3. Mid-Spring




 いつからか私は、悪夢を見るようになった。

 百合のように美しい少女が、私の目の前で殺される夢。
 目が覚めると全身にびっしりと汗をかいている。

 もしくは、彼女が私の隣で笑っている夢。
 現実に戻されて、彼女がやはりいないことを知ったときの、絶望感。

 いつからか私は、眠らなくなった。

 体力的にどうしても眠りにつきたいときには、夢を見ない薬を調合し、飲んだ。ただ、これは過眠の副作用があるため、翌日に予定がある場合には服用できない。
 それでも、しだいに夜との付き合い方を学ぶようになった。

 授業をおこない、生徒や他の教師陣と最低限のやり取りをし、食事をし、夜を迎え、闇をやり過ごし、朝になる。

 私の日々は、これまでと同じように過ぎていった。

 ただひとつ異なるのは、視界にちらちらと不愉快な存在が入ること。
 私の淡々とした日常に、小さな波風が立つようだった。
 私はその存在をことごとく無視しているのに、あいつは私に近づいて来る。

 だが、いずれ諦めるだろう。

 あいつにとって、私は都合のよい存在というだけなのだから。

 週末の朝、私は静かなうちに図書館に向かおうと研究室を出た。
 が、そこで例の顔に出くわす。

「おはよう、セブルス」

 私は何も見なかった、聞かなかったことにして、目的地へと急いだ。しかし、あいつは後を追ってくる。

「ダンブルドアが校長室に来てほしいって」

 私は返答をしなかった。

「ダイアゴン横丁で仕入れて来てほしいものがあるんだって。月長石とか」

 そうだ、月長石がなくなりかけていたのだ。買い足すようにダンブルドアに進言しようと思っていたところだった。
 こいつの話によると、校長室の暖炉をダイアゴン横丁に繋いだため、私が買いに行くようにということだった。
 こいつを振りまくために、「おまえが行けばいい」と冷淡に返したつもりが、引き下がらない。魔法薬学の授業で必要なものならば、私が直接行って品定めをしたほうがいいのでは、と言う。
 癪だが、その通りだった。私が行ってよいものなら、喜んで行く。丁度購入したいものもあった。
 しばらく考えて、私は承諾した。
 はどうしてか機嫌よく去っていった。


 


 図書館で本を返し、自室に戻り用を済ませたあと、私は校長室へと向かった。
 ダンブルドアの姿があるのかと思ったが   中にいたのは、だった。
 なぜこいつがここにいるのか。

「さあ、行きましょう」

 の言葉に、「は?」と思わず気の抜けた返事をしてしまう。

「まさか、おまえも行くのか?」
「うん。“雑用”ですから」
「……それなら、おまえだけ行けばいい」

 何が悲しくてこいつと買い出しになど行かねばならぬのか。
 きっぱりとはねつけたつもりが、は首を横に振った。

「どれを買えばいいのかよくわからないの。適当な物を買ってきてもいい?」

 私は言い返すことができなかった。
 以前、ハグリッドに遣いを頼んだときに、くだびれた薬草を大量に購入してきたことがあった。鮮度の良いものを、と依頼したつもりが、「安かったので」と古いものを売りつけられたようだ。
 そのことを思い返し、私は他人になぞ頼むまいと痛感したのだった。

「ダンブルドアの許可もちゃんと得ているし、買うもののリストももらってる。さ、行こう」

 は私の手に小袋を載せてくる。煙突飛行粉フルーパウダーだろう。
 に押しやられるまま、私は暖炉に足を進めた。
    まあ、いいだろう。こいつの存在は無視してやればいい。

 私は暖炉に歩みを進め、緑の粉を投げつけた。






 おそらくダイアゴン横丁の一家なのだろう、古びた暖炉に抜け出る。私は後ろを確認することもせず、家を出て、通りに向かった。まっすぐに薬局へと足を運ばせる。
 けれども、は急ぎ足でついてきた。
 薬局に着く前に巻きたかったが、致し方あるまい。
 私はかまわずに自分の買い物をすることにした。ダンブルドアの用件と、自分の欲しいものを物色し、購入する。

 意外にもその間、はひと言も言葉を発しなかった。
 私はの存在も忘れ、素材を探した。

 魔法薬と向き合っている間は、何もかもを忘れることができる。
 素材の良し悪しを測り、調合の道筋を辿り、完成形を想像する。その一連の作業をしている際は、すべてを忘れられた。
 だから私は、昔から魔法薬学を好んでいた。その思い   執着心とも呼べるそれは、年々強くなっているようにも感じられる。


 良い素材が手に入ったこともあり満足した私は、ホグワーツに戻ろうと店を出た。が、途中でに腕を取られる。

「ねえ、セブルス。ちょっと寄り道をしない?」

 寄り道、だと?こいつはふざけているのか。

「そんなに時間は取らせないから。ね?」

 時間の問題ではない。誰がおまえなどと行くか。

「ひとりで行けばいい」

 私は短く返すが、はなおも言い寄ってくる。

「セブルスと一緒に行きたいのよ。お願い」

 なにが、……。
 私は腹のうちから湧き上がる何かを押しとどめながら、「いやだ」と一蹴した。
 それにもかかわらず。
 こいつは。

「お願い、一生のお願いだから」

 頭を下げるの姿が、十数年前のこいつと重なった。
 ホグワーツ特急のコンパートメントで。
 私に教えを請うの姿と。
 ぼんやりとの頭を見つめていると、周囲からの視線を感じた。私がこいつに悪いことを言っている、というような目線だ。
 少なからず私は慌ててしまった。

