと思ってたの。代わりにセブルスが、連れ出してくれない?せっかくだから桜を観に行きたいなあ。咲いてるかな」

 一気にそうまくし立てる。
 たしかに、この病室では他にも人がいるので話しにくい。
 外に行っても問題がないのなら、私も歓迎すべきところだか。

「いや……だが」
「大丈夫、大丈夫。信頼できるとっても良い看護師さんがいるの。内緒で、お願いするから」

 大丈夫なのかという問いをするまでもなく、が答えを言う。
 そして早々とベッドのそばに置かれているボタンを押した。中年の女性がやって来る。
 が出かけてきても良いか訊ねると、彼女は私の顔を見たのち、を見つめた。

「そうね……今日は顔色も良いみたいだし、三時までに戻るなら」
「ありがとうございます」

 とのやり取りで、この女性は信頼されているのだろうということが伺える。
 あまり騒ぎすぎるなと念を押され、私たちは外へと向かった。











 病院の中には小さな公園があり、患者が散策できるようになっていた。
 私はそこを目指すのかと思い込んでいたが、は「桜が見たい」と言った。昨年の春にも訪れた公園へ行きたい、と。
 まさかそれほど遠くへ連れ出すのはどうかと私が渋っていると、「セブルスが一緒なら大丈夫でしょ」とは軽く言う。
 幸い件の場所は病院から近いところにあることと、私は迷っている時間も惜しかったので、に従うことにした。
 いざとなれば魔法を使えば良いだろう。

 は車椅子というものに乗っていた。椅子に車輪がついており、搭乗者自身がその車輪を動かすことで進むという仕組みらしい。後部にハンドルがついており、他人に押してもらうこともできる。
 今回は私は椅子を押してやることにした。
 はどこか浮ついているのが伝わってくる。

    病人だとは、思えない。
 しかし後ろから細い肩を見ると、胸がいたたまれなくなった。


 私たちは、桜が見渡せる小高い丘に来た。
 は車椅子から降り、草むらに腰掛ける。

 沈黙が続いた。
 は桜を眺めている。
 花を咲かせているのは半分ほどだろう。花盛りには遠い。しかし、淡い色の花々は美しかった。

 何を、に伝えるべきか。

 手紙を読み、行き場のない言葉が浮かんできたのはたしかだったが、それが具体的にどのようなものであるのか、未だにわからなかった。
 病院にはあと小一時間で戻らなければならない。移動時間も考えると、とふたりきりで話ができるのはあと数十分程度だろう。

 何を言うべきなのか。

「セブルス」

 私が思考をうつろわせていると、が言った。

「セブルス……今日は、ありがとう。来てくれて、ありがとう。ここに連れて出してくれてありがとう」

 聞きたくない。遺言めいた言葉など。

「それから、今までのことも、」
「よせ」

 私はを遮った。しかし、続く言葉が浮かばない。
 唐突に、私は、「現実を受け入れたくない」と感じた。駄々をこねる子どものように。

 いま、は私の目の前にいる。
 しかし数時間後には   いなくなってしまうのだ。
 
 そんなことが、あるか?
 たしかに息をして、身体を動かしている人間が、一刻後には動かなくなるのだ。

 いやだ。
 
 絶望的な意識に支配され、私は身体が空になった。

 の目線を感じる。
 時間がない。何かを言わなければならない気がするのに、言葉が何も出てこない。

 春の冷たい風が頬を撫ぜるのと同時に、が言った。

「セブルス。最後に、話せて良かった」 

 さいご。
 の口から聞きたくなかった言葉が、胸を貫く。

「最後だなんて……言うな……縁起でもない」

 とっさに口をついて出た内容は、とんでもなく陳腐なものだった。
 を見ると、異様に落ち着いているような表情で首を横に振った。

「ううん。いいの、大丈夫。……正直に言うと、すごく怖いけど、でも、これ以上ない最後だと、思う。大好きな人と一緒にいられるから」

 私は、何も返せなかった。
 ただただ、の言葉が身体に染み入り、どこまでも虚しい気分にさせる。
 せめてが微笑んでいるのが、救いかもしれない。

「セブルス。ちゃんと、見守ってるからね。ほら、魔法界だと、お化けになっても傍に行けるじゃない?セブルスが不甲斐なかったら、化けて出るからね」

 こいつならたしかに守護霊になって出てきそうだ、と思うと、少しだけ慰められる。

『きみの想いを、伝えずとも良いのかな』

 ダンブルドアの台詞が脳裏をかすめる。

 私は。

「良   かった」

 かすれた私の声は届かずに、は「え?」と聞き返してくる。

「おまえが来たこの一年……悪くなかった……と思う……」

 できることなら次のひととせも、という願望は、胸にしまわざるをえなかった。

「花見だの、海だの、面倒な場所に付き合わされて、雪原の中で雪玉をぶつけられて、散々な目にあったが、……悪く、なかった」
「うん……うん」
「夜遅くに茶に付き合わされたこともあった」
「うん、……」
「季節外れの吹雪の中ホグズミードに行ったこともあった」
「うん」

 と過ごす景色を前にして、私はどう感じていただろう。
 当時は、何も思い起こさなかった。
 だが、いま振り返ると、いかに尊いものだったかが、わかる。

   いくな、

 無意識のうちに、私は呟いていた。
 ははっと目を見開いて、堰を切ったように、ぼろぼろと涙をこぼしはじめる。
 そうだ。死にたくないのは、辛いのは本人だろうに。
 
 心臓のあたりがきりきりと痛み出す。
 もしがマグルではなければ。
 私が、いくらでも助けてやるというのに。

「日本では、輪廻転生っていう考え方が、あってね」

 鼻をすすっていたが、顔を上げて言った。

「死んでしまっても、生まれ変われるの」

 の背後に、ひらひらと舞い落ちる桜の花びらが見える。
 まだ早いだろう、散るには。

「もし生まれ変われたら、今度は   先に私を見つけて、セブルス」

 の姿が遠のいていく気がして、私はの手を引き、手繰り寄せた。
 その背中に、はらりと桃色の花びらが舞い落ちる。
 一年前の、光景と重なった。
 昨年ここを訪れた際も、の頭に落ちた花びらを手に取った記憶が、唐突に蘇ってくる。

 タイムターナーで一年前に戻れるのなら。
 いや、戻れたとしても、私に何ができたというのか。

 不意にの身体から力が抜け落ちる。

 驚いて顔を覗き込むと、これ以上ないほど幸せそうな笑みを浮かべて、目を閉じていた。

 セブルス。
 本当にありがとう。
 幸せだったよ。
 あなたのおかげで。

 のそんな声が聞こえた気がした。
 

 

2021.1.8

ヒロイン視点: 15 --- 16 --- 17
セブルス視点: 15 --- 16 --- 17

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