数年ぶりにあいつの姿を見たせいか、その夜、私は夢を見た。
あいつとはじめて会った日のことだ。
9月1日、ホグワーツに入学をする日。特急列車に乗って目的地に向かっていた。
そのとき私は
……知り合いと同じコンパートメントに乗り、話をしていた。そこに無作法の男どもが割って入ってきて、口論になった。
この男とは同じ空間にいたくないと考えた私は、その場をあとにして、ひとりになれる場所を探した。
歩き回って、ようやく空のコンパートメントを発見した。ひとりになれることを喜んで、ダイアゴン横丁で買った興味深い薬学の本を、読んでいたときだった。
騒がしい声が聞こえてきた。
さきほどのいかれた男とはべつだったが、不快な声だった。
「ヘンな顔。鼻ぺしゃんこ薬でも飲んだのか?」
嫌でも耳に入ってくる会話を聞いていると、どうも複数人の男が誰かを標的にしているらしい。
入学前から哀れなものだ。
はじめはそう思ったが、標的の人物は一向に言い返すことなどしない。ただひたすらに、じっと耐えているようだった。
私は冷めていた腹が、再びふつふつと沸き立つのを感じた。
なぜ言い返さない。
数人がかりで誰かに言い寄っている男たちにも腹が立ったが、それを甘んじて受けている側の人間も癪に障った。
「こいつ、全然言い返してこないな?」
「おーい、聞こえてるかー?」
「耳までイカれてるんじゃないのー」
卑猥な声。一方で、沈黙する相手。
耐えきれなくなった私は、立ち上がっていた。
「うるさい」
勢いよくコンパートメントを開け放つと、図体ばかりが大きい赤毛の男がひとり、取り巻きの男がふたりいた。
そして、彼らに面と向かって小さくなっている女。
身体を縮こませて、私を驚いた目で見ていた。
黒い髪、特徴的な顔立ち。東洋人、ということはひと目でわかった。
「静かにしてくれないか。読書中なんだ」
努めて冷静に、私は言った。
黙れ、と一蹴してやっても良かったが、火に油を注いで面倒な真似は起こしたくなかった。
「なんだぁ、おまえ、エラそうに」
しかし、私が割り入ったこと自体が気に障ったようで、すでに取り返しがつかなくなっていた。
リーダー格の男が私に顔を近づけてくる。唾が鼻先にかかりそうで、不愉快極まりなかった。
「汚い顔を近づけないでくれるか」
私は思ったことをそのまま口にした。
男は顔を赤くして、「なんだって!?」と叫ぶ。
ああ、余計なことをした、と心のうちでため息を吐く。
男は私のローブの首元を掴んでくる。これ以上汚い手で触らないでほしい、と思った。
ローブが揺れた際に、ポケットに物を入れていたことを思い出す。
昨日、ダイアゴン横丁で仕入れた品物で、いくつか魔法薬を作っていた。ホグワーツの一年で習うものはほとんど作ってしまっていて、その応用にといくつか作成していた薬品があった。
「……試してみるか」
そう呟いてから、私はローブの中の小瓶を男にかけた。
驚いた男は私を解放して、顔にかかった液体を手で拭い去ろうとする。
しかし、みるみるうちにその顔には赤い斑点が現れていた。『できものを治す薬』をわざと調合を変えて、反対の作用の薬を作ったのだ。
「う、うわぁぁぁぁぁ!」
自分の異変に気づいた男は泣き叫ぶように、私の前から姿を消す。取り巻きの男たちもやつの後を追っていった。
まだ学校に着いてもいないというのに、疲れた。
私は小さく息を吐いて、コンパートメントに戻ろうとした。しかし、私が座席に着くと、先ほどの女が私の後に続いて来ていた。
「あ、あの!助けてくれて、ありがとう……」
独特なイントネーションのある英語で、彼女は告げた。
礼などいらないのに。ただ、ひとりにしてくれ、と私は思った。
私は答えずに、精いっぱい不快な顔をして、鼻を鳴らした。だが、この女は引き下がらなかった。
「私、日本人で……英語も、魔法のことも、よくわからなくて」
日本。太平洋の島国か。しかし、だから何だというのだ。
この女が図々しくも私の向かいに腰掛けるので、腹が立った。
「僕はおまえを助けた覚えなんてない。ただあいつらがうるさかっただけだ。ひとりになりたいんだ、出ていってくれるか?」
聞き取れまいと思って、わざと早口で言ってやった。それなのに、こいつは、私を真剣な表情で覗き込んでくる。そして、必死に何かを訴えてきた。
邪魔をして悪いが、魔法のことはよくわからないので、教えてほしい。
文法の間違いはあれど、おそらくこういうことを言いたかったのだと思う。
冗談じゃない。言葉も満足にわからないやつに、教えることなどあるものか。
私は冷徹に睨みつけたつもりだったが、女はさらに続けた。
「あの、私の名前は、・。日本から来たの」
名乗ってみせて、僕に近づいたつもりか?