「おい、顔を上げろ」

 は顔を下げたまま、言った。

「一緒に寄り道、してくれる?」

 周りの視線。
 それに   の“一生のお願い”。
 羞恥心と懐かしさに、私の冷徹さが負けた。

   わかった。ただし、少しだけ……今回だけだからな」

 はすぐに顔を上げて、「ありがとう」と満面の笑みを浮かべた。
 ああ、小犬みたいだ。
 かつて感じたことを、今一度思った。

 しかし、私は自分の選択を後悔した。
 は漏れ鍋を出て、ロンドンに向かった。
 なぜマグルの世界に行くのだ。てっきりダイアゴン横丁で寄る場所があるのだと思っていたのに。
 そうとわかったとき、私は来た道を引き返そうかとした。こいつを置いて、ひとりだけで。
 
 それなのに。
 は“ロンドン街歩き”などという本を片手に、必死にあちこち調べている。が行こうとしている通りが、おそらくこいつが印をつけたのであろう場所と異なっているものだから、つい口を出してしまった。

 そこからは私も巻き込まれた。半ば矜持のようなものなのだろう、口を挟んでしまった手前、きちんと目的地に着く、ということをしなければならないような気持ちになっていた。
 バスをいくつか乗り継いで、どうやらが望む場所にたどり着いたようだった。

 ロンドン郊外にある、公園。
 そこは、どこか浮世離れしているように感じられた。
 あちこちに存在している木々は、小ぶりの花を咲かせている。
 ああ、これは   たしかチェリープラムというのだったか。
 淡い色、濃い色、白、など温かな色の花を見ていると、身体の奥底にある部分が奇妙な刺激に包まれる。
 私は、ぼんやりと、まるで、幻想の世界にいるような気分になった。
 これは“サクラ”というのだと、は言った。

「日本の春にはね、たくさんのサクラが咲いて、お花見をするの」

 がそっと口を開く。

「少し歩いてみない?」

 私は答えなかった。だが、足が自然と動いていた。







 この公園は、日本のサクラを気に入ったイギリス人が作ったものらしい。
 たしかに、イギリスではサクラなどと言われてもその姿が思い浮かばないことも多い。春になれば当たり前に咲いている、一本の木。チェリープラムなどが、サクラの一種らしい。
 だが、こうしていくつも並んでいる姿を見ると   美しい、と思う。
 そのうち一番淡いピンクの花びらが、ひらひらと舞い落ちていた。これは日本のソメイヨシノ、という種類の木だそうだ。
 風が吹くたびに、花びらが青い空に吸い込まれてゆく。

 穏やかな気分だった。
 このような気持ちになったのは、いったいいつ以来だろう。

 色とりどりの花々。
 澄みわたる青空。
 温かな風。
 かすかに香る、甘い花の匂い。

 と私は、あまり言葉を交わさずに、この景色の中を歩いた。





 舞い散る花びら。
 視界が霞がかってゆく。
 音が遠ざかる。
 この世のものとは思えない、美しい景色。
 ああ、もしかするとここは、死の世界の入り口なのではないだろうか。
 そうであればどんなにいいことだろう。
 そこにはきっと、失ったものがすべてあるのだ。

「そろそろ戻ろうか……?」

 が声を発したので、私は急に現実に引き戻された。
 目を何度も瞬いて視線を上げると、空がわずかに白ずんでいる。
 に視線を戻すと   の姿が透き通っているように見えて、私は目を疑った。
 また、幻想の中に引き戻される。
 風が、吹いた。
 花びらが舞い落ちてゆく。
 の姿がどんどん薄くなっていき、私は思わず手を伸ばしていた。

 また、私の前から去ろうというのか   おまえも   私ひとりを置いて?

 しかし、私の手はの頭に触れた。
 その頭上には小さな花びらが載っていた。私はそれを手に取る。

「あ……花、びら」

 私の手に収まるそれを見て、が呟いた。

「ありがとう、……」

 はっきりと耳に届く声に、どうしてか私は無性に安堵してしまった。
 いつの間にか、私の感情は学生の時分に戻っていくような心地がした。以前のと私の関係   
 しかし、と思いとどまる。
 こいつは私の前から勝手に姿を消したのだ。私に何の説明もなく。
 こいつに気を許してしまうことを避けるために、私は口を開く。

「そんなもの、どうするんだ」

 は私から受け取った花びらを、大事そうに服の中にしまっているところだった。
 は、「今日の想い出」、と微笑む。私はため息を返す。

「どうせ、すぐ枯れるだろうに……。短い命の花を愛でるなど、日本人も、ここを創ったイギリス人も、もの好きだな」

 の笑顔がふっと吹き消える。
 思えばホグワーツに戻って来て以来、笑い顔ばかり浮かべていたこいつの、はじめての泣き出しそうな表情だった。
 怒っているのかと思ったが、は少しの間口を閉ざした後、「本当だよね」と言った。

「でもね、……すぐに枯れてしまうからこそ、咲いている間の一瞬一瞬を大事にできるのだと思う」

 私には   わからない。
 枯れるとわかっているなら、終わりがくると知っているなら、私はそのいのちを延ばしたい。
 花の散り際はたしかに美しい。
 だが私は   それでも   咲いている花のほうを、好む。

 黒い思考に巻き取られそうになる私を、 は明るい声で呼びかけた。

「さ、帰ろう。夜はまだ寒いから」

 ホグワーツに戻り、自室のソファでじっと目を瞑っていると、いつの間にかまどろんでいた。
 しかし、目が覚めたときに嫌な気分は残っていなかった。
 目の奥に淡いピンクの桜が残っている。

 おそらく悪い夢は見なかった、と思う。

 

2018.2.28

ヒロイン視点: 2 --- 3 --- 4
セブルス視点: 2 --- 3 --- 4

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