私はどうにかしてこいつを引き下がらせるために、言った。
「あらためて言うが、出ていってくれるか、“”」
このとき私は、こいつの名字を丁寧に呼ぶことで、出て行けと言い聞かせたかった。だが、それは逆効果だったのだ。
こいつが“・”なんて名乗るものだから、が名前で、が名字なのだと思っていた。
このとき、は驚いたような、どこかうれしそうな表情を浮かべた。その理由がわかるのは、こいつの本当の名前がわかる、もっと後のことだ。
「あの、それじゃあ、本を読む邪魔はしないから……おとなしくしているから、ここにいてもいいかな……。さっきの男の子たちに会いたくないし……」
先ほどの勢いは失ったが、ひと言ひと言丁寧に、言葉を紡いでいた。
そして、「一生のお願い!」と頭を下げてくる。
なにが“一生のお願い”だ。
こうした押し問答すら時間の無駄かもしれないと思いはじめた私は、面倒なので、ここにいることは許してやるか、という気分になっていた。
おそらくこの女を放り出せば、先ほどの出来物野郎に仕返しをされるかもしれない。そうなると、私にも火の粉が降りかかるおそれがある。
「……僕の邪魔はしないんだな?」
私が訊ねると、は「しない」と真剣に頷いた。
「だったら仕方ない……追い出そうとしても、逆にうるさいだけだろうしな」
「ほんとに?ありがとう!」
まるで私を拝むように、頭を下げてくる。
これでおとなしくなった
と思っていたのに。
「……ねえ、きみ、名前は?」
僕の邪魔をしないと言ったそばから話しかけてくるなんて。いったいどういう神経をしているのだと、を思い切り睨みつけると、彼女はばつが悪そうに「“きみ”じゃ、呼びにくいから」と言った。
答えなければまたしつこく訊いて来るのだろう。いずれわかることだろうし、私は名乗ることにした。
「
セブルス・スネイプ」
「セブルス……スネイプ」
これで本当に静かになるだろう、と思った私が間違いだった。
「セブルスは、もう、いろいろな魔法が使えるの?」
いきなり口を開き、しかも、私をファーストネームで呼ぶ。呆然としてまじまじとを見つめてしまった。
「さっき、男の子たちに投げつけた薬。あれも、魔法でしょ?すごいね、どうやったの?」
語彙力は乏しいのだが、はとにかく「すごい」という言葉を連発してくる。
誉められるという経験があまりなかった私は、悪い気分にはならなかった。
「……あれは……昨日、本を見て試しに作ってみたんだ」
「本を見て?すごいね!」
そう答えてしまうと、はさらに質問を続けてくる。
魔法界のこと。ホグワーツのこと。うんざりするくらいいろいろなことを訊かれたが、なぜか、思ったほど嫌な気持ちにはならなかった。
こいつは、素直だった。
こちらが答えれば、「すごい」だの「ありがとう」だの、やはり言葉は一辺倒なのだが、きちんとした相槌が返ってくる。
文法はできていないし、イントネーションもおかしかったが、必死に言葉を伝えよう、話そうとしているので、さほど不快な気分にもならなかった。
尻尾を振って懐いてくるので、子犬のようだと思った。
でも。
しょせんは、どうせ列車の中の関係だろう。
ホグワーツに着いて、組み分けが終わり、授業がはじまれば、こいつは離れてゆくだろう。
そう、思っていた。
2018.1.18
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セブルス視点:
